MMT(現代貨幣理論」について分かりやすく解説した『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室』『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室』という2冊の本が版を重ねロングセラーに。MMTの最高の教科書としていまも評判になっている。

今回BEST TIMESでは中野剛志氏が政経倶楽部で講演した経済の講義を全5回の連載記事にて公開します。最新の経済学の動きや、バイデン政権以降の経済の流れにも触れながら語った貴重な講義。第2回は納税の本当の意味と「機能的財政論」。





■通貨の価値の源は「納税の義務」



 前回説明したように、日本政府は自国通貨を発行できるんだから財源の心配がない。だったらなんで私たちは税金を取られているんでしょう?



 「自国通貨を発行できるから破綻しないんだ」ということを説明すると、よく「だったら無税国家ができるのか?」と言われるんですけれど、もちろん、無税国家は無理なんです。



 なぜ無理か。それは、政府が発行する通貨……日本円とか米ドルとか英ポンドですね……その通貨の「価値」と関係しています。



 政府は、自分達の発行する通貨を定めます。日本だと円、アメリカだとドルという通貨を法律で定めます。そして、国民に租税を課します。税金を払う義務を国民に課すわけです。



 そして、その支払い手段として、米とか麦とかではなくて「円で払え」と指示します。

そうすると、例えば日本国民は、円を政府に納めると、納税義務を解消できるわけです。



 ですから、通貨(日本でいうと「円」)は、「納税義務を解消するための手段」ということになるわけです。



 そうすると、みんなお金が欲しくなりますよね。なぜなら、税金を払わなければいけないからです。納税義務があるから円が欲しくなる、だから円に価値が生まれる、みんなが円を「価値のあるもの」と考えるようになる。その価値のある円を、貯蓄や取引にも使ったりするのです。



 昔は金本位制と言って、通貨の価値は金(きん)と紐付けられて考えられていました。その当時、なんで紙切れに過ぎないお札に価値があるのかと聞いてみたら、「金(きん)と取り替えてくれるんだろう」と思われていたわけです。その意味でお札の価値は、金貨や銀貨の価値と同じようなものなんだろうとみんな思っていたんですね。



 ところが現在では、お札と金(きん)と取り替える制度になっていません。そうすると、一万円札って単なる紙切れなんです。



 皆さんもそうかもしれませんが、私は「こども銀行券」で遊んでいた子どもの頃、「なんで1万円札って、1万円の価値があるんだろうなあ?」とずっと考えていました。

いや、「ずっと考えていた」は言い過ぎで、本当はそんなに深くは考えてなかったんですけれど、なんにせよ「変だな」とは思っていました。



 この問いの答えは、じつは、ほとんどの経済学者も知らなくて、経済学の教科書にも正しいことは書いてないんです。



 なんで(紙切れにすぎない)1万円札には価値があるのか?



 そもそもお金とは何か?



 そんなことも分からないまま、ノーベル経済学賞をとった経済学者がいっぱいいます。







 なんでお金には価値があるのか?



 その答えは何かと言うと、それが「税」なんです。



 国家が納税義務を課していて、そのための支払い手段としてお金を使っているから、お金に価値があるのです。



 そう考えると、例えば、無法地帯になったような国では、お金が通用しなくなる理由がわかります。政府がしっかりしていない国家だと、国内で「外貨」、例えば米ドルが流通したりしていますよね。それは、国家にちゃんとした徴税権力がないからです。例えば、ソ連が崩壊してロシアになった時、ロシアはハイパーインフレになりました。要するに通貨の価値がなくなった。これはソ連が崩壊して、ロシア政府が混乱したからです。



 「お金はグローバルに動くんだ」とか言われている割には、お金って、ユーロみたいな例外を除けば、基本的にドルとかポンドとか円とか元とか、国家単位で定められていますよね。

なんでお金は国家単位なんでしょうか? なんで「世界通貨」は無いのでしょうか?



