10月1日に発足した石破内閣の支持率は、各社調査で50%前後。岸田内閣末期の数字と比べれば増えてはいるが、市場の反応(自民党総裁に決まった瞬間に日経平均株価が暴落)からして歓迎ムードではない。
「もともと、鳥取県かなんかでしょ。鳥取県なんか人口、何人おんねんっちゅう話でしょ?ものすごい少ないですよ、鳥取県の人口なんか。何人おるのか…数十万人ぐらいでしょ。そっから選ばれとるヤツが日本の総理大臣になんねん。もういいかげんにせえよ」(作家・百田尚樹氏)
「保守票が逃げるから総選挙で大敗」(経済評論家・渡邉哲也氏)
「石破内閣、異常行動連発!もう崩壊」(作家・門田隆将氏)
などど自身のSNSやYouTubeでコメントし「石破下げ」に躍起のようだ。石破はどうしてネトウヨに嫌われるようになってしまったのか。元ネトウヨだった筆者が検証を進めていく。(文中敬称略)
※ 歴史修正主義者によるデマと差別の塊のような内容をSNSやYouTubeに投稿する輩のことだ。共産主義が嫌いだが、共産主義が何なのかよく知らない。他人に責任を求めるが、自らの責任は全力で逃走し、違う意見を受け入れない。作家の適菜収氏は「ネットにウヨウヨいるバカ」と定義したことがある。
■親しみを込めたあだ名がつくネットの人気者から一転
かつて石破はネット上であだ名がつくほどの人気の政治家であった。小泉内閣で防衛庁長官を務めていたとき、親しみを込めて「ゲル」と呼ばれていたのだ。由来は当時パソコンで「いしばしげる」と入力すると「石橋げる」と変換されたことからきている。「ゲル」というあだ名は、以降使われ続け、自民党が野党に転落した2009年にはすっかり定着していたように思う。
人気はネットの中だけに留まらなかった。今では形骸化している「自民党ネットサポーターズクラブ」集会に来るとなれば大歓迎されたし、各地の演説会にも大勢の聴衆が集まった。大晦日の「笑ってはいけない24時」にも出演し、ジミー大西と一緒に仕掛け人として登場するなどお茶の間でも受け入れられていた。
2012年の総裁選では、安倍晋三に決戦投票で敗れたものの、地方票ではダントツの首位となり、総裁候補へと躍り出ている。
それだけ人気があったのに、現在はネトウヨからいわれなき誹謗中傷を浴びている。筆者は、自民党の野党時代に石破と一度だけ会話をしたことがあるが、何を質問してもすぐに返事が返って来る人だった。非常に頭の良い人だという印象だったが、ネトウヨにはそう見えないらしい。
今では石破に対してネトウヨは「中国・反日勢力のスパイ」「左翼の共産主義者」「女系天皇を認める売国奴」などとひどいレッテルを貼る。
いずれも言われなきものだが、中国に関して言われるのは日中国交正常化を果たした田中角栄の弟子だったからだろう。同性婚・同性パートナーシップや選択的夫婦別姓、人権救済機関設置にも賛成しているのも、ネトウヨの気に障ったのかもしれない。
とはいえ、石破にはネトウヨが好みそうなところもある。「9条改憲」、徴兵制に賛成の立場で、外国人参政権には反対している。しかもバリバリの国家主義者である。2022年には台湾へ渡り、蔡英文総統と会談して「対中抑止力のためには、有事における法律や運用について共通認識を持つべき」と発言している。
結局、石破が嫌われているのは政治的スタンスからではない。もっとくだらない理由だ。
■石破が嫌われるたった一つの理由「神との対立」
それは「安倍晋三と対立したから」に他ならない。
安倍晋三と言えば、ネトウヨから見れば神のような存在であった。安倍の発言や行動には全て賛成しなければならない。ひとたび安倍を批判すれば「反国家主義」「サヨク」「共産主義」とレッテルを張りつけて攻撃される。
反対に彼を持ち上げる言論人は賛美される。難しいことはない、安倍や安倍の盟友・麻生太郎と一緒に写真を撮影し、SNSにアップすれば「保守主義者」「真の愛国者」の誕生である。はたから見たら異様な世界だが、これが通常運転なのだ。
神である安倍が間違えるはずがない――。彼らはこの思い込みで生きている。森友学園問題で、近畿財務局のノンキャリアの職員だった赤木俊夫さんが自裁した時も、彼の死を嘆いた者は一人もいなかった。それどころか、安倍批判の急先鋒である立憲民主党の杉尾秀哉や小西洋之のせいにするデマに乗っかっていた。
ネトウヨが石破を攻撃する理由は他にない。「自民党内で安倍を正面から批判する石破が憎い」それだけのことだ。
安倍と石破は最初から反目し合っていたわけではない。政権復帰した2012年に、当時総裁だった安倍は石破を党のナンバー2である幹事長に就任させている。当時の安倍・石破体制の自民党に揉め事はなかった。
