早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第34回。電車内で泥酔し脱力した女の子を見かけたとき、神野はかつての自分の面影を見てしまった・・・





 【かなりの深酒をした様子の女の子】



 「助ける」「助けない」「自分が守れたのかもしれない」「これぐらい自分自身で学んだ方が良い」



 処理しきれていない感情たちが押し寄せて、私の思考能力を全て奪いつくそうとしていた。 



 電車の乗り換え案内アプリで終電までの時間を確認しながら、駅への道を一人急いでいる。「思ったより盛り上がったな」なんて考えながら歩いている間に、予想していたよりも余裕を持って駅に到着した。まだ賑やかさの残る構内をずんずんと進む。あちこちで陽気な声が飛び交っている。徐々に忘年会が復活してきているのだろう。そんな年が終わる浮き足立った雰囲気を感じながら、目の前に到着した電車に乗り込んだ。



 一人、目につく女の子が車内にいた。年齢は私より下で、まだ学生のあどけなさが残り、あまり派手ではない服装に身を包んでいた。

私と同じタイミングで電車に乗り込んでいたが、かなりの深酒をしたようで、駅のホームで友人と別れるときも足元がふらつき、何度かバランスを崩していた。どこか心配の気持ちはあるものの、幸いにも誰かと電話を繋げているようなので、「まあこの時期、飲みすぎることってよくあるよね」と呑気に見守っていた。



 そんなことを考えているうちに、車内のアナウンスが私の乗り換え駅への到着を知らせる。「ああ、急ぐことなく乗り換えできそうで安心」なんて考えながら、ドアの方向へと身体を向け、人々の流れに沿って進んでいった。



 ほんの一瞬の出来事であった。すれ違いざまであったが、今でもその様子をはっきりと思い出すことができる。先ほど見かけた女の子が、脂ぎった中年のサラリーマンに手を繋がれ、席に座るように促されていた。女の子はその状況をあまり理解できていない様子で脱力していた。いつのまにか繋いでいた電話も切れているようで、かろうじて携帯電話を落とさないようにぎゅっと握りしめているようであった。もちろん、隣に腰かけた中年の男性の目は、心配とは程遠い〈色欲にはらんだ目つき〉で彼女を舐めまわすように眺めていた。





【もう二度と同じ辛酸を嘗めないために】



 胸騒ぎがした。降車していく人の波に巻き込まれ、その様子を確認しつつも気がついたときには駅のホームへと投げ出されていた。

「一言でも声をかけなければ」と判断し、振り返ったときには音を立ててドアが閉じていった。どうすることもできないまま自らの帰路へとついた。 



 それから長い間考えていた。ただ現実として彼女がどうなったかを知る手立てがないため、あれこれ想像したところで、それは全て〈私が想像した結末〉で終わってしまう。そんな答えのでないことをいちいち気にしたところで、何も現実は変わらないのだから意味はないかもしれない。ただ、私の心の動きを観察した結果をここに記すことで、自分にとって何か意味のあるものへと変容させられるかもしれないと思ったのだ。



 この出来事を受けて、私の中に生まれた二つの感情の狭間でゆらゆらと揺れ動いていた。「どんな状況や理由であれ、女の子の心が傷つくような出来事に遭遇してほしくない」と当然のことのように思う。撮影でも、撮影外でもあまり思い出したくないような出来事を経験した身として、出来ることならばそういう思いを一度もせずに人生を歩んでほしいと願ってしまうのだ。何年たっても尾を引いてしまうような恐怖は知らない方がこの長い人生は生きていきやすい。



 しかし何も憚らずに言うのならば、心の中のどこかで「それぐらいの予測できる事態なんて、自己防衛するべき」と考えてしまうのは事実である。



 「え、これぐらい分からなかったの? ちゃんと自衛をしないと。」



 抱えている過去の傷は、何度もこの言葉で抉られてきた。

この社会で落ち度なく生きていくために、自分の身を守れるのは自分しかいないと言い聞かせて、想像し得る悪いシナリオを辿らないために自分の手で断ち切ってきた。もう二度と同じ辛酸を嘗めないために。





【あの頃、一番言われたくなかった言葉】



 皮肉なことに、いつの間にかあのとき一番言われたくなかった言葉――「自分はそうやってきたから、あなたも強く生きないと」と誰かに発言せずとも、心の中で呟いてしまうようになってしまった。この被害者が責め立てられる社会に順応して生き抜いてきてしまったのだなと、どこか物悲しく感じてしまう。「誰も守ってくれない」という事実が、私の瘡蓋をどんどん厚く、そして硬くしてしまったのかもしれない。



  私の過去は変わらないにせよ、誰かの未来を変えるために何かできるのならば力を尽くすのが最善であると理解しているし、そうすることが世の中に漂う空気を変化させていく近道となるはずである。ただ、頭で理解しているものの「誰かを救うことで、過去の私への救済になる」と言い聞かせなければ、ふっと暗い部分が浮き上がってしまう瞬間が存在してしまうのだ。



  己の脆弱さを呪いたくなる。



 そんな愚かさと弱さからこうやって思考を巡らせているのは私自身が一番知っている。知っててもなお、そんな存在を救済するために未来の何かに向けて、過去の戒めを記していきたいと思う。



(第35回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定 

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