森羅万象をよく観察し、深く思考する。新しい気づきを得たとき、日々の生活はより面白くなる――。
第24回 注目してほしいけれど目立ちたくない
【「迷彩」の効果は相手の目による】
長男が2年ぶりに訪ねてきたので、奥様(彼の母であり、あえて敬称)も一緒に3人で久しぶりに少し話をした。そのとき話題になったのが「迷彩」だった。奥様は、本物と見間違うような虚像を目の前に投影できる技術が既に実現している、と思い込んでいて、自分はライブでホロスコープを見た、とおっしゃった。だが、僕と長男が「ホロスコープではなくて、ホログラム」「たぶん、単なるプロジェクションだと思うよ」と説明をした。
それから、「光学迷彩」に話が移った。これは漫画『攻殻機動隊』にも登場する未来技術だが、そういうものが現在のコンピュータの演算速度で可能だろうか、と僕は疑問を呈した。
簡単にいえば、カメラで撮影したバックの映像をモニタに映せば、そのモニタは透明に見え、そこに物体が存在しないようにカモフラージュできる、というものだ。ちなみに、この「カモフラージュ」を日本語で「迷彩」という。
視点が固定されている場合、平面モニタでなら誰でも簡単に実現できる。
しかし、視点が動くと、映し出される映像も変化しなければならない。近づけば大きくなるはずだし、横へ動けば見える範囲もずれてくる。しかも、複数の視点がある場合には、そのそれぞれに別の映像を見せる必要がある。見る位置に応じて異なる映像を演算し、それを連続して表示しなければならない。原理的には可能だと思われるけれど実現していない。つまり、実用可能な光学迷彩はまだ存在しないということになる。僕が演算速度的に無理なのではと話したら、長男は現在の技術で可能だといった。まあ、彼の方が現役なので、そのとおりなのだな、と認識を更新しよう。
今回は、この「迷彩」について少し書こうと思う。迷彩服は流行したことがあるし、今でも迷彩柄のファッションをときどき見かける。
最近では、「ステルス」というレーダに映りにくい技術が開発されているが、「迷彩」というのは、あくまでも人の目を欺くためのもので、人の目以外で捉えられた場合には意味がない。映画『プレデター』に登場した宇宙人の目もそうだったが、赤外線カメラなどもそれに当たる。地球上の動物でも、人間とは違う目を持っているものが沢山いる。自分の目が「普通」で、見えるものが「自然」だと安易に思い込まない方が良い。
【「迷彩」というカラーリング】
最近、1/10スケールの戦車を作っている。砲身も入れると全長1mほどになるし、重さは20kgくらいあって、運ぶのが大変だ。ようやく走ったり、砲塔を動かしたりできるようになったが、まだ色を塗っていない。どんな迷彩にするのか、いろいろ資料を調べている段階だが、実物そっくりに作るつもりは全然ないので、真っ赤やピンクでもありかもしれない。
飛行機でも、戦争に使われる場合は迷彩のものがある。地上に置かれているときに見つからないようにするためで、緑系や茶系でランダムに塗り分けられる。逆に、機体の下側は空色で、飛行中に地上から識別しにくくなっている。このような敵の目を欺くカラーリングは、相手が人間の目なら有効だが、違う目で見られると通用しない。
人工物はだいたい一様な色だけれど、自然はごちゃごちゃと多種多様なものが入り乱れている。このような自然の中に人工物を隠す工夫が迷彩だ。しかし、たとえば市街戦になれば灰色系、砂漠なら黄色系の迷彩になるように、周囲に合わせてカメレオンのように色を変える必要がある。その究極が光学迷彩なるものであり、周囲に溶け込み埋没するような色や柄を作り出し、しかも瞬時に変化する機能が要求される。
さて、人間の振る舞いにも、この「迷彩」に相当するものが見受けられる。人は、だいたい自分を目立たないようにする傾向を持っている。群れをなしている動物は、目立つと捕食されてしまうから、そのような防衛本能が染みついているのだろう。
周囲に合わせ、みんなと同じように行動するには、周囲をいつも気にして、自分がどのように見えるのか、といった観察や想像をいつもしている。
一般に、「あの人は穏やかで良い人だ」と他者からいわれるような迷彩を纏う。周囲の空気が変われば、それを察知して瞬時に自分を変える機能も備わっている(「風見鶏」などと揶揄されるが)。まさに、社会学迷彩といえるのでは?
