■新作ハンカチを求めて“3万人”が押し寄せる
タオルハンカチの新商品発売日。近沢レース店のホームページにアクセスすると、順番待ちを知らせる画面が表示された。そこには「整理番号:29371」「ご自身の前に並んでいる人数:14774」「待ち時間の目安:1時間以上」と記されている。
「ハンカチ欲しさに約3万人が殺到している……?」
信じられない気持ちで、画面に何度も目を走らせた。それから1時間後、やっと筆者がアクセスできるようになると、6品中5品がすでに売り切れていたのだった。
「たかがハンカチにどうしてそこまで」。そう思う人は多いだろう。しかし、同店の商品は「ただの」ハンカチではない。この日は新定番の「和レース」ハンカチのお披露目で、四辺を縁取るレースには「相撲取り」「お寿司」など、和のモチーフが形作られている。
「引っかかりのあることをやらないと、面白くないでしょ」と語るのは、2024年に5代目社長に就任した、近澤匡祐さん。その目は言葉とは裏腹に、真剣そのものだった。
同社でこれまでに誕生したタオルハンカチのデザインは、約300種類。「おにぎり」「ビール」「将棋」など、どれもユニークで、ついじっくり眺めたくなるものばかりだ。有名アパレルブランドの「ユナイテッドアローズ」でも取り扱われている同商品は、年間150万枚が販売されている。単純計算すると、1日あたりの販売数はおよそ4110枚。つまり、21秒に1枚売れている計算だ。
しかし、レースのハンカチといえば、花柄や幾何学模様が定番だろう。創業124年の老舗レース店は、なぜこんなにもポップなデザインのタオルハンカチを生み出したのだろうか。
■定番のギフトアイテムで売上を伸ばす
近沢レース店は、横浜開港後の1901年(明治34年)に、近澤平吉によって創業された。
当初は絹の輸出事業を行っていたが、平吉の死後、妻・つるがベッドやテーブルまわりの麻製品を扱うリネンストアを開業。
つるは顧客の要望に応じて、家紋の刺繍やレースの装飾を施すようになる。すると、このサービスが好評を博し、レース専門店へと路線変更していくことになったのである。
戦後、百貨店へ出店するようになると、レース商品は返礼ギフトとして重宝されるようになった。当時はお中元・お歳暮文化が重要視されており、レースアイテムは3000円から5000円とお手頃価格でありながらも、「値段以上に喜ばれる品物」としてギフトにぴったりだったのだ。
そこで、テーブルウェアや出産祝いセットなどを販売したことで、一般市民に広く親しまれるようになる。その証拠に、近沢レース店の日傘は、長年にわたり母の日の定番プレゼントや普段使い用として購入されている。
■「タオルハンカチ」の裏で、店はジリ貧に…
レース付きのタオルハンカチが誕生したのは、それから50年以上経った2000年のこと。売れ行き好調だったタオルシリーズの派生商品として、販売されたのが始まりだった。
当初の商品は、細幅のレースを使ってループ状の飾りを付けた、「ピコレース」というシンプルなデザイン。翌年には、ロングヒットしていたシリーズの1アイテムとしても発売したが、生産数は年間数百枚ほどだった。
現在のように、たっぷりとレースが使われた商品が発売されたのは、2004年のことだ。
その後、パステルカラーの生地や複数のデザインを発売したことにより、タオルハンカチは着実に売上を伸ばしていく。発売から3年後の2007年には、年間2万枚弱を生産するようになっていた。
レース専門店に転身して以来、世の波に乗り、売上を拡大していた近沢レース店。しかし、この新商品の成長とは裏腹に、会社の経営状況は思わしくなかった。実は、水面下でジリ貧状態に陥っていたのである。
■「売れないものを売っていた」ギフト需要の減少、百貨店業界の苦境
「タオルハンカチが売れるまで、うちも結構厳しかったんですよ。特に、私が入社してからは……かなりきつかったですね」
2007年、銀行員を経て家業に入った近澤社長が直面したのは、「市場の変化」と「ブランドの迷走」という2つの課題だった。
