秋篠宮家のご長女の眞子様の婚約者の小室圭氏が眞子様との結婚のためにアメリカから一時帰国したニュースが、テレビやネットを賑わせている。
帰国時の小室氏に対する待遇や警備については、マスクから見える眼差しから判断すると、当の小室氏が笑ってしまうほどに御大層だ。
TwitterなどのSNSは眞子様ご結婚反対論で炎上している。YouTube動画には、コロナ騒動に関する動画を凌駕する勢いで、眞子様のご結婚に反対する動画がおびただしく出現している。9月12日から24日に渡り計3回も、眞子様と小室氏の結婚反対デモが、皇室YouTuberの主催によって新宿で開かれた。10月も決行する予定だそうだ。
◆眞子さま結婚にNO! 抗議デモ続ける皇室系ユーチューバーが明かした意外な本音(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
一方、反対に主要メディアは、眞子様ご結婚祝福ムード記事を載せる。それについて、ヤフーのコメントにはこのような文章が出てくる。「知り合いのライターが暴露してくれたが、最近は宮内庁から小室氏と眞子さまの批判記事を書かないように通達があったと聞いた。もし書いたら今後皇族が会見の際は会場に呼ばれないという圧力があると。さらに内密らしいが、擁護記事やコメントを出せば皇室の行事に呼ばれる可能性があるらしい。内覧会とか何とかの会に招待するような話が出てるようだ。
◆『小室圭さん帰国「だめんずではない!眞子さま、しんどくなったら帰ってきて」漫画家の倉田真由美さん〈dot.〉(AERA dot.)』へのコメント | Yahoo!ニュース
このYahoo!のコメントが事実かどうかはわからないが、ともかく眞子様ご結婚騒動は事件というより、「事変」と呼ぶべきものになっている。
■王室は消えても王室もどきはいつでもどこでも生まれる
最初にことわっておくが、私は王室や貴族に特別な関心はない。かといって王室や皇室や貴族は廃止されるべきだとも思っていない。どちらにしても私個人の人生には関係ないからだ。
さらに言うと、王室や皇室や貴族は廃止されるべきだと思っても無駄だからだ。廃止などいくらしても、王室もどき、貴族もどきは必ず生まれる。いつでもどこでも生まれる。「赤い貴族」と呼ばれるような特権的支配層が、階級を否定した旧ソ連や中華人民共和国に生まれたのが、その証拠だ。ちょっと前のアメリカ合衆国には、「トランプ王朝」なるものが出現していた。
王や王の家族を処刑したフランス革命や、ロシア皇帝一家を殺害したロシア革命などの行為は、一般の国民の発想ではない。
■議会制民主主義発祥の地の英国でも消えなかった王室
ただし、フランス革命において、フランス人は王や王妃を斬首したのに、その後数回ほど王制に戻っている。奇妙なことである。王様とか女王様とか貴族とか、お姫様とか王子様とかには、何か人々の心を揺さぶる魅力があるようだ。
そういえば、1997年の夏の終わり頃に、英国の第1位王位継承権者であるウェールズ公チャールズ王子の元妃のダイアナさんが事故死(?)したときの英国民のヒステリックとも見える嘆き悲しみ具合に私は非常に驚いた。
英国人もいろいろだし、メディアが伝えるから事実とは限らないにしても、多くの英国人がダイアナ元妃の死に深く衝撃を受けたことは事実だったらしい。テレビに映し出される英国民は、ダイアナ元妃の英国での住居の宮殿の前に花を手向け大泣きしていた。私にとっては不思議な光景だった。多くの人々が、その死を嘆き悲しむほどのことを、ダイアナ元妃はしたのだろうか?
