早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。
【生まれ故郷と〈親バレ〉という出来事】
珍しく東京で雪が降っている。パソコンの前で作業をしつつ、集中力が保てなくなったタイミングで窓の外に視線を向けると、静かに降り続けている様子が確認できた。どうやら予報の通りしっかり積もりそうだ。私が抱えている仕事は全て家の中で完結するため、朝まで降り続いて交通機関が麻痺したところで私の生活には支障をきたさないし、雪が舞っているのを見て、高揚感を覚えるようなタイプでもない。本来ならばしきりに確認する必要はないはずなのに、こんなに眺めてしまう理由を私は知っている。そんなことを頭によぎると同時に、私の身体はずっしりと重くなっていった。
いつからだろうか、空から降ってくる真っ白い雪が嫌いになったのは。記憶を掘り返していけばそれなりに楽しい思い出―例えば飼っていた大きな犬と雪の中を走り回ったり、友人たちと遊んだりした記憶があるのにもかかわらず、それらを差し置いて私の感情に閉塞感をもたらしてくる。どうしても私の頭の中で雪と結び付けられるのは一つ一つの楽しい記憶ではなくて、あの息が詰まるような土地そのものなのだろう。
こんなことを自覚したのは初めてであった。そもそも私が記憶している限りで東京に来てからこんなに雪が積もったのを見たのは初めてであったし、無意識的に雪が降っている場所への旅行を避けていた節がある。そういえば、最後にあの土地を踏んでからもう4年が経っているのだ。あのときに雪が降っていたかなんてもう思い出すことはできない。
こんな静かな夜に決まって私の思考を奪っていくものがある。もう長いこと顔を合わせていないあの土地にいる血のつながった人間たちについて、次々に考えが思い浮かんではすぐに消えていく。ずっと前、デビューしてすぐの頃にいわゆる〈親バレ〉という出来事が発生した際に、「応援してもらえている」なんてどこかで発言した記憶があるが、それは状況を飲み込むことが出来ないまま、彼らが私を繋ぎ留めておくために苦し紛れにそう発言したに過ぎない。根底にある嫌悪感と揺らいだ私への信頼を抱えたまま、ここまでどうにかお互いを刺激しあわずに、ずっと下手に出ている状況だからこそ今でも関係が繋がっているというのが正直なところである。きっと少しでもダメージを与えてしまえば、それも簡単に崩れ去ってしまうだろう。
【気がつかなければ呪いじゃなかったのに】
「無にかえしてしまえれば」なんて決意した4年前と比べて、幸か不幸か見えている世界の範囲が広がり、より鮮明に見えるようになってしまった。ほとんどの問題は自力で解決できるようになったし、自分の足でどこへでも行けるようになってしまった。何かあったときに真っ先に相談する相手も変化した。あんなに大きいと思っていた背中も今見たらきっと小さく見えてしまうのだろう。
全ての幸せを同時に成立させることの難しさをぼんやりと考えている。あのときのまま無鉄砲に「縁を切ってでも好きなことをやりたい」と今も貫き通せればどんなに楽なことか。私が今やっていることもあまり受け入れられていないし、このまま突き進んでいけば、おそらくどこかで関係が壊れることは予測できている。彼らが望むような道へ戻ることも不可能ではないし、私はどんな環境でもちゃんと生きていける。ただそこは私にとっては酸素が薄くて、恐ろしく息苦しくなるような小さな箱の中に閉じ込められているのも同然だ。穏便に過ごし、老いていく彼らを幸せにした後で、果たして私の人生の地図を描き直すことはできるのだろうか。そんなくだらないことを考えては、すぐに考えることをやめている。
気がつかなければ呪いじゃなかったのにと思う。
恋人や友達のように前触れも無しに距離を置けたらいいのに。結婚相手のように紙切れ一枚で他人に戻れればいいのに。それでもどこか理解し合えるだろうと期待を捨てきれていないのは、この身体の中に流れる血のせいなのか、心の中に居座り続けるオレンジ色の記憶のせいなのか。結論が出るのはもう少し先になりそうだ。
この冬はもう雪が降らなければいい。そして来年は何かしらの出来事で雪の記憶を塗り替えられればと、小さく願うのだ。今の私ができるのはそんなちっぽけなことだけである。
(第38回へつづく)
文:神野藍
※毎週金曜日、午前8時に配信予定