時代の変化とともに、お中元・お歳暮文化がかつてほど重視されなくなり、ギフト市場全体が年々縮小。最盛期を迎えた1996年と比べると、その需要は半減していた。さらに、2000年代以降は百貨店業界全体が厳しい状況となり、出店先では従来のような集客効果が見込めなくなってしまった。
加えて、当時のラインアップは4割がインテリア商品だったが、そのマーケット自体がほぼなくなってしまったのだ。
逆風のなか、何とか業績を立て直そうとしたのだろう。気がつけば、店舗には「レース屋」らしからぬ商品も増えていた。機械刺繍が施された商品に、自社ブランド以外の洋服。
「これって、うちで扱うべき商品なのか……?」
売り場は混沌とし、ブランドは迷走していた。
■「もう一度レース屋になろう」
転機が訪れたのは、2009年のこと。経営企画を任された近澤社長は、「もう一度レース屋になろう」と本来のアイデンティティに立ち返ることにした。まず行ったのは、社員と一緒にレースの歴史を学び直すことだった。
「レースってもともと花柄だけじゃないんです。ステータスの高いものではあったけど、絵画や宗教的なメッセージをトレースしたり、家紋をレースで表現したものもあって。なかには『イソップ童話』の1コマを再現したものもあったようです」
それまでは定番の幾何学模様や、横浜市の花でもあるバラをモチーフにしたアイテムが多かったが、自分たちがごく一部のモチーフしかレース化してこなかったことを知った。
次に、「レースは何のためにあるのか」という存在意義を改めて考えた。ハンカチの場合、四方をレースで縫製すると、強度が高まる。また、レースをあしらうことで製品の印象が変わる。
「レースは主役ではなく、アイテムを引き立たせるスパイス的な役割」。そう再定義したことで、以降はアイテムとの掛け算で魅力を高められるものづくりを意識し、商品すべてに必ずレースの装飾を施すルールを作った。
■「百貨店の客=自社の客」という思い込み
取り組みのなかでも、特に力を入れたのはリブランディングだ。当時、近沢レース店の認知度は決して低くなかった。けれど、大半が「祖母の家にあった」「若い頃から母が使っている」など「かつて流行ったブランド」というイメージで、クオリティはあまり高くなかったのだ。
とはいえ、リブランディングのためにロゴを変えたり、大々的にCMを打ったりと、派手な宣伝活動は資金面から難しい。そこで、さまざまな客層に選んでもらえるようなアイテムを開発し、ラインアップ商品の割合を徐々に変えていった。さらに、百貨店以外の販路を模索すべく、オンラインショップを立ち上げることにした。
ところが、一部の社員からは
「百貨店のお客様は、こんな色味を好まないと思います」
「お客様がオンラインで商品を買うのは、少し難しいのでは?」
と苦言を呈された。
なぜなら、当時の主要な購入層は、70歳から80歳代の顧客だったからだ。
「長年の経験から『百貨店のお客様が自社のお客様だ』と、みんながインプットされちゃってたんですよね。だから、はじめは『シェアが大きいインテリアを堅調に守っていこう』という動きもあったんです。でも、私はずっと『ターゲット層を広げよう、商品の構成比を変えよう』と言い続けていて……。社員は面と向かっては言わないまでも、内心『うまくいくはずがない』と考えていた人も、きっといたでしょうね」
その後も王道のレースを取り揃えたり、「レース屋」らしくない商品の販売を思い切ってやめたりと、試行錯誤は続いた。このとき、期せずして売上を伸ばし始めたのが、前述のタオルハンカチだった。
■「サザエさん」が幸運の女神に
2010年頃からタオルハンカチを定番品としてラインアップした結果、販売数が年々増えていった。懸念されていたオンラインショップでも、想定以上の売上を上げるように。すると、2011年からさまざまな企業から声がかかり、コラボレーション商品を手がけるようになった。
はじめは店名を刺繍するのみだったが、百貨店を中心に多くのオファーをもらうように。そのうち第二の転機が訪れた。国民的アニメ「サザエさん」の限定アイテムを手がけることになったのだ。