ダイアナ元妃の悲劇に非常に感情移入して大騒ぎをしている英国は、私が歴史の教科書で学んだ英国のイメージとは大いにかけ離れていた。
周知のように、英国は「立憲君主制」と「議会制民主主義」の発祥の地である。
■皇室や王室が続く理由
清教徒革命にしても名誉革命にしても、実際はカトリックと国教会の対立や、イングランドとスコットランドとアイルランドの対立など、議会と王との対立以外にも、いろいろな紛争理由があったが、それはさておき、要するに、私がここで言いたいことは、英国は、国王を処刑したり追放したりはしたが、王制を継続させたということだ。
なぜ継続させたのか? その理由については、高校の世界史の授業では教えてもらえなかった。私が考えるその理由は、やはり国家という共同体には、神と歴史と国家を繋ぐ聖なる特別な人間が存在するという「神話」が必要だということだ。
どうも、そういうファンタジーがないと人間は寂しいらしい。そのファンタジーは、もちろん個人が心の奥に抱く「存在しなかったが存在したかもしれない理想の自分の家族」への憧憬と郷愁の産物でもある。
ただの統治体である政府と、被統治者である人民で成立する移民国家や多民族国家ではなく、「自分たちは同胞だ」と信じることができる共同体としての国家は、「国家」と呼ぶくらいだから、拡大した家族である。その家長が王や天皇である。その大きな家族としての共同体の起源を厳密にたどれば、家長の祖先は異国からの征服者だったかもしれないにしても。
ともかく国家という共同体の要になるには、国会議員たちが束になってかかっても、「国民みんなの家族で、神と歴史を私たち国民の共同体に連結させることができる特別な存在としての王室」というファンタジーにはかなわなかったのだ。ファンタジーのほうが事実より強いことは、よくあることだ。
ダイアナ元妃の事故死を嘆いた英国民にとっては、ダイアナ元妃は、「我らが英国を神と歴史に繋げる特別な役割を持った旧家であり、我らの代表たる家族の長男の妻になったけれども、婚家の精神風土に馴染めず、かつ夫の不倫に悩み、勇気を奮って離婚して新しい人生を歩み始めたのに、若くして亡くなった可哀想な美しい女性」だったのだ。決して他人ではなかったのだ。
そのような英国人の意識も、Netflixが提供する英国王室連続ドラマのThe Crown を視聴する限り、かなり薄まりつつあるようだ。ああいう皇室暴露話ドラマが視聴者の人気を得ているということは、英国国民が王室の等身大の姿を受け容れていく、つまりファンタジーから解放されつつあるということを示唆しているから。
さて、将来、王室が英国国家という共同体意識の要にならなくなったならば、英国民は何を拠り所として共同体意識を維持強化するのだろうか。
■眞子様事変における日本人の意識
外国の英国のことはさておき、我が国の眞子様事変は、多くの日本人がいかに皇室に心理的に無自覚にも依存しているかを露わにした。
私自身が、眞子様の婚約者とされる青年の母親の問題や直系親族に自殺者が多いことや、(写真や動画でしか見たことはないが)その青年の人柄の悪そうな顔つきに、「なんで寄りにもよって、そんな人と?」と実に嫌な気持ちになった。遠い親戚の長女が決行しようとしている「どうみても幸福になりそうもない結婚」の噂を耳にしたかのように。
そう思っている自分自身に気がついて私は驚いた。考えてみれば、関係のないご家庭の、すでに成人したお嬢さんの問題であるのに。皇室の女性であるのだから、眞子様は食いっぱぐれることはなく、生活の基盤は保証されているのだから、本質的には心配などないのに。
皇室の方々が、いささかでも愚かだったり、軽薄だったり、庶民なみに他愛なかったりすると、自分の親の愚かさを直視するような不快さを感じるということは、私自身が、日本という想像の共同体の要たる皇室というファンタジーを無自覚にも心の奥に抱いていたからだと、私は気がついた。
「将来、王室が英国国家という共同体意識の要にならなくなったならば、英国民は何を拠り所として共同体意識を維持強化するのだろうか」と、私は先に書いたが、この問題は日本人の問題でもある。
その意味でも、今回の「眞子様事変」は、日本人の意識をいささかでも覚醒させる契機のひとつとなるかもしれない。
ファンタジーでない生身の人間で構成する皇室を意識するならば、皇室の方々への人権蹂躙のような言論は控えるべきだし、隣人に対するがごとく節度を持って遇するべきだ。
そのようなファンタジーを必要としなくても、大きな共同体としての日本の健全な社会の構成員のひとりとしての成熟した意識を持てる人間であることを、私たちは目指そう。
文:藤森かよこ