コラムと漫画、しかもプロの姉妹が一つのテーマで決闘する異種格闘表現バトル。今回のお題は【自然薯(じねんじょ)】。
◾️姉・地獄カレーは【自然薯】をどうマンガに描いたのか⁉️
◼︎妹・吉田潮は【自然薯】をどうコラムに書いたのか⁉️
自然薯
若い頃、とろろいもが好きだった。ジョナサンだったか、すかいらーくだったか、どのファミレスだったかは忘れたが、白飯か麦飯が選べて、麦飯にはとろろがついていたことがあった。麦とろってやつだ。ボソボソの麦飯に水で薄めたようなサラサラのとろろをかけて食べることに、妙に興奮した。「そこはかとなく貧乏くさくていい! 時代劇っぽくていい!」と、迷わず選んでいた記憶がある。飽食の時代に生まれると、「質素」は逆にごちそうになるものだ。
もちろん家でも、とろろいもは食べていた。かゆい思い出がよみがえる。子供が台所仕事を手伝うとき、親は包丁を使わない任務を子供に託すものだ。大根おろしとか、ぬか床を混ぜるとか、鰹節を削る(カンナのついた桐箱で、削ると下の引き出しにたまるヤツ、あったよね?)とか。
ということで、付き合いは長いのだが、長らく「とろろいも」という名前だと思っていた。大人になって、総称はヤマノイモで、いろいろな種類があるということを知った。おそらく私が食べていたのは、生産と販売が確立されていて、年がら年中入手しやすい長芋あるいは大和芋だ。地域によって呼び名も変わるようだが、ヤマノイモ科であることに変わりはない。
そのヤマノイモ科の中でも、お高くとまっているスターがいる。それが自然薯である。ジネンジョという響きからして仰々しい。晩秋から初冬にかけてのみ出回る天然の、というか、野生(自生)のヤマノイモを自然薯と呼ぶ。
都会に住んでいると、自然薯にお目にかかることはまずない。あっても、えらく高値なので気軽には買えない。
ところが自然薯は違う。「私は特別」という顔をして売られている。希少価値と粘りの強さと栄養価の高さとありがたみを振りかざしてくる。売り場でも特別扱いだ。日常食としては買わないわな。
実は、自然薯よりも愛してやまないものがある。それはヤマノイモの珠芽のほう。
むかごを初めて食べたのは、いつだったか。子供の頃ではないことは確かだ。雑誌編集者をやっていた頃だったかな。こんな地味で不味そうに見える食材があるのかと驚いた。なんというか、兎の糞のようなルックスである。
黒茶色の薄皮は地面の下にいる感を出す。
むかごこそ手に入りにくいのだが、旅先の道の駅とか農産物販売所で見かけたら、つい買ってしまう。一袋200~300円程度で売っているお手頃さ。高価な自然薯よりも、断然むかご派である。
塩ゆでもいいが、素揚げしても絶対にうまいはず。個人的には、米と一緒に炊く「むかご飯」が一番好きだ。炊き上がったらちょっと塩を振って食べると、どちゃくそうまい。むかごの野性味が白米の中で際立つから。さらに、禁断のバターをのせて、ちょっと醤油垂らせば、無敵のむかごバター飯の完成だ。
ベランダでむかご栽培……と一瞬考えたりもしたが、灼熱の都会でプランター栽培では厳しそうだ。
自然薯がテーマなのに、むかご愛を語る。主役よりも脇役に愛情を注いでしまう悪い癖。でも自然薯には代役がいる。長芋や大和芋がいる。栄養価も実はそんなに変わらないのではないかというツッコミもある。でも、むかごにとって代わるモノはない。あの色黒で地味で小さな球体には、「いったい誰が最初にこんなものを食おうと思ったのか」と考えさせる余白がある。地下茎である本体のヤマノイモに栄養を送りながらも、密かに我が身にもエネルギーをため込む「ちゃっかり感」もある。
自然薯だけでなく、栽培モノでも獲れるむかごだが、みんなもっとむかごを愛してやってもいいのではないか。地域によっては異なるが、とりあえず秋になったら、むかごを探してみるといい。
でも、自然薯のように年寄りからありがたがられることもなく、同じ黒い粒のタピオカのように若い子に人気が出ることもなく、名前すら知られていないむかごは、一度くらい脚光を浴びてもいいのではないか。そういう意味では、零余子なるキャラを作った「鬼滅の刃」は、改めて奥の深い作品である。観てないが。いつかちゃんと全部観ようと思った。全日本むかご愛好会会長(今作った)としては、今後もむかごの普及に尽力していきたい。
(連載コラム&漫画「期待しないでいいですか?」次回は来月中頃です)