 その理由は、最終的にお金の価値を担保しているのが、国家の徴税権力だからです。従って、今回のはじめの問いに戻りますと、「無税国家はできない」理由は、税金を取らないと通貨の価値がなくなってしまうからです。ですから皆さん、安心して税金をお納めください。残念でした(笑)。





■「健全財政論」から「機能的財政論」へ



 通貨が通貨であるために、国家は税金を取らないといけません。一方で、無税国家はないにせよ、自国通貨はいくらでも発行できるし、国債も破綻しないからいくらでも発行できるということなら、いわゆる「健全財政」……つまり「財政の収支を均衡しましょう」という話には意味がない、ということになりますよね。



 これは結論から言うと、そうです。意味がないんです。



 しかし、それならどういうふうに財政を運営すればいいんでしょうか? 本当にガンガン放漫財政してしまっていいんでしょうか? という疑問が出てきます。



 予算均衡を目指さないなら、何を目指して財政を運営すればいいでしょうか?



 この問いに対する答えを、1943年にアバ・ラーナーという天才経済学者が出しています。アバ・ラーナーは、当時にして「通貨というのは徴税権力と関係がある」ということを理解していた経済学者で、昨今流行りのMMTの源流のひとりです。



 ラーナーは「機能的財政論」(ファンクショナル・ファイナンス)という考え方を唱えました。

「健全財政論は意味がない、機能的財政論で考えるべし」と言うのです。



 ラーナーが言っていることは簡単です。これまで説明してきた通り、





  • 自国通貨を発行する政府は、家計や企業とは異なり、デフォルトしない
  • したがって、予算収支均衡を目指す「健全財政論」は無意味
  • 「プライマリー・バランスの黒字化」、財政赤字の削減、国債発行の抑制等は、財政目標として不適切

がまず前提にあるわけですが、その上で、機能的財政論というのは、「課税、財政支出、国債発行をどうするかは、予算の収支のバランスではなくて、国民にどんな影響を与えるかで考えてください」という考え方です。



 ここで言う「国民への影響」とは、例えば雇用とか物価とか金利ですね。



 例えば、財政赤字が大きくても、完全雇用を達成していて、かつ物価が安定していれば、その財政赤字は良いことなのです。逆に、財政が黒字でも失業者が大勢いるような場合は、財政黒字は悪いことだということになる。



 つまり、「財政黒字は良い、財政赤字は悪い」という基準ではなくて、「国民にとっていいか悪いか」で判断するということです。







 国民にとって良い影響を及ぼしている財政赤字は「良い財政赤字」ですし、悪い影響を及ぼしている財政黒字は「悪い財政黒字」です。黒か赤かという、帳簿上の色で判断するのではなくて、国民にどんな影響を与えているのかで判断してください、ということになります。



 例えば、財政支出を拡大して、公共事業を行なったりすると、市中のお金がだんだん増えていき、仕事が増え、失業がなくなっていきます。しかしあまり財政出動をしすぎると、経済学者とかマスコミが心配しているように、たしかにインフレ率が上がり過ぎてしまいます。このバランスで、財政支出の是非を判断しよう、というのが「機能的財政論」です。



 現実には、今、日本では財政赤字がすごく拡大していますけれど、みんなの賃金は低いままでむしろ下がっていますし、デフレも脱却できていません。この場合、すでに財政赤字は大きいのですけど、もっと支出を増やし、財政赤字を拡大していい、ということになるわけです。



 このように、「財政の健全化」ではなく、言わば「国民経済の健全化」を考えて経済を運営しよう、というのが機能的財政論です。



 支出だけでなく課税に関しても同様です。税金を全く課さなかったら、先に説明したように通貨の価値がなくなってしまいます。一方で、税金を課しすぎると、今度は反対に通貨の価値が「上がりすぎてしまう」ことになります。「通貨の価値が上がる」というのは「物価が下がる」ということ、つまりデフレです。



 ですから機能的財政論では、税金を上げるか下げるかは物価にどんな影響を与えるかで判断してください、ということになります。



 いわゆる税は財源確保の手段と言われていますけれど、そもそも政府は自国通貨を発行できるので、財源を自分で生み出すことができます。



 政府は「財源が必要だ」と言って、国民から税の形で円を取り上げているわけですが、そもそも国民に円を与えたのは政府です。政府は、通貨を発行できる。ならば、政府は、税で財源を確保する必要がない。

ということは、「税は、財源確保の手段ではない」という、多くの学者や政治家が発狂するような結論が出ることになる。それを理解しようとしない彼らは、MMTと聞いただけで、現に発狂しているわけです(笑)。



 それでは、税はなんのためにあるのか?