担当者から「『サザエさん』のレースを作れないか」と尋ねられた際、近澤社長は「やらせてください」と即答した。過去にキャラクターのレースをデザインしたことはなかったが、レースが多様なモチーフを表現していた過去を知っていたからこそ、ためらいはなかった。
「スケッチとサンプルを作って確認してもらったら、あっさりオッケーが出たんです。よかったなと一安心していたら、『こんなにすぐ承認が下りたのは、近澤さんだけですよ』と聞いて。驚くのと同時に、とても光栄なことだなと思いました」
■運命を変えた「コロナ禍」
「サザエさん」のタオルハンカチをきっかけに、「ムーミン」や「ピーターラビット」など、有名キャラクターとのコラボレーション企画が次々に舞い込むようになった。
他企業やキャラクターとコラボレーションすると、既存の顧客層とは違うターゲットに商品を見てもらえる。そのため、当時は「コラボレーションにめちゃめちゃ力を入れていた」そうだ。
この成功体験で勢いに乗り、2013年に一般的な単色レースではなく、2色のレースを使用した「桜」のタオルハンカチを発売。2014年には「コーヒーカップ」のデザインを発売した。
すると、今までにないレースの装飾が評判を呼び、異例のヒットにつながった。これをきっかけに誕生したのが、季節限定の「シーズンタオルハンカチ」という概念だ。
シーズン毎に新作を発表するようになると、オンラインショップの主力商品がタオルハンカチへと変わった。そして、生産数がついに2万枚を超えた頃、運命を変えるコロナ禍に突入したのである。
■店頭重視からオンライン重視への転換
緊急事態宣言の発出で、直営店・百貨店は休業あるいは時短営業となり、主力販路がほとんど閉鎖されてしまった。メインの顧客層は、コロナウイルスによる感染リスクが高いとされ、当然だが外出を控えるようになった。オフラインの販路は当面回復が見込めない。となると、頼みの綱はオンラインショップだ。
「ネットで販売できなかったら、社員の生活を守れない。会社も生き残れない」。なによりも店頭販売を重要視していた社内の意識が、にわかに180度変わった。「オンラインに振り切ろう」。前々から構想していたものの、目の前のお客様のことを考えると二の足を踏み続けていたが、コロナ禍が最後の一押しになった。
「さて、この状況でまずは何ができるのか」。改めて考えたとき、思いついたのはマスクの販売だった。提携しているレースの縫製工場は、もともとランジェリーを作っているところが多い。当時、工場には下着に使うシルク生地が余っており、自社にはハンカチ用の麻生地が在庫してあった。そこで、それぞれの素材を組み合わせて、レースを施したマスクを商品化した。
「最初、様子見で販売してみたら、これが予想外に当たってしまって……。でも、コロナ禍が始まった当初は『マスクをつける期間はそこまで長くないだろう』と踏んでいたので、ちょっとずつ作っていたんです。大量生産に踏み切った段階で、負けると思っていました。
そうしたら、お客様の方から情報を取りに来てくださるようになったんです。『近沢のSNSやメルマガに登録しないと買えないぞ』となり、フォロワーや登録者が増えていきました。その後、マスク需要がひと段落したときに、タオルハンカチの販売数量が伸びてきたんです。マスクをきっかけに興味を持っていただいた方が多かったのかな、と分析しています」
■SNSをざわつかせたデザイン
それからは、オンラインショップ向けの商品開発にシフトした。意識したのは、「コミュニケーションのきっかけが生まれるようなアイテム作り」だ。
「これ素敵ね。どこで買ってきたの?」
「近沢レース店で買ってきたの。いいでしょう?」
こんな会話やストーリーが生まれる商品を作りたかった。単に美しいものは「きれいね」で終わってしまう。たくさんの人に知ってもらうためには、アイテムからコミュニケーションが広がる必要性があった。結果的に、このアイディアが外出自粛期間にSNSを眺めていた人々に刺さった。
2020年、黒と白のシンプルな配色のタオルハンカチが、SNSで注目を集めていた。デザインは「おにぎり」。タオルの四辺にびっしりとおにぎりが並んでおり、『おむすびころりん』の童話を彷彿とさせる。
