「高齢者の集団自決」発言で炎上中の成田悠輔は、自分が老人になったときに何を言うのだろうか。河野太郎は監視社会への推進発言を公然と垂れ流している。
■「唯一無二」の人々
成田悠輔という奴が「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言して反発を浴びているが、2年くらい前、新型コロナに関しても表現は抑えめだけど同じようなことを言っていたバカがいた。よって、これを成田個人の問題として捉えると間違える。新自由主義的なものに脳を汚染された大衆社会の問題として捉えるべき。
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人はかならず死ぬ。統計的には高齢者が先に死ぬが、実存的には自分がいつ死ぬかは分からない。ここ最近、一気にいろいろな人が亡くなったような気がする。もちろん、毎年多くの人が死ぬわけだし、そのように感じるのは年齢的なものもあるのかもしれないが。
今年になってからは、ちょっと思いつくだけでも高橋幸宏、鮎川誠、松本零士、門田博光、加賀乙彦、森田実、田勢康弘、目黒考二……つい先日には笑福亭笑瓶も亡くなった。「だめ連」のぺぺ長谷川(塚原活)も自宅で孤独死した。
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人が死ぬと美化されることが多い。安倍周辺にいた元NHK記者は安倍が死んでもヨイショ記事を書いているし、『安倍晋三・回顧録』という本も出た。森友学園への国有地売却を巡っては「私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない」と指摘。財務省について「自分たちの意向に従わない政権を平気で倒しに来ます」だって。当時も清和会を中心に財務省陰謀論が散々唱えられた。生前ホラしか吹かなかった男だから、信憑性についてはきちんと検証しなければならない。それとタイトルがいまいち。『或阿呆の一生』にすればよかったのに。芥川龍之介に失礼か。
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失われてはじめて大切さに気づくケースもある。先日、某所で酒を飲んでいて、最後に小籠包を食べようと思ったら、長年通ったその店が閉店していた。
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「唯一無二」という表現がある。亡くなった人に対して「唯一無二の存在だった」と使ったりもする。串カツというカテゴリーで言えば、私の場合、大阪の新世界の「てんぐ」がそれに当たるのかもしれない。大阪の串カツ屋にはいろいろ行ったがあまり美味しくなかった。
■自己愛過剰の幼児キャラ
安倍晋三も河野太郎もそうだが、なんで「自己愛過剰の幼児キャラ」みたいなのを支持する連中が多いんだろうね。スタンドプレーが大好き河野は一貫して「僕を見て」オーラを放ち続け、ピンク色のネクタイを締めて会見に現れたりもする。先日は国会で原発政策や外相時代に関わった北方四島を巡る日露交渉などについて「所管外だ」との答弁を12回繰り返した。野党は「説明責任を果たしていない」と反発したが、不誠実な人間が誠実な説明をするわけがない。2018年には日露関係についての記者の質問に「次の質問どうぞ」とだけ答えた。その次の質問にも「次の質問どうぞ」、さらにその次の質問にも「次の質問どうぞ」、そして「なぜ『次の質問どうぞ』というのか」との質問にも「次の質問どうぞ」。総理候補以前に、人間としての資質に極めて問題がある。
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河野はツイッターで批判的な意見を次々とブロックするため「ブロック太郎」と呼ばれている。おだてられると満面の笑みを浮かべ、少しでもけなされるとプンプン怒る。先日はテレビ番組で、迷惑動画のSNSでの投稿が問題となっていることについて、マイナンバーカードの認証機能を利用できるようにすれば、投稿者に年齢制限をかけることに役立つと、ますます変なことを言い出した。なお、「ダニング=クルーガー効果」とは、能力の低い人が自分の能力を過大評価するという認知バイアスについての仮説である。
文:適菜収