早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。

その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」 赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第45回。どんなに親しい間柄でも相手との境界線を易々と踏み越えてはならないだろう。それが見ず知らずの匿名な人であるならば尚更なのに・・・



「好きだから」という気持ちを免罪符にして、相手の人生に土足で...の画像はこちら >>



【「好きだから、しょうがなかったんだ。」】



「好きだから、しょうがなかったんだ。」



「あなたのことを本気で考えているから、こんなことを言ってしまっただけ。自分以外にこんなに考えてくれる人間はいない。

だからどうか許してほしい。」



 そんな言葉を何度突きつけられただろうか。この人たちは好きという感情を理由にすれば、相手に対して躊躇するような素振り一つすら見せずに、土足で踏み荒らしても良いと考えているのだろう。私のことが嫌いだからという理由で何かを言われるよりもずっとたちが悪く、そしてずっと恐ろしく感じてしまう。



 年に数人、そんな人間が目の前に現れる。現れるといっても、ここ最近は顔を合わせるようなイベントをやっていないのでネット上がほとんどで、相手は素性が何一つわからない匿名の人間たちだ。



 対面だろうと、ネット上だろうと共通して好意的な言葉から始まる。

私のどこが好きで、どんな風に思っているのかを語られている。その後、相手からのメッセージは徐々に頻度が増していき、内容も過激なものになっていく。それは私から何らかのアクションがなくてもだ。そして相手からの要求もエスカレートしていく。「なんで見てくれないのか」「なんで返信してくれないんだ」「どうせ自分だけ無視されているんだ」と。現実で一回も話したこともなく、画面上でしか存在を認識できないのに、どうしてそんなに必死になれるのかと思いつつも、何もできないまま過ぎ去るのを耐えなければならなかった。



 彼らは普通の人間が想像している以上に厄介な方向へと事態を運んでいく。彼らが主張する愛の前では論理も、常識も、法律も通用しない。もちろん、私の気持ちや都合もだ。その中で過去に肝が縮むようなことがあった。





【ある日、自宅の郵便受けに届いたもの】



 ある日、普段通りに自宅の郵便受けから届いたものを取り出すと、他のものとは様子が異なる一通の封筒が入っていた。ぐちゃぐちゃになった封筒には、何らかの液体だったものが乾いた跡と読み取れないくらい汚い文字で何かが書かれていた。

念のため封を切って、中身を確認しても何も入っておらず、それがより不気味さを際立たせていた。そもそも自宅の住所が特定できるような情報を公開していないし、そのとき住んでいた家を知っているのはごく限られた人だけであった。誰かに首の根を掴まれている、そんな感覚が私を襲った。



 今ならばもう少し思考が働いたのかもしれないが、そのときは何か刺激することによって新たな被害を受ける方が恐怖で、何らかの行動を起こすことなく、すぐに廃棄した。あの頃は「そんなことをしている自分」を責め立てるだけで、誰かに頼るなんてこともできなかった。



 「どうやったら会ってくれますか」「付き合ってください」といったメッセージが送られてくる度に、エスカレートしていく要求を突きつけられる度に、この人たちは私の何が見えているのだろうと不思議に思ってしまう。

私の裸体を見たことで、私の性行為を見たことで秘密や特別感を共有した気になっているのだろうか。確かに、それらは近しい間柄の人間にしか見せないものではあるが、私の場合はそんな特別な意味を一つも持ち合わせていない。(ある意味、視聴者にそう思わせることができたのは仕事としては成功しているのかもしれないが。)仕事以外のそれ以上でも、それ以下でもないし、私の瞳が捉えていたのは画面の向こうの〈大勢〉であって、特定の誰かではない。



 裸体や性行為の一つ一つに意味があるとするならば、相手との関係が成立して初めて生まれるものだろう。そして愛情、欲の発散、仕事とその意味も一つとは限らない。

はっきりと言えることがあるならば、画面の中の私と、画面の外の現実が結びつくことは決してあり得ないし、そこに何か特別な意味が生まれることもない。それだけである。





【自己と他人との境界線】



 自己と他人の境界線を見誤ることなく、それぞれの関係性に応じて適切な距離感を持って接するのが普通のことだ。どんなに親しい間柄でも相手との境界線を易々と踏み越える行為は称賛されるようなことではないし、ましてや「好き」という気持ちで、しかもそれを免罪符のように掲げて、相手の人生や時間に踏み込むことはあってはならないことだ。たとえ、画面の向こうにいる人間だとしてもだ。



 沈黙することが解決だと思っていたが、最近は屈したくないといった気持ちが強くなった。身勝手な人間の行為に私が振り回される義理はないし、見過ごすことによって生み出された恐怖を繰り返したくない。



 こんなことを綴っても、私の表面しか見ていない人間からまた同じような言葉が送られてくるのだろう。少しばかりの絶望を感じながらも、私は毅然とした態度で接するだけである。





(第46回へつづく)





文:神野藍





※毎週金曜日、午前8時に配信予定