■えも言われぬ輝きを放つ〝ジャニーのアイドルづくり〟とは

  



 2024年は幕開け早々、いくつもの衝撃が列島を襲った。アイドルオタクにとっての重大なその一つが、1月8日に発表された、Sexy Zone中島健人のグループ“卒業”だ。



 SNSではSexy Zoneのファンのみならず、あらゆる男性アイドルのファンたちから「ケンティーは永遠にSexy Zoneだと思ってた」「一番辞めないと思っていた人が……」と惜しむ声が上がった。



 一方、中島のファンの一部からは、「30歳が限度だと考えているのは知っていた」という気になる声も。中島の前に立ちはだかった壁とは何だったのか? 他のアイドルたちと比較しながら考えてみたい。



 なお、中島の所属事務所は現在STARTO ENTERTAINMENTと改称しているが、すでに退所した元アイドルも多く取り上げるため、ここでは便宜的に「ジャニーズ」と総称する。



 2011年、真っ白な衣装にバラを持ち、王道キラキラ路線でデビューしたSexy Zone。今やアイドルといえばまさしくキラキラした王子様のイメージだが、ジャニーズの歴史上、このイメージが定着したのはかなり最近だ。



 古くはたのきんトリオがブレイクし、後釜を狙ったシブがき隊も含めて、故・ジャニー喜多川の好みは“やんちゃ”な男の子。光GENJIはキラキラしたコンセプトだが、センターの諸星和己は、実は静岡から家出してきたゴリゴリのリーゼントヤンキーだ。



 SMAPも高校時代、中居正広はヤンキーと、木村拓哉はチーマーとつるんでいたというのは知られた話。さらにKAT-TUNに至っては、思い切りヤンキーコンセプトに振り切っている。



 総じて、ギラギラとした生命力のある“やんちゃ”な少年をかわいらしく着飾らせてステージに上げると、えも言われぬ輝きを放つ……といったアイドルづくりがかつてのジャニーズの定番であった。まだ入所もしていない見学生をいきなりステージに上げるという荒技もしばしば。

訓練や自己プロデュースとは縁遠く、生まれ持った輝きがものを言った。



 潮目が変わるのが2007年頃だ。まず、ドラマ『花より男子』で松本潤がブレイクする。彼が演じた道明寺司は、おバカで口が悪いという点で王子様らしからぬものの、財閥の御曹司という設定。しかもそもそも原作が少女漫画、つまり「少女が欲望する男性キャラクター」だった。



  



■〝王子様〟山田涼介に憧れてジャニーズに入ってきたのが中島健人だった

  



 先に挙げた“やんちゃ”系ジャニーズたちはみな、アイドルの仕事をこなしながらも、自分が男として憧れるカッコよさを追い求めていた。

かつてはそれがアブない魅力に映ったのだが、時代が変わっていき、ファンの少女たちの欲望が主体となっていく。



 嵐で一番の“やんちゃ”といえば実は櫻井翔で、カラコンとヘソピアスをいち早く身につけ、ジャニーズJr.内では短気と恐れられ、母校でもリーダー的な存在だったらしい。しかし所詮は慶応のおぼっちゃま、気質は優等生だ。他にもゲーマーの二宮和也や絵を描くのが趣味の大野智などを擁する、ヤンキーになれない嵐は、しだいに時代の流れとマッチして国民的アイドルに上り詰めていく。



 しかし「アイドル=王子様」を確立したのは嵐ではない。同じく2007年、Hey!Say!JUMPがデビューした。

その現センター・山田涼介こそが、アイドルの概念を変えた張本人だ。



 驚くなかれ、Hey!Say!JUMPのデビュー当初のセンターは、山田ではなく中島裕翔だった。Jr.時代の中島裕翔は、亀梨和也・山下智久出演のドラマ『野ブタ。をプロデュース』に亀梨の弟役で出演するなど、かなり優遇されたジャニーのお気に入りだった。



 一方の山田は中島裕翔ほどの寵愛を受けておらず、むしろなんと「YOUの笑顔、気持ち悪いよ」と言われたことまであるそう。そんな山田は、悔しさをバネに歌とダンスを猛特訓して頭角を現し、ついにデビュー、そしてセンターの座を奪うまでになった。



