■プーチンの飼い犬に敬語を使う安倍晋三



 《高須院長の女性秘書や津田大介さんら…愛知県知事リコール署名偽造事件 書類送検等の14人を不起訴処分に》(「東海テレビ」3月17日)という記事に対し、香山リカがツイッターで怒っていた。



《津田さんや私は「リコール署名偽造事件」にはかかわってません。

なぜ偽造にかかわってた人といっしょに「14人」と表現されてるのか、理解に苦しみます》



 これは私も記事を読んだときに同じことを思った。オウム真理教のサティアンの壁に立ち小便した奴が、「オウム真理教事件」と一括りにされるような話でしょう。日本のメディア、劣化が止まらない。



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 あまりにバカすぎるので昔の記憶が蘇った。



 2015年に東海道新幹線で男が焼身自殺を図り、火災が発生した事件があった。男はガソリンをかぶり火をつけ、巻き込まれた乗客の女性が死亡。乗客と乗員28人が煙を吸うなど重軽傷を負った。そのとき産経新聞をはじめとする一部のアホメディアが「新幹線の安全神話が崩壊」「安全神話に激震」などと書き立てた。説明するのも面倒だけど、新幹線自体が事故を起こしたわけではない。



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 つい最近までプーチンの飼い犬だった安倍晋三という男が《「核抑止の議論」必要 議論もさせないのは「日本の危機」を前に思考停止に陥っている 賢明な政治家や国民は目を覚ましたのでは》などと与太を飛ばしていた(「zakzak」3月12日)。



 いや、核抑止の議論を批判しているのではなくて、思考停止した安倍みたいなバカが中途半端な知識で核抑止の議論をしていることが「日本の危機」だと言っているのにね。



 さらには戦争が始まって興奮したのか、テレビ番組で「私たちが作った国際秩序に対する重大な挑戦だ」とも語っていた。

戦後の国際秩序をつくったのは連合国である。夜郎自大とはこのことだ。



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 夜郎自大の語源は「史記」にある。夜郎の君主は、漢の使者と会った際に、自国と漢ではどちらが大国であるかと問うた。大国の漢からすれば、夜郎などは取るに足らない辺境の一小国である。こうして夜郎自大は「身の程を知らず尊大ぶっているたわけ者」を意味する故事成語となった。



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 一部メディアで、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会オンライン演説で安倍とプーチンの蜜月関係を批判するのではないかと報じた。これは事前にきちんと説明したほうがいい。蜜月どころか、飼い犬、せいぜい鴨ネギか、歩くATMといったところだと。



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 いや、飼い犬未満かもしれない。それには根拠がある。安倍は2017年2月24日の衆院予算委員会で、プーチンの飼い犬の秋田犬「ゆめ」について、「見た目が結構迫力があったもので、少しこわごわ手を出したところ、ペロッとなめていただいた」と敬語を使っていた。

犬の世界にも序列があるのだろう。



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 安倍が近畿大学の卒業式にゲストとして登場し「これからの長い人生、失敗はつきもの。何回も失敗するかもしれない。大切なことはそこから立ち上がること。そして失敗から学べれば、もっとすばらしい」と発言。失敗から何も学ばなかったのが安倍の人生である。そして世の中にはとりかえしのつかない失敗があるという真実も、理解できないのであろう。バカに総理をやらせた結果が、日本の主権を棚上げし、持参金と一緒に北方領土を献上した究極の対ロ売国外交である。



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 立憲民主党の泉健太代表は、ゼレンスキーの演説について《私は日本の国民と国益を守りたい。だから国会演説の前に「首脳会談・共同声明」が絶対条件だ》《演説内容もあくまで両国合意の範囲にすべき。それが当然だ》とツイート(3月16日)。



 これに対し維新の松井一郎が「こちら側はオンラインでできるようにきちんと用意するだけだ。

ピントの外れたコメントが一番問題だ」と批判。ピントが外れているのは松井である。泉は国会演説に反対したわけではないし、日本の国益を考えて事前調整するのは当たり前だ。



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 麻生太郎が麻生派例会で、プーチンについて、名指しこそ避けつつも「暴挙に出た独裁者」との表現で厳しく批判したとのこと(3月10日)。「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」とか言っていた政治家もどこかにいたよね。







■榊英雄監督には安倍とプーチンが主人公の『蜜月2』を撮ってほしい

 



 映画監督による性被害を女優4人が告発したという事件があった。



 「週刊文春」は監督の榊英雄により、有無を言わさず性的行為を強要されたり、映画へのキャスティングをちらつかせて、なし崩し的に関係を持たされたと語る女優たちの証言を紹介。ちなみに、榊がメガホンをとった3月25日に公開予定の映画『蜜月』のテーマは「性被害」であるそうな。タイミングよすぎるだろ。文春もこのタイミングにきっちり合わせて記事を出したのだろうけど。

ギャンブル依存症対策を訴えながら、カジノ誘致に躍起になる維新の会みたいなものか。



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 榊には安倍とプーチンを主人公にした『蜜月2』を撮ってほしい。まあ、安倍の片思いだったわけだけど。



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《さんま、鶴瓶も驚いた…タモリが32年も「いいとも」を続けるために絶対にやらなかったこと》(「プレジデントオンライン」3月21日)という記事を読んだ。なかなか面白かった。



 タモリの執着のなさや失敗を引きずらない切り替えの早さなどのエピソードを並べた上で、「計画」や「目標」という概念を否定するタモリの言葉を紹介している。



《人生成功せにゃいかん、ナンバー1にならなきゃいかん、それには何歳までにこういうことをやっておかないといかん(笑)。ダメだよ、それじゃあ。苦しくなるから》



《なんかいつも、みんな何年後かに私はこうなりたいとかいうでしょ。目標を持って努力して頑張ることが、いいことのようにいうけど、いつも違和感があったんだよね》



《目標なんて、もっちゃいけません》



《目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ》



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 この感覚はすごくよくわかる。無暗に目標を持つことは危険だ。

三島由紀夫はこう言っている。



《未来社会を信ずる奴は、みんな一つの考えに陥る。未来のためなら現在の成熟は犠牲にしたっていい、いや、むしろそれが正義だ、という考えだ。高見順はそこで一生フラフラしちゃった。



 未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが〝文化〟の本当の形で、そこにしか〝文化〟の最終的な形はないと思う》(「東大を動物園にしろ」)。



 これは刹那主義的に生きることとは違う。未来に責任を持ち越さないということだ。三島は「人間というものは〝日々に生き、日々に死ぬ〟以外に成熟の方法を知らない」と言った。それは「自分は過程ではない」「道具ではない」と思うことと同じだ。タモリの感覚もこれに近い。





文:適菜 収

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