二人の間に亀裂が入ったのは2014年。安倍が内閣改造で石破に入閣を要請してからだ。石破はそれを固辞し、幹事長留任を求めた。安倍はこの頃から石破に対して警戒感を抱き、ネトウヨ言論人もそれに同調していった。
安倍が自民党内で権力を完全に掌握すると、対立の色が濃くなっていく。森友学園問題での安倍内閣の対応に対して、石破が真っ向から批判。2017年には以下の発言をしている。
「国有地は国民の財産で、不当に誰かの利得になっていいはずはない。野党に言われるまでもなく、政府・与党として解明すべきものだ」
財務省の決裁文書改ざんが明らかになり、自殺した赤木俊夫さんの手記が公表された際も安倍の対応を批判し、以下のような発言をした。
「政府は、再調査はやらないというなら手記に新しい事実はないと明確にすることが必要だ」
当時の安倍内閣は森友学園問題に関して「知らぬ存ぜぬ」を貫き、再調査の約束をしなかった。この頃からネトウヨ言論人が「後ろから味方を撃つ奴」と言うようになった。その犬笛に乗っかり、ネトウヨも同じ論調で石破を叩いたのである。
■2018年総裁選で安倍と石破の対立が決定的に
安倍と石破の仲が決定的にこじれたのが2018年の自民党総裁選。
三選を目指す安倍に対し、石破は、森友・加計問題を念頭に「正直」「公正」をスローガンに掲げた。この時、石破を苦々しく思っていたのが安倍である。石破を敵視し、徹底的に石破派を殲滅しようとした。
証拠は『安倍晋三回顧録』(中央公論新社)にある。安倍は総裁選を「野党と戦っているよう」と表現したのだ。
「野党と戦っている気分でしたね。私が弱っている時には、ここぞとばかりに襲いかかってくるなあと思いました」
総裁選で勝利した安倍は、石破派を壊滅させるべく派内の分断へと動いた。派閥のホープである山下貴司を法相に一本釣りしたのだ。その経過も同『安倍晋三回顧録』に書いてある。
「総裁選で石破さんは、日露交渉について『経済協力をしたから、領土問題が前進するとは思わない』と言い、日朝関係に関しては『平壌に連絡事務所を開設する』と打ち出していました。あまりにも私と考え方が違ったので、それならば石破派からは一本釣りして驚かせてやろう、と考えたのです。
その後も安倍は石破派を壊滅させるべく、同派の齋藤健を入閣させた。齋藤も山下同様、石破派を退会。安倍の思惑通り石破派は事実上消滅したのである。
■安倍からの攻撃にも大人しくならなかった石破
しかし、これで大人しくなるような石破ではなかった。
2019年の参議院議員選挙目前、自民党本部から全所属議員に配布された冊子がある。「フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識」というものだが、石破はこの冊子を全否定したのだ。
「作成者は『保守の立場から論じている』と言いたいのでしょうが、私に言わせれば、内容以前に悪意や中傷が目に付いてしまいます。(略)このような文章で広く国民の共感を得られるとは到底思えません」(「文藝春秋」インタビュー)
この発言にネトウヨは反発、石破への攻撃を強めていくことになる。ネトウヨが石破へ「離党しろ」「左翼」と言い出したのは、この頃からである。
ネトウヨ御用達メディアも援護射撃する。「夕刊フジ」では、2020年9月2日に石破のブログを取り上げ、以下のような記事を掲載した。
「韓国政府が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた背景について、『日本が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが問題の根底にある』と発信して話題となった。党内で疑問視されただけでなく、ネット上では『鳩山由紀夫元首相とソックリだ』などと批判された」
記事は「左派野党やメディアと重なる発言内容が、沖縄や野党支持者の評価を得た可能性はある」と締めている。まるで石破が野党やマスコミと結託して安倍を攻撃しているかのような内容である。
「安倍さんへの批判は許さない」「安倍さんを批判する石破は潰す」
これが彼らが石破批判を続ける理由であり、彼が何をしても否定するであろう。安倍や麻生の周りでチョロチョロしてヨイショしてきた連中は、ネトウヨに支持されて飯を食ってきた。これからも飯の種を確保したいから石破を叩き続けるだろう。
石破の前途は多難と言えるが、ネトウヨとネトウヨ言論人の戯言は無視してほしい。彼らは愛国者でも保守でもない「歴史や政治の知識が乏しいのに口出ししたい一般人」なのだから。
文:篁五郎