 ちなみに山田にとってのアイドルの原型は、母と姉がファンだというKinKi Kidsの堂本光一だ。堂本はそのビジュアルでまさに「王子様」と称されるアイドル。だが本人が王子様キャラを徹底しているかと言うとそうでもなく、むしろファンを「おばさん」「化け猫」と呼ぶなど、かなりの自由人だ。



 ありのままにしていたら勝手に「王子様」と呼ばれるようになった堂本とは違って、山田にはあらかじめ「王子様になるのが正解だ」という明確な目標があった。彼が当てはまりに行った正解こそ、母や姉をはじめとする女性たちが欲望する、脱臭されたフィクショナルな男性像だった。



 こうして山田涼介を境にジャニーズたちは、自らの憧れを追い求める存在から、ファンの憧れを満たしに行く存在へと移り変わっていく。

そして、この山田に憧れてジャニーズに入ってきたアイドルこそ、他でもない中島健人である。



 山田にとっては王子様でいることが生存戦略であった一方で、中島にとってはそれ自体が自らの憧れだった。つまり中島は「他者の憧れを満たすことに自ら憧れる」という少々複雑な入れ子構造をとっており、このメタさが作用して、彼の王子様的振る舞いは山田と比べるとたいへん誇張されたものになっている。



  



■中島も「YOUの笑顔気持ち悪いよ」とジャニーに言われていた!?

 



 中島は、ジャニーにもJr.時代からアイドルの才を認められていたとされる(「YOUの笑顔気持ち悪いよ」は中島も言われたらしいが)。彼は山田的な新しいアイドル像を実践してきた一方で、古典的なジャニーズだとも言わざるを得ない。



 その証拠に、注意深く見ていくと、好きな女性のタイプを聞く質問に嬉々として憧れのハリウッド女優を答えたり、ライブMCで下ネタを連発したりと、非常に人間くさくて“やんちゃ”な男の子らしい面が見えてくる。その自由人っぷりはファンから「おてんばプリンセス」と呼ばれるほどだ。



 山田涼介のようなメタなアイドルを実践しながらも、一人の男の子としての憧れを追いかけ続けてきた中島健人。そんな彼だからこそ、自分の中のアイドル像を凌駕する新たな憧れに突き動かされてしまっても不思議ではない。



 これまでの“やんちゃ”系ジャニーズたちは、ほとんどみなどこかで自分の本当の憧れに気づき、巣立っていった。長瀬智也はギターやバイク、赤西仁や渋谷すばるはそれぞれの音楽、山下智久は海外、森田剛は演劇……というように。王子様コンセプトと本人の憧れがぶつかってうまくいかなくなったわかりやすい例なら、平野紫耀だろう。



 こうしたジャニーズのほとんどは、無自覚のうちにステージに上げられ、当たり前にアイドルをやっていく中で、ある時はっと「アイドルの外側がある」と気づき、出て行く。しかし中島健人はこの点が違う。彼は最初からアイドルをメタに捉えていたのだ。アイドルを外側から見て憧れ、徹底的に分析して自己プロデュースに落とし込んできたからこそ、アイドルの限界値すらも、冷静な目で見えてしまうのだ。



 彼が「30歳まで」と限りを設けたのはこのためではないかと私は分析する。いずれにしても、中島健人はその成り立ちと、築き上げた立ち位置からして、非常に特異なアイドルだった(“卒業”後もソロでアイドルは続けるそうだが)。何歳になっても王子様キャラを貫く及川光博のような先例もありながら、そうした道は選べなかったのかと悔やまれる。



 また、山田涼介の背中を追いかけて入所したアイドルとしては、King & Princeの永瀬廉やなにわ男子の道枝駿佑が有名だ。いずれも王道キラキラ系を担うアイドルだが、中島健人ほどのメタさはないように思われる。彼らがこれからどのような道をたどり、どんな大人になっていくのか楽しみだ。



 



文:梁木みのり



(2024年1月26日配信)