吉岡里帆の美しすぎる素肌の背中写真 驚きべき肩甲骨のラインにゾクゾク





     水着撮影会をめぐって、ひと騒動が起きた。今月、埼玉県の県営公園で開催予定だった撮影会が直前に中止となる事態に。

    共産党の県議団らが「性の商品化」云々とクレームをつけたことが原因だとされる。クレームをつけた側にはフェミニスト系の活動家が含まれ、最近よくある抗議行動に県が忖度した構図のようだ。



     共産党もフェミも世の中的には少数派だが、声がでかい。蠅が一匹でもいるとうるさい(五月蠅い)のと同じだ。しかも、人間なので駆除するわけにもいかないし、近頃ではクマが街に出没しても殺すなという人もいる。そんな困った世の中を象徴する騒動ともいえる。



     なお、元・内閣参事官の高橋洋一は「埼玉県営プール『水着撮影会中止』騒動の問題点 共産党県議団が曖昧すぎる根拠で言いがかり…妙な正義感で良くない結果も」(zakzak)という記事のなかで、



    「商業ベースの手順を考えてもあまりに乱暴」「主催者側のある会社は1000万円の損失が出たようだ」「未成年であっても、グラビアの仕事があるおかげで生活できる人もいる」



     などと指摘。正論だと思うが、正論が通じないのがあの手の人たちだ。ここではもっぱら、アイドルの歴史において「水着」がいかに重要かつ魅力的な文化であるかを語ってみたい。



     アイドルと水着といえば、かつて人気だった「アイドル水泳大会」的なテレビ番組を思い出す人も多いだろう。その嚆矢となった「紅白対抗スター水泳大会」(フジテレビ系)が始まったのは1970年。まさに、70年代の第一次アイドルブームと歩調を合わせていたともいえる。



     ただ当初、清純派で売りたいアイドルにとって、今でいう「巨乳」はむしろ隠したいものだった。アグネス・チャンなどは歌う時もサラシを巻いて、胸を平らに見せていたという。



     そんななか、同じ「アグネス」でも、ハワイから来たアグネス・ラムが巨乳で人気者に。そこに刺激されたのか、榊原郁恵のような巨乳がチャームポイントの国産アイドルも登場した。77年にヒットした代表作「夏のお嬢さん」の冒頭にある「ビキニがとっても似合うよ」は、アイドルと水着、そして巨乳の蜜月到来を告げた歴史的フレーズだ。



     ではなぜ、郁恵が歴史を作れたのかというと、底抜けに明るいキャラが幸いしたのだろう。とにかく明るい安村のハダカ芸がそれほどいやらしくないのと同じ道理だ。



     ただ、巨乳がもてはやされるようになると、そうでない人が引け目を感じやすくなる。相本久美子は自分の水着姿について「レントゲン写真みたい」などと自虐していたが、スレンダー系が好きなファンもいて、実際、彼女の水着グラビアも好評だった。



     また、自慢の脚線美を活かし、水着の仕事で不遇時代をしのいだ人も。堺正章から「水着歌手」と揶揄された浅野ゆう子だ。





    ■宮沢りえや菅野美穂のヌードはアイドルの暗黒時代だった!?



     そんなこんなで、80年代、第二次アイドルブームでは、デビューしたらまず自己紹介代わりに水着グラビアをやる、という流れが70年代以上に定着した。

    これはアイドルが売れる原理にも合っていて、初々しさをアピールできる。たとえ本人が嫌がり、恥ずかしがっていても、それが男には可愛くいじらしくも映るからだ。



     とはいえ、ヌードまで行くのはダメ。プールや海でも見られる水着は日常の延長だが、セックスでもしないと見られないヌードは非日常の極みなのだ。アイドルはあくまで疑似恋愛の対象であって、疑似セックスの対象ではない。そういう意味で、水着はアイドルの始まりで、ヌードはその終わりともいえる。



     その「水着はアイドルの始まり」に徹底してこだわった芸能事務所がイエローキャブだ。野田義治社長はタレントたちに「売れたら服を着せていく」と宣言して、実際、売れっ子にしていった。



     その起点となったのが、堀江しのぶ。巨乳で注目され、83年には「ビキニ・バケーション」で歌手デビューも果たしたが、郁恵の「夏のお嬢さん」のようにはヒットしなかった。そのうえ、胃がんを患い、23歳で亡くなってしまう。