 税がなくなってしまうと、通貨に価値がなくなってハイパーインフレになってしまいます。税が課されていればハイパーインフレになりません。要するに、税が物価の上昇を抑えているのです。



 ですから税は財源確保の手段ではなくて、端的には「物価を調整する手段」ということになるのです。







■「機能的財政論」の具体例



 ここまでで機能的財政論の概要を理解していただきましたので、ここからは具体例を挙げていきましょう。



 例えば、景気が過熱気味でインフレが止まらなくなってしまうようなことが本当に起きた場合を考えてみましょう。とは言え、実際にはそんな経験はほとんどありません。過剰なインフレの例として「オイルショック」というのがありましたけれど、あれは中東がオイルの値段を上げたから起こったことで、べつに財政支出の拡大が止まらなくなってインフレになったわけではありません。そういった意味では、景気が過熱してインフレが止まらなくなるようなことは、あまりありません。



 とはいうものの、とりあえず、もし景気が過熱してインフレが起こったとして、そういう場合は、財政支出を抑制したり増税したりすると、インフレはたしかに止まります。



 逆に、デフレ不況によって貧困や失業が拡大している場合は、財政支出の拡大や減税をすれば貧困や失業は解消します。日本は今デフレなので、財政支出の拡大や減税をすべきです。今の日本は、「こども食堂」だけでなく「おとな食堂」にも行列ができるような悲しいことになってしまっていますが、これはデフレ不況によるものですから、日本の財政赤字が大きすぎるのではなくて、小さすぎるからだ、ということになります。



 税には他にもいろんな役割があります。例えば累進課税というのは、お金持ちから税金をより多く取ることで平等な社会を作るための課税です。この場合、累進課税は財源確保の手段ではなくて、格差是正の手段ですね。



 税金は、最終的には国会で議員先生方がお決めになりますが、国会議員の先生方は我が国をどんな社会にしたいのかの考えをお持ちだと思います。税金というのは、その社会を実現するための手段の一つなのです。貧困を無くしたいのか、賃金を上げたいのか、格差を縮小したいのか。国民のために望ましい国を作るために税を上げ下げするのであって、「財源を確保する、しない」という話ではないのです。



 目下のことですと、コロナ対策のためにも財政支出を拡大すべきですし、あるいは「グリーン・ニューディール」のように地球温暖化対策のために財政支出を拡大することもあり得ます。「財政赤字がこれ以上増えないように」みたいに考えて決めるのではなくて、コロナで人が死にかけているとか、飲食店が潰れているからといったことに対して、国民をどれだけ助けられるかで財政政策を決めてくださいということです。



 地球温暖化対策について言うと、「炭素税」という議論もありますが、これも税のひとつの使い方ですね。つまり、温室効果ガスを減らしたいのなら、温室効果ガスに税を課すと温室効果ガスの排出は抑制されますね。だから税というのは、「減らしたいものに重く税をかける」という使い方をするわけです。



 ところで、一昨年また消費税が上げられましたけれど、消費に税を課すと、何が抑制されるでしょうか?



 ……そうです、消費ですね。ところで、どうして、消費を抑制したかったんでしたっけ? そう聞いたら「いやいや、社会保障財源が」みたいな反応が返ってくるわけですが、だから「自国通貨を発行できる日本政府は、財源を確保する必要がない」ってさっき言いましたよね。



 ということで、消費税というのは、ほとんど何をやっているんだかよく分からない。自分で自分の首を絞めるために膨大な労力を費やしてきたのが、我が国だということです。



(第3回へ 続く)



編集部おすすめ