「まさか近沢レースじゃないよなと思ったら、本当に近沢レースだった」。Xでは驚きのコメントが寄せられたが、発端となった投稿には1万2000件の「いいね」がついた。その後、「お寿司」や「ビール」といったタオルハンカチを立て続けに販売したところ、またもやSNSでバズり、嵐のような注文が入った。
「オンラインしか販路が残されていない状況になってから、販売数の伸び方がものすごく鋭角になりました。SNSがなければ、スピードはもう少し緩かったと思います。ネットで売れるものしか売上にならないので、もう『タオルハンカチでやりきるしかない』と腹を括りました」
■猛反対を振り切って発売したら、まさかの大ヒット
だが、外野の好意的な反応をよそに、社内ではちょっとした衝突が起こっていた。デザインを取り仕切る企画部から、待ったがかかったのだ。
それは「ビール」のタオルハンカチを作っていたときのこと。当初、デザイナーはビールのモチーフと「乾杯」の文字をデザインしていた。それを、「ビールに添えるなら『とりあえず』じゃない?」と近澤社長が変更を提案。しかし、実際のサンプルができ上がると、企画部のほとんどの社員から猛反対を受けたのだ。
「やっぱりちょっとふざけすぎてます。ネットでも『おにぎり』あたりから様子がおかしくなってきたと言われてますし、ちょっとは考えた方がいいんじゃないでしょうか?」
これまで「老舗のレース屋」というイメージを保ってきた以上、賛否両論があるのは目に見えていた。でも、ここで引くつもりはなかった。
「コロナ禍真っただ中でみんなモヤモヤしてるから、なんか面白いことをした方がいいでしょ、って。今までネタにもされなかったんだから、名前を知ってもらえること自体、ありがたいじゃないか、と。
仮にこの商品が売れなくても、みんなが話題にしてくれたらいい。赤城乳業さんで言ったら、ナポリタン味の『ガリガリ君』でいいと思ったんです。面白いことをするから、みんなが『次は何をするんだろう』って注目してくれるわけですから」
面白がって賛同したのは、営業本部と商品本部のトップを務める、近澤社長の2人の弟たちだけだった。結局、不安を抱く社員を説得して、そのままのデザインで発売を決めた。いざ蓋を開けてみると、「ビール」のタオルハンカチはあっという間に初回生産分が完売。その後、2度も再販されることになった。
■タオルハンカチが売上高全体の7割以上に
一段と反響が大きかったのは、2022年に発売した「将棋」のタオルハンカチだ。普段は1週間ほど在庫のある直営店ですら、その日のうちに完売。オンラインショップにいたっては、販売開始から2分足らずで売り切れる瞬殺状態だった。
発売の度に、「限定ハンカチが買えなかった」と悲しむお客様の声が届くようになった。けれど、近沢レース店のタオルハンカチは、熟練の職人によって縫製されている。そのため、お客様の声に応えたいと思っても、どうしても大量生産ができなかったのだ。職人を増やし、素材の仕入れ先を新規開拓して半期毎に増産していたものの、それでも供給が追いつかなかった。
その後も、「豚に真珠」「いくら」「桜餅」などのタオルハンカチが続々と発売された。作れば作るほど販売数量が飛躍的に伸びていく状況で、2023年には長らくの業績不振からV字回復を果たした。2024年には売上高がコロナ禍の2倍を記録。迎えた2025年は、オンラインショップの売上高がコロナ禍前の20倍、利益率にいたっては4倍の見通しとなっている。
「以前まで、タオルハンカチは雑貨部門の1商品でしかありませんでした。部門自体が全体の3割程度のシェアだったので、ごくごく少ない割合だったんです。けれど、今ではタオルハンカチが売上高全体の7割以上を占めています。
改革に着手してから、『レースの魅力を突き詰めよう・ターゲット層を広げよう・コミュニケーションが生まれる商品を作ろう』と取り組みを続けてきましたが、コロナ禍という半ば強制的な状況に置かれたことで、そのスピードが驚くほど加速しました。予想外のタイミングで実現できてしまった、というのが正直なところです」
■客層が若返り、従業員の意識に変化も
