適菜収著 『安倍晋三の正体』(祥伝社新書)がベストセラー街道を爆進中だ。今回、日本の社会評論についても鋭い論考を重ねる生物学者にして評論家の池田清彦氏との白熱した対談を全2回にわたってお届けする。
■ニッポンを蝕む全体主義
池田:今回適菜さんは『安倍晋三の正体』(祥伝社新書)を上梓されたけど、大変面白かったですよ。適菜さんはその前に『ニッポンを蝕む全体主義』という新書も書かれていたけど、今回は安倍だけに焦点をあてたみたいだね。基本構造としては「ニッポンを蝕む全体主義」と安倍が体現しているものは重なっている。僕が安倍はおかしいなと思ったのは、第1次政権の総理を辞めるとき。「この人はかなり幼児的だな」と思ったね。政治家にはとても向いていない。小学生が駄々をこねているような感じで、なぜこんな人が首相をやっていたのかと疑問に思った。谷垣禎一さんのほうがはるかにマシだったけど、なぜか首相になれなかった。谷垣はリベラルっぽいところがあったから、安倍を支えてきた連中は、安倍のほうが操りやすかったのかもしれないね。
適菜:先生がおっしゃるように、全体主義と「安倍的なもの」は重なる部分が大きいです。もちろん、歴史的な背景により全体主義の現れ方は異なりますが、共通するのは大衆社会において発生することです。
池田:そうだね。大衆がいなければ全体主義は発生しない。ナチスドイツのヒトラーを熱狂的に支持したのは大衆です。ヒトラーの頃は反対する奴を全部追放したりした。時代が進んだから日本では支配の構造がマイルドになってきたよね。だからかえって続いたという面はあると思うんですよ。
適菜:アレクシ・ド・トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で、「穏やかな専制」という言葉を使っていますね。ここは今回の対談のテーマと深くかかわる部分だと思います。今の時代に「専制」のようなものが打ち立てられるとしたら、それは別の性質を持つものだろうと。それはより穏やかで、人々を苦しめることなく堕落させるだろうと。
《誰もが自分にひきこもり、他のすべての人々の運命にほとんど関わりをもたない。彼にとっては子供たちと特別の友人だけが人類のすべてである。残りの同胞市民はというと、彼はたしかにその側にいるが、彼らを見ることはない。人々と接触しても、その存在を感じない。自分自身の中だけ、自分のためにのみ存在し、家族はまだあるとしても、祖国はもうないといってよい》
国家や公共というものを前提としない人間をテクノロジーにより動員する。まさにそれが安倍政権だったと思います。安倍は銃撃され物理的には消滅しましたが、「安倍的なもの」は依然として今の日本社会を深く蝕んでいます。逆に言えば、戦後日本の病を放置してきたツケが回ってきて、腐ったものが押さえきれなくなり、安倍政権という形で一気に表出した。それで、国や社会がとんでもないことになってしまった。だから先生がおっしゃるように、安倍を批判するだけでは十分ではなく、なぜあのような人物を日本社会は生み出してしまったのかという構造の問題として捉えないと間違えます。
池田:そうですね。安倍が辞めて別の人間が自民党の総裁になっても基本構造は変わらない。根本が変わらないと。根本というのは、日本の大衆の心のインフラみたいなところが固定してしまいそこから抜け出せない。
適菜:だから総理が岸田文雄になっても変わらないですね。
池田:うん、まったく変わらない。
適菜:一部から総理候補と呼ばれる高市早苗や河野太郎、小泉進次郎みたいな連中も、恫喝体質、カルト体質、浅はかさ、無責任さ、強烈な自己愛など「安倍的なもの」を引きずっている感じがします。
池田:根本的な問題は、国民のためにという発想はハナからなくて、あるいは国力を上げるというパトスもなくなったこと。国力を上げようと国民も政治家も考えなくなったね。経団連の連中とか安倍の取り巻き連中は、国民は労働奴隷だと考えている。だからなるべく低賃金に抑えて搾取する。江戸時代の小作農みたいなものだね。
適菜:グローバル企業にとっては国家の権限は障壁でしかありません。だから連中の下請けの政治家はひたすら規制緩和、構造改革路線をとる。彼らは公共や国家単位の道徳には関知しないわけですよね。安倍を保守だと思い込んでいるバカもいますが、安倍を支えてきたのは新自由主義勢力、経済団体、政商です。昔の自民党と今の自民党は別物です。先生のおっしゃるとおり、国力、国益を考えない連中が、自民党内に巣食うようになってしまいました。
■維新の会とナチスの構造
池田:全くその通りですね。その流れで出てきたのが維新の会です。維新のやり方は、ほとんどヒトラーがやったのと同じ。
適菜:イギリスのボリス・ジョンソンも、嘘をついたとして、とっちめられましたからね。日本は完全に底が抜けたと思います。2021年の総選挙のときに、維新の馬場伸幸がテレビ番組や街頭演説で「私立高校も、大阪では完全に無償」とデマを流したんです。
池田:今、話題になっている車の買取りのビッグモーターの社長もそうでしょう。嘘でもデタラメでもとにかく儲かればいい、だめになれば逃げればいいと思ってる。今の政治家も日本がだめになったらカネ持って逃げればいいと思っている連中が多いと思う。そういう政治家に支配されているのだから、国家の体をなしていないよね。