     イエローキャブではその後、みるく(グループ名は「乳」に由来)の堀口綾子が22歳で自殺。

    また、事務所は違うが、意外な巨乳で話題だった岡田有希子も18歳で自殺したことから、当時は「巨乳と夭折」というギャップめいた感覚も抱かされた。



     ただ、細川ふみえや山田まりや、雛形あきこ、かとうれいこらが「イエローキャブの時代」を築いていく。これには、80年代末から90年代前半にかけて、アイドルと水着の関係が両極化したことが影響していた。水着を拒否したり、一足飛びにヌードに走ったり。「ヌードはアイドルの終わり」という原理からいえば、宮沢りえや菅野美穂のヌードはアイドルの暗黒時代を象徴するものでもあった。





    ■とにかく明るい安村にハダカ芸を思いつかせたAKBアイドルとは?



     しかし、90年代後半には、スレンダー系の逆襲と呼びたいような状況も生まれた。その究極は榎本加奈子だが、時代の頂点にいた広末涼子も水着姿を披露。「popeye特別編集」による写真集「Happy20thBirthday ヒロスエ、ハタチ。」では、中学時代、陸上部で鍛えたというしなやかな肢体が鑑賞できる。



     こうしたスレンダー系にもかなりの需要があることは、2000年代以降も小倉優子あたりが証明するわけだ。



     とはいえ、アイドルと水着の蜜月は20世紀とともに終わった感がある。「アイドル水泳大会」的な番組も、98年の「女だらけの水泳大会」(フジテレビ系)が地上波では最後だ。



     それでも、2010年前後にはAKB48が水着をフル活用して人気を拡大。

    全員が水着姿で歌い踊るMVは、アイドル版「リオのカーニバル」ともいうべきカオスを生んでいた。



     その公式ライバルとして作られた乃木坂46は基本水着NGで、それぞれの写真集でのみ解禁する戦略。これが当たり、多くの写真集がベストセラーになっていく。



     写真集といえば、AKB「神7」のひとり、渡辺麻友の処女作「まゆゆ」も、水着や制服が多用されたアイドルらしいものだった。その表紙に使われた体育座りポーズから、とにかく明るい安村はあのハダカ芸を思いつく。優れた文化は連鎖するのだ。



     しかし、4、5年前からAKBグループは水着の展開を弱めている。未成年メンバーの場合は特に「児童ポルノ的だ」という批判を招きやすいことからの「自主規制」でもあるらしい。水着撮影会中止騒動をめぐる記事にあった「妙な正義感」がここでも芸能のあり方を歪めているわけだ。



     そういえば、今回の騒動では吉岡里帆の過去発言が切り取られ、巻き込み事故みたいになった。彼女は女優としてブレイクする直後あたりまでグラドル的な活動に積極的だったが、その時期を振り返り「私は水着姿なんて絶対出したくなかった」とも言っている。そこが切り取られ、水着撮影会への批判に悪用されたのだ。



     じつはその発言のあと、彼女は、



    「今となっては、グラビアは本当にやってよかったです」



     と、総括していた。「(女優という)自分の夢をつかむために、それをやってほしいと求めてくれる人がいる以上、その人たちに応えるのが私の生き方」「だから、自分で選んだという自信はあります」と言うのである。



     実際、葛藤を経ての覚悟が伝わるからか、彼女の水着姿は魅力的だった。コスプレイヤーのえなこが示すプロ的になりきる覚悟もそうだが、アイドルの水着には自らの性を売り物にするうえでの覚悟が感じられ、そこが輝きを生み出すのだ。





    ■ポリコレ的な「妙な正義感」が文化をダメにする



     一方、ファンには性の目覚め、いわば覚醒がもたらされる。筆者は子供のころ、山口百恵の水着ポスターを見て、女体のくびれというものを知った。彼女が教えてくれた「女の子の大切なもの」のひとつだ。



     つまり、水着はアイドルとファン双方にとって、現代的な通過儀礼でもあるわけだ。



     通過儀礼といえば、江戸期から明治期にかけて、各地に若者組というものが存在した。10代後半から20代前半の男が加入し、年長者が年少者にさまざまな生活指導をしていくシステムだ。夜這いを指南して、童貞を捨てさせることもあり、性教育の場としても機能していた。



     これが廃れたのは、欧米諸国からの前近代的だという批判も一因。

    そう、いつの世もポリコレ的な「妙な正義感」が文化をダメにするのだ。



     アイドルの水着についても、まだまだ邪魔をする人が出てくるだろう。せっかくの文化を「芸能の敵」たちに燃やさせてはいけない。





    文:宝泉薫(作家、芸能評論家)

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