7月15日にフジテレビ系連続ドラマ「推しの王子様」がスタートする。主演は比嘉愛未。

当初は深田恭子の予定だったが、適応障害を理由に芸能活動を休業することになり、降板したため、比嘉に変更された。



 適応障害といえば、雅子皇后が皇太子妃時代に悩まされたことでも知られる。平民から皇族になるという環境の変化に、適応しきれなかったことによる発症なのではと、世間では受け取られた。その診断を受ける直前には、当時の皇太子(現・天皇)が会見で、



「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」



 と、異例の宮内庁批判を行い、驚かせたものだ。



 また最近では、アイドルから心理カウンセラーに転身した中元日芽香が「ありがとう、わたし  乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで」と題した本を出版。アイドル時代に適応障害で苦しんだことを告白した。インタビュー(Yahoo!ニュース)では、こんな発言をしている。



「乃木坂46に入ったのが中学3年の夏で、秋ぐらいからちょっと調子が悪かったです。人といるとなんだか体調が悪い感じ。『ちょっとお腹が痛いな』とか『変な汗かくな』とか、時々表れるようになって。(略)それが2016年の年末、乃木坂46の16枚目のシングルの時でした。連続で選抜に入れていただいたのに、この時はもう結構深刻で。

現場に行く時間なのに家を出られない。現場に行っても表情が作れない。1人になれる所がないか楽屋をウロウロしたり。明らかに病院に行ったほうがいい状態でした」



 症状の特徴が伝わりやすいかと思い、長めに引用してみた。



 ただ、その定義はやや曖昧だ。うつ病などとの区別もつきにくいため「診断のゴミ箱」という見方もあるという。



「『他の精神疾患の基準を満たしていない』とする条件などから、しばしばゴミ箱的な診断と揶揄され、他の診断との異同などに関して議論の俎上に載せられている」(精神科医・平島奈津子)



 つまり、消去法的に診断名がついたりもする、というわけだ。



 また、ネットでは「適応しようとしすぎる人の病気だよね」という声も。社会心理学者の碓井真史もこんな指摘をしている。



「心の病というと、心が弱い人がかかりそうな誤解をしている人もいますが、そんなことはありません。特に適応障害はむしろ有能でやる気のある人たちの問題なのです」



 たしかに、最初から適応をあきらめるような人はなりにくいのだろう。むしろ、過剰適応の結果ともいえる。



 では、深田の場合、何が問題だったのか。







 彼女は1996年、ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリを13歳で受賞。翌年に女優、99年に歌手として、それぞれデビューを飾った。いわば、正統派のアイドル路線だ。



 実際、デビュー前から憧れていたのはJポップのシンデレラ・華原朋美だし、また「マリー・アントワネットの生まれ変わり」を自称するなど、そのお姫さま的なものへの嗜好はアイドル向きともいえた。



 ただ、そのアイドル像はちょっとアナクロなもの。90年代は広末涼子のようなボーイッシュなタイプが主流だったし、そうでなければバラドルかグラドルで成功する必要があった。



 なお、皮肉なことにバラドルの流行を作ったのはホリプロだったりする。80年代半ばに、井森美幸や山瀬まみでこのジャンルを開拓した。一方、グラドルは80年代末からイエローキャブが流行させたが、そのふたつの要素を併せ持つかたちでブレイクしたのがホリプロの優香だ。



 深田とはほぼ同期だが、こちらはスカウトキャラバン組ではない。池袋でスカウトされ、芸名はインターネットの公募で決まった。

そんな優香のほうが時代には合っていたわけで、深田は正統派ではあるものの、時代的には異端だった。



 それでも、深田はよく持ちこたえた。正統派アイドルとして生きていくことの大変さは、スカウトキャラバンの大先輩で、激痩せなどの体調不良により、二十歳でアイドルをやめた堀ちえみなどが実証済みだが、こちらは20年以上も正統派路線、それもお姫さま的な芸風を続けてきたのだ。



 なかでも映画「下妻物語」や「ルパンの娘」(フジテレビ系)といった作品は、彼女ならではの非日常的な華やエロスが作品に結実したもの。そういう仕事ぶりからは、芸能界にも十分に適応できているように見えた。



 が、彼女はインタビューでこんな自己分析もしている。



「物事を途中で投げ出したことがないんです。というよりは、投げ出せなくって。例えば子どもの頃習い事を始めるじゃないですか。やり始めてみると、練習が大変だったり、思っていたのと違っていたり、ということもありますよね。でも『やめたい』と口にできなかった」



 もちろん、芸能活動が嫌いだったわけではないだろうが、やめたいと思ったこともあったに違いない。もともと、人見知りが激しい性格という彼女が適応できているように見えたのは、この「やめたい」と言えない性格のおかげでもあったのだろう。



 とはいえ、女性芸能人には「結婚」や「出産」という手がある。これによって、やめたり休んだりということがしやすいのだ。山口百恵も松田聖子も安室奈美恵も、前出の優香も、そうやってスターの座から降りたり、仕事と距離を作って自分をリセットしたりしてきた。







 深田も38歳。浮いた噂はこれまでにもあったし、現在も交際中の男性がいることが報じられている。ただ、その恋愛の方向性みたいなものが適応をめぐる問題の解決に即つながるか、というと、そうでもなさそうに思えるのである。



 というのも、彼女の男選びは脚本家の野島伸司にせよ、ジャニーズの亀梨和也にせよ、生活の安定には結びつきにくい傾向を感じさせる。今の恋人にしても、成功した実業家とはいえ、かなりやんちゃなタイプ。バイクチーム「死ね死ね団」に入っていたとか、父とのケンカで刺されかけたといった武勇伝の持ち主だ。6月の会見では、



「18歳までに3回ほど死にかけています」



 とも語った。



 ただ、お姫さまキャラの女性はとかくこういうタイプを好きになりがちだ。特に、彼女には悲劇のヒロイン願望というか、朋ちゃんやアントワネットみたいな危うげな女性への親和性がある。

そして、そのあたりが彼女の魅力でもあるからややこしい。



 たとえば、出世作となったドラマ「神様もう少しだけ」(フジテレビ系)でのこと。ヒロインとはいえ、援助交際でHIVウイルスに感染してしまう女子高生という汚れ役のオファーに、彼女は、



「この役、やってみたいです」



 と意欲を示したという。2000年刊行の「ホリプロの法則」によれば「言われるままに仕事をこなしていた」彼女が「初めて自分の意志を口にした」出来事だった。



 処女作や出世作にはその人の本質があらわれているものだが、このケースもまたしかり。こういうところが女優向きなゆえんで、20年以上も芸能界で活躍してこられた理由だろう。たとえこのままフェイドアウトすることになっても、彼女が残した功績が消えることはない。



 ところで、適応障害を考えるうえで思い出される言葉がある。



「強いものが生き延びたのではない。変化に適応したものが生き延びたのだ」



 という進化論をめぐる言葉だ。これは同時に「強さ」と「変化に適応すること」とが別物だということも示している。



 人間の一生についても、ほどよく適応できたほうが楽に生きられそうだが、その人が強いかどうかとは別の話だろう。

適応に障害をきたしても、その人ならではの強さ、あるいは魅力があり、充実した生き方が可能なことを、有名人たちの事例は教えてくれる。深田にもゆっくり休んだうえで、できればまた、それを証明してほしいものだ。





文:宝泉薫(作家・芸能評論家)



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