東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「てらてつ(お寺で哲学する)」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。
■兵役における「現役」が生涯にまで拡大という話と同じ
「現役」。現在、ある社会で活動していること。現在、役割(地位や職)に就いていること。「人生100年時代」の裏側から隠しようもなく漏れ出てしまう算盤勘定に、どうにもモヤモヤしてしまいます。そのモヤモヤは「現役」という視点から晴らせるでしょう。ということで、「リカレント教育の矛盾」の最後のテーマは「現役」です。
さて辞書の意味を調べてわかることがあります。「現在」+「役割」=「現役」なんですねぇ。「現役」「現役」って、政治でもビジネスでも打算的に無批判的に使われていますが、不思議なことにこんな日常会話はあまり耳にしません。
「彼は今、現役だ」
大学受験界隈くらいかな、よく聞くのは。他の場面ではちょっと居心地の悪さを感じます。
そりゃそうです。「今、現役だ」がちゃんと意味を持つその大半は軍事界隈だからです。「現役」とは「現在、兵役に服している」ことなのです。ありがたいことに兵役がなくなった日本の私たちには縁遠いものになりましたが、「私は現役だ」は「私はただいま軍隊に属している」ことなのです。そしてこちらの「現役」には明確な対義語があります。「予備役」や「退役」ですね。軍隊での「現役」は英語で「active service(duty)」。そして予備役が「reserve duty」で「退役」が「retired」です。
兵役における「引退」は極めて明確です。任期がありますし、軍としての質を維持するためには心身の状態への配慮が不可欠。怪我や病気などで従軍できなくなれば「退役」になるそうです。自己都合の引退や、軍法会議を経ての不名誉除隊もあるそうですが、これらも有事における「精強さ(防衛省のホームページから引用)」のためには重要な制度と言えるでしょう。
軍人にとっての大事は、何よりもまず任務遂行と勝利。そのためには心身が精強でなければなりません。けれども人間はロボットではありません。40を超えれば精強さは失われていくものです。老成や熟成が通用する年齢になれば、すでに精強さはほぼ消え去っている。それが生身の人間なのです。
「リカレント教育」に関する言説では、この「精強さ」が「キャリア」「自分で稼ぐ力」などと表現を変えて潜んでいるのです。死ぬまでキャリアをアップし続けて、自分で稼ぎ続けてください。それが「生涯現役」の定義になってしまっている。どうやら、兵役における「現役」が生涯にまで拡大され定番になってしまっているようです。
■「人生100年時代」構想とは、高齢化社会の問題を解決するための一つの旗印
このような定番「現役」の好例が国勢調査にも表れています。総務省統計局が発表している人口の統計表には、現役世代「15~64歳」が一つの座標になっています。
「令和2年には65歳以上の者1人に対して現役世代2.1人になっている。今後、高齢化率は上昇し、現役世代の割合は低下し、令和47年には、65歳以上の者1人に対して現役世代1.3人という比率になる」
「現役ではない」は高齢以外にも様々な表現ができるでしょう。例えば余生とか老後とか。そして引退後とか。
このピンチ(?)を脱する窮余の一策が「人生100年時代構想」、つまり「国民が自主的に死ぬまでキャリアをアップし続けて、自分で稼ぎ続ける」仕組みを作ることなのです。ちなみに、この「キャリア」や「自主性」が紛い物であることは、前回、前々回で分析した通りです。
この政策にモヤモヤする人間が多いことに、私はむしろ喜んでいます。むしろそのモヤモヤが健全の証だと断言しましょう。公明党は、「リカレント教育」の分析においてこのような調査を下地にしていました。
「生涯学習については、この1年間に「したことがある」と答えた人は58.4%だった。これに対し、社会人となった後に大学などで「学習したことがあるか」とのリカレント教育に関する質問では、経験ありが19.3%、「学習したことはないが、今後はしてみたい」が17.0%だった。それとは逆に、「学習したことがなく、今後も学習したいとは思わない」と答えた人は58.1%に上った。この「思わない」は、30歳代で46.1%、40歳代で50.7%、50歳代で56.9%と、働き盛りの世代でも顕著である。まだまだ、大学や大学院、専門学校などで「学び直し」をすることに抵抗感があるということであろう」
そりゃ、私だって抵抗するわ! 「直し」って何なんですか? むしろこの「教育的指導」に、「直せ!」という威圧を感じ取ってしまいます。これまでの自分とはまったく別の人間になって、自分の責任で金を稼げってことですか? そんな命令を唯々諾々と受け入れる人は、相当の鈍感か奇跡的に従順な人間かのどちらかでしょう。
「現役」であることに「精強さ」が強いられるのなら、私は「現役」をやめます。私たちの「抵抗感」は正直なものです。このモヤモヤが証明しています。命令され圧力をかけられなくても鞭打たれなくても、私たちは本来、生涯現役なのです。お金を稼いでいなくても、現役ではいられるのです。でも、「現役」なんていうと曖昧になってしまうようですね。
■使用目的がはっきりしているスキルや知識はいずれ早々と駆逐される
あまり聞いたことはありませんが、「彼は現役のサラリーマンだ」を英語に直すと「He is an active office worker.」になります。ここで提案です。「現役」なんて言わずに、この文脈での「active」の意味を、より人間的な「活発な、積極的な」の意味に変えてしまいまいませんか? 「彼は活発なサラリーマンだ」にするのです。生涯の決め手を、稼ぐ力やキャリアではなく、「活発さ」にするのです。稼ぐ力やキャリアなどは、オマケにしてしまうのです。
「人間は活動において、自分が何者かであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、人間世界に姿を現す」
ハンナ・アーレントの名作『人間の条件』から引用しました。ここでアーレントは、「労働」「制作」「活動」を人間の基本的な活動力として分類しています。「労働」は英語では「labor、「制作」は「work」、そして「活動」が「action」ですね。苦役である「労働」の特徴は「繰り返し」です。日々同じことを反復させられる。それが「労働」へのマイナスイメージを形成しています。「labor」を強いる煽り文句に乗っかっては、自分の首を絞めることになります。
個人的な動機や理念であっても、「action」は必ず周りを巻き込んでいきます。現役を引退し「余生を楽しむ」。いいじゃないですか。存分に楽しみましょう。ただその楽しみを苦役からの解放という個人的な反動に限定してしまうから、「人生100年時代」なんて、奇々怪々な文句が横行してしまうのです。
「百歳まで現役」とは、百歳でも青壮年の力を維持することではありません。学び直しを通して自分をグレードアップし続けることでもありません。使用目的がはっきりしているスキルも知識も、いずれ早々と駆逐されます。そして、それらはひたすら「passive」に使役されるものです。
リカレント教育を受講し、新しい使用目的に合わせて、自身をバージョン・アップしていく人たちの生涯は、現役どころか苦役になってしまうでしょう。それがお好みの方は、どうぞご随意に。でも、そんなアップ・アップに狂騒するのは、愚かな利益偏向の人だけにしておきましょう。私たちが「あっぷあっぷ」することはありません。スキルは駆逐されますが、知恵と体験はちゃんと残ります。役に立たないかもしれませんが、ちゃんと生きています。65歳以降を高齢とするのなら、新しいスキルや知識の獲得ではなく、高齢者自身の知恵と体験の伝授・継承こそ「active」になるのではないでしょうか。
「現役」が、自分の命と身体を国益のために死ぬまで苦役に従事しろ、なんてことを意味したら笑い話にもなりませんよね。「I led an active life.」、私は死ぬときにこんな気分で死んでいきたいのですが、あなたはいかがでしょう?
文:大竹稽