タオルハンカチのヒットにより、変化したのは業績だけではない。SNSでのバズりをきっかけに顧客層が若返った結果、社員の意識も変わっていた。営業マンは若年層向けの新商品を求めるようになり、デザイナーは新たな顧客層の声を反映したアイテムを、積極的に提案するようになった。
さらに、オンラインショップでの完売が続いたことで、元町本店に直接来店するお客様も増えた。横浜元町ショッピングストリートで、年2回開催される「元町チャーミングセール」には、かつての約2.5倍ものお客様がどっと押し寄せるようになった。2025年2月開催のセールでは、9日間で買上客数が約9000人にも上ったそうだ。
「初日はオープン前から長い行列ができていて、お店の周辺をぐるっと囲まれていたんです。あのときは、まるで城攻めを受けているような緊張感がありました(笑)」
コロナ禍で図らずも大躍進を遂げた近沢レース店だが、社長はいたって控えめだ。
「良くも悪くも屋号がレースなので、唯一無二の武器をひたすら磨くしかなかったんです。潔くここで勝負しよう、って。どんな企業にも絶対に何かしらの武器があると思いますが、一点集中で研ぎ澄ませるのが重要なんだと思います。私たちがやってきたことを集約すると、もうそれしかありません」
■これからもレースで勝負する
これまでに、「婦人画報・ローラアシュレイ・ゴディバ・サンリオ」など、有名ブランド・キャラクターとのコラボレーション商品を開発してきた。今でも企業側からたくさんの依頼を受けるが、「シーズンタオルハンカチ」の反響が大きくなったことで、コラボレーションの実現は約1年待ちの状況だと言う。
一方で、近澤社長は「これまでとは真逆のコラボレーションにも挑戦してみたい」と語る。
「五感でレースを楽しめないかなと思ってるんですよね。視覚と触覚はカバーできているので、味覚・嗅覚・聴覚の領域でレースを表現できないかと。例えば、チョコレート屋さんに近沢レース店っぽい商品を作ってもらうとか……。自分たちがレースを突き詰めることで、レースの持ち合わせているキャラクターを、別の手段で表現できたらうれしいです」
2025年秋冬の「シーズンタオルハンカチ」は、全部で14種類。「覆面レスラー」「卵かけご飯」「ボルダリング」など、またもや異色なラインアップが予定されている。
「ふざけたレースが思い浮かんだら、ネタ帳にメモするようにしてるんです。今回そこから採用されたのが、『クリームソーダ・覆面レスラー・ナポリタン』でした。普段企画部に提案すると『いいですね』と言いながら、そのまま流されちゃうことが多いんですけどね。今回は採用されたものが多くてうれしいです(笑)」
■母親にタオルハンカチを贈ってみたら…
取材を終えて、筆者は60代の母親に1枚のタオルハンカチをプレゼントした。偶然再販されていた「くり」のデザインを選んだのは、母の好きなモンブランがあしらわれていたからだ。「近沢レース店で買ってきた」と告げると、目を丸くした。
「近沢さんって、今こういうものを作ってるの?」
そう言って、いそいそとクローゼットから持ってきたのは、昔もらったのだという近沢レース店の定番ハンカチ3枚だった。どれも使い込まれて色褪せていたが、レース部分はぴしっときれいに揃っている。「きれいなハンカチだからおめかし用にしてたの」と感慨にふける母に、「これなら普段使いできるね」と言うと、いかにもうれしそうにじっくりとハンカチを眺めていた。
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弓橋 紗耶(ゆみはし・さや)
フリーライター
1987年、神奈川県生まれ。2010年からインフラ企業で営業・営業企画を経験し、2022年に独立。現在は、ストーリーライティングを軸とした取材・記事執筆などを手がける。企業の広報から経営者インタビューまで、営業現場で培った人との対話力を活かし、企業の持つ本当の価値や想いを言葉にして伝えている。
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(フリーライター 弓橋 紗耶)