現代では当たり前のように日本の食卓に上る餃子だが、そもそもなぜ「ギョーザ」と読むのかについて答えられる人は少ないのではないか。実は中国語でも「ギョーザ」とは読まないのだ。

その由来を深く探っていくと、実は朝鮮語読みだった可能性も。呉智英著『言葉の常備薬』(ベスト新書)から驚きの説を紹介する。



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◾️餃子が特殊なエスニック料理だった頃



 私は18歳まで餃子を知らなかった。大学に入学して上京し、初めて餃子を食べた。旨かったね。以来、何千個も食べた。



 私が上京するまで餃子を知らなかったのは、少年時代を過ごした名古屋には当時餃子が普及していなかったからだ。全くなかったわけではないが、きわめて特殊なエスニック料理で、ラーメン屋や大衆食堂で普通に見られる食べ物ではなかった。



 名古屋ではないが同じ愛知県の蒲郡市出身のマンガ家高信太郎も、同じような体験をマンガに描いている。私より2年早く上京した彼は、ラーメン屋に入り、「餃子定食」と書いてあるのを見て、「鮫子定食ください」と注文して笑われたそうだ。鱈子のようなものだと思ったらしい。



 そんな話も、今では信じられないだろう。

日本中のスーパーやデパート地下の惣菜売り場で、餃子はいくらでも売られている。しかし、1970年頃までは、東京、大阪などを除けば、餃子は普及していなかった。



 さて、この「餃子」、初めてこの字を見たら、高信太郎でなくとも「ギョーザ」とは読めない。あえて読めば「こうし」だろう。それなら、「餃子」を「ギョーザ」と読むのは何語だろう。



 誰もが支那語(現在の中国語)だと答える。餃子は支那料理だからである。しかし、支那語では餃子を「ギョーザ」と発音しない。「チャオズ」である。外国の食べ物の名前は、庶民が耳で聞いて憶えるものだ。「チャオズ」と「ギョーザ」では、かなり違う。耳で聞いて憶えたとしたら、こんなふうに変化はしない。



日本人の9割が知らない、餃子を「ギョーザ」と読む理由    朝鮮語読みだった可能性も【呉智英】
写真:PIXTA



◾️「ギョーザ」は実は朝鮮語読みだった?

 では、「チャオズ」がなぜ「ギョーザ」になったのだろうか。



 一つには、支那語であっても北京語ではないのではないか、と考えられる。支那では、標準語(普通話)である北京語以外に、広東語、福建語など、いくつもの方言がある。この方言ごとに同じ漢字でもその読み方が違う。「餃子」を「ギョーザ」と読むのも、北京語以外の読み方なのかもしれない。



 三省堂の『新明解国語辞典』は、「チャオズの山東語」としている。この辞書は小型国語辞典ながら語釈がユニークで愛用者が多いが、「餃子」の読み方の疑問にもちゃんと答えようとしている。『広辞苑』では「チャオズの訛り」と簡単に片付けているが、先に言ったように、「チャオズ」が「ギョーザ」と訛るのは不自然である。



 萩谷朴『語源の快楽』(新潮文庫)では、山東語説をもう少し詳しく展開している。山東語では「餃子」を「ギャオヂ」と発音する。餃子を初めて食べた日本人が、これは何というものだと聞くと、山東出身の支那人が「餃(ギャオ)子(ヂ)・啊(ア)」と教えてくれた。それを「ギャオヂァ」というものだと思って「ギョーザ」になった、という説である。



 しかし、これはちょっと苦しくはないか。質問者の日本人の誰もが文末の「啊」を知らないとは思えないし、答えた支那人全員がいつも必ず「啊」をつけたとも限らない。そう考えると、山東語説にはいささか疑問が生じる。



 私は、「ギョーザ」は「餃子」の朝鮮語読みではないかと考えている。「餃子」の朝鮮語読みを片仮名で書けば「キョジャ」である。しかし、朝鮮語には長音記号がなく、また清音濁音の区別もない。文脈に応じて長音に読んだり、清音を濁音に読んだりする。日本語でも「二・二六事件」を「にーにーろくじけん」、「黄」を「きー」と読む。以前に書いた連濁現象も清音濁音を区別しないから起きる。これと同じだ。従って、「キョジャ」が「ギョージャ」に聞こえることもある。これが「ギョーザ」に転訛したと考えていいのではないか。



 かつて旧満洲には朝鮮人が多数入植していた。そこで憶えた餃子を日本人相手に売り、日本人は朝鮮語読みで餃子に親しんでいった。というのが、私の推測である。



【補論】 「餃子」を朝鮮語読みすれば「キョジャ」(ギョージャ)だが、朝鮮語に「餃子」という言葉があるわけではない。朝鮮語では餃子は「マンドゥ」である。





呉智英 著『言葉の常備薬』(ベスト新書)より抜粋



 

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