適菜:大衆の心の負の側面を悪用して拡大するというナチスの手法を維新は忠実に実行していると思います。私は、ナチスという「絶対悪」を利用して、政治家にレッテルを貼るやり方は、思考停止を招き、間違うと思う。その上で言いますが、ナチスの手法、維新の手法を知れば知るほど、酷似していることがわかります。
池田:嘘をつく能力があるだけの人がのし上がっていくのはナチスもそうでしたね。そういう構造はどこから出てくるのか。国によって簡単にナチス化する国となかなかしない国があって、そういう点でドイツと日本は似ているところがあるのかもしれませんね。
適菜:維新は新興の地域で拡大しています。大阪でも古くからある町に住む、地元に根ざした、確固とした生活がある人は簡単に騙されなかった。彼らはふわっとした空気に流されにくいというのがありますよね。
池田:もともと大阪にいた人たちは、自分たちの商売のやり方もあるし、維新のやり方では成り行かないこともわかる。でも、外から入ってきて高層マンションに住んでいるような人は、「公務員は給与をいっぱいもらっていてけしからん」「税金を勝手に使っている」といった適当な言説に騙されてしまう。でも、実際に税金を勝手に使っているのは維新の政治家だよね。

適菜:維新をはじめ、あの類の連中の特徴は大言壮語することにあります。荒唐無稽な目標を定めることで、運動を持続させようとする。「大阪都構想」だって住民投票が通っても、大阪が都になるわけではなかった。大阪市が特別区に解体されるだけだったのに、維新は確信犯的に嘘をつき、大阪がニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、バンコクと並ぶ大都市になるといったデタラメな話で盛り上げ、大阪市の財源を狙ったわけです。その背後には竹中平蔵や菅義偉、安倍のような人物がいた。先ほどの大衆運動の話と同じで、社会に蔓延する悪意、不安、ルサンチマンが、維新のようなものを生み出したのだと思います。維新とその周辺は凶悪犯罪を含めて、数多くの問題を引き起こしています。これはTwitterにも書いたのですが、「なぜ維新の会は問題を起こす人物が多いのか」と問うのは間違いで、問題を起こすような人物だから維新に接近していくのです。遵法意識や社会性の欠如。維新にとって有権者は詐欺によって騙す対象でしかありません。
池田:そこは日本が貧乏になっていることとパラレルになっている。どこかに「自分たちよりうまく儲けている奴がいる」と思って憤慨するのだけど、それが維新や竹中のような奴であることには気づかない。そういう人がターゲットにされている。「公務員の給料を減らせ」といった類の言説に騙されてしまう精神構造は、江戸時代にだいぶ魂を抜かれたからかもしれないね。日本は市民革命を経験しなかったので、不満をぶつける対象は、自分たちよりちょっと上の暮らしをしている人になる。だからトップの連中の悪行が目に入らないわけだ。フランスみたいにデモもしないし。
適菜:先ほど先生に紹介頂いた『ニッポンを蝕む全体主義』に書きましたが、日本の近代化は内発的なものではなかった。むりやり鎖国を解かれて、西洋に巻き込まれていった。だから、近代化に付随して発生する「個人」が日本ではうまく成立しなかった。その一方でマイケル・オークショットが言う「できそこないの個人」「反-個人」が拡大していった。オルテガ・イ・ガセットが定義した「大衆」も同じです。要するに、隣の人と自分の価値観が似ていることに安心するような人です。確固とした自分というものがなく、世間体ばかり気にしている。前近代的な共同体から切断され、不安に支配された大衆は、自分をしばってくれる、管理してくれる強いリーダーを求めるようになる。政治はこうしたニーズに応えることにより変形していく。こうした「根無し草」の大衆が全体主義の土壌になるわけですね。
池田:まったくその通りです。1960年代、70年代に日本が経済大国になっていった要因はいろいろあるけど、日本人が横並びでもって自分の意見を言わないでやっていくのが当時の工業製品を作るうえでは一番適応的だった。しかし、それはいつまでも通用しない。それで外国に追い越されていったわけですよ。それは教育のせいでもあったんです。教育はひたすらバカな人間を量産するという文科省の方針でやった。「上の言うことを聞いていればいい」と思っている人間は工業化社会の中で奴隷労働をさせるのにはいいが、新しいことを考えたり、イノベーションを起こしたり、何か変なおもしろいことをやるのにはまったく適しなかった。そういう人間を叩いてきたわけだよ。スティーブ・ジョブズにしてもビル・ゲイツにしても日本にいたら落ちこぼれだよね。そう考えると日本は江戸時代から明治、大正とずっと変わっていない。自分たちで決めることができなくて、上に先導されると右でも左でもいいから「わーっと」ついていく。それでも第二次大戦前までは国家という発想があったから、トップの連中は満州国でも何でも作って、戦争に勝って世界を支配して自分たちの力を上げようとしたんだけど、今の日本はトップが国が潰れようが知ったことではないという感じだよね。それを示したのが安倍政権です。
【後編に続く】