最近ことあるごとに飛び出すタームといえば、「協調性」である。現代社会を生き抜くために不可欠な能力だと謳われている。これが、今話した「迷彩」とほぼ同義だろう。一方、現代人を象徴するタームとして「承認欲求」があり、これは目立って注目されたい心理だ。一見矛盾したベクトルのように思えるが、実は目立とうとしているのではなく、むしろ目立ちたくない方向性だと解釈した方が近いだろう。「注目される」ほどではなく、かといって「無視される」のは絶対に避けたい。周囲に「溶け込む」状態を期待し、周囲から認められることで、多くの人は深い埋没感に浸り安心する。まさに、「迷彩」を纏っているのと同じ。
しかし、ここで注意すべき点は、やはり「誰の目から?」という問題である。
【目立つ「迷彩」もある】
迷彩は目立たなくするため、と決めつけるのも、また誤解である。実際そうではない迷彩もある。たとえば「幾何学迷彩」、日本語訳は、「幻惑迷彩」である。
目立たなくするのではなく、見間違いを誘うようなカラーリング、あるいは塗り分けで、むしろ大いに目立つ。これも、人の目を想定したもので、かなり古く(第一次大戦くらい)からある。興味のある人は検索しよう。艦船に施された例が見つかるはず。また、戦闘機などにも幾何学迷彩があって、こちらは「フェリス迷彩」が有名。
人の錯覚を利用した類似のものとして、最近になって登場した3D標識などが挙げられる。平面に書かれた絵が浮き上がって見え、ドライバをギョッとさせる効果を狙ったものだ。これもカモフラージュといえるけれど、「迷彩」には含まれないだろうか?
ファッションにも、迷彩は取り入れられた。僕が若い頃に、カーキという色が流行し、同時に迷彩柄のものが出始めた。「カーキ」は「泥」のこと。カーキ色というと、黄土色だと認識されているようだが、灰色や燻んだグリーンも含まれるように思う。プラモデルのカラーで、モスグリーン、ダークグリーン、マッド、アース、オリーブドラブなど多数の塗料が販売されている。これらを2、3色使って塗り分けると「迷彩」が出来上がる。
ファッションで流行となったのは、これらのカーキや迷彩柄が当時は「目立った」からだ。本来の性能の正反対の効果を狙った点が面白い。
動物のカラーリングに注目してみよう。トラやシマウマの柄は、目立たないものだろうか? ヒョウなどは、戦車の迷彩に近い。シロクマが白一色なのも、迷彩といえるかもれない。派手なカラーリングは鳥に多いが、隠れるつもりはなく、むしろ相手を怖がらせるためのカモフラージュだろうか。
【ゆったりとした晩夏】
8月になった。怒涛のゲスト・ラッシュも一段落。しばらくゲストの予定はなく、のんびりと過ごせる。奥様(あえて敬称)は、僕の3倍くらい7月が忙しかったはず。残念ながら手伝えるようなことがなく、それこそ日本で流行っている「見守る」ことしかできなかった。なんとか乗り越えることができたようなのでほっとしている。
工作は、戦車や自動車の模型を幾つか作った。工作対象として、鉄道や飛行機にこだわっているわけではない。共通しているのは大きいこと。戦車は1/10、自動車は1/4スケールだから場所を取る。大きめのおもちゃが好きなのは、どうしてだろう?
そういえば、僕が担当している犬も、森家史上最大のサイズに成長してしまった。なにもかも大きい方が良いのかというと、家や土地はそのとおりだが、自分が運転する実物の自動車だけは、いつもできるだけ小さいものを選ぶ。日本の軽自動車でも、まだ大きすぎると感じるくらい。最近の自動車って、何故こんなに大きくなってしまったのか、と嘆いてもいる。
文:森博嗣