■やなせたかしが入隊した小倉連隊ではビンタが横行していた
連続テレビ小説「あんぱん」(NHK)第11週「軍隊は大きらい、だけど」では、太平洋戦争で徴兵された嵩(北村匠海)が小倉連隊の内務班に配属された。そこで嵩を待ち受けていたのは、理不尽な暴力による支配だった。ここでやっていけるのかと暗い気持ちになる嵩だが、上官の一人・八木信之介(妻夫木聡)だけは厳しいながらも暴力を振るわなかった。
そんな中、嵩は炊事班にいる健太郎(高橋文哉)と再会。東京高等芸術学校の同級生で、下宿でも同居していた親友の彼から、八木はインテリだが、幹部候補生の試験を受けていない変わり者と聞く。しかし、八木の口添えで幹部候補生試験を受けた嵩は、乙種幹部候補生となる。
そうして嵩が伍長になったある日、弟の千尋(中沢元紀)が嵩を訪ねてきた。しかし、海軍予備学生に志願し、海軍少尉になった千尋は駆逐艦に乗り、敵に爆雷を投下する任務につくという。「法で弱い人を救いたい」と言っていた千尋の変貌ぶりにショックを受けた嵩は、その本心を問いただすが……。
妻夫木聡扮する八木上等兵は、初対面のとき「姿勢を正せ!」「気を引き締めろ!」と厳しく指導し、その迫力に嵩が気圧されるシーンが描かれた。しかし、この人物が嵩にとって大きな影響を与えることとなる。
■妻夫木聡演じる「八木上等兵」のモデルは?
では、実際にやなせの軍隊時代、八木のような人物はいたのだろうか。
評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(梯久美子著/文藝春秋)の中には、「上官や古兵もいろいろで、殴らない人は決して殴らない。どんな環境にあっても、自分を保つことのできる人がいることにも、嵩は気づいていった」とある。おそらく八木はそうした記述がヒントになっているのだろう。
また、ドラマでは戦争に向かう危うさとして、軍隊ではビンタや鉄拳制裁も当たり前で暴力に支配され、戦争とともに全体主義が横行し、「個」が踏みにじられていく様が描かれているが、これはやなせの次のような記述にも見ることができる。
「昔の軍隊教育というのはひとつのタイプで統一されていて、それは一種のファシズムに違いなく、リンチのやり方までほとんどおなじなのにはおどろく。こうして否応なしに洗脳されて軍人精神を叩きこまれる。学歴とかインテリジェンスとかはいっさい通用しない。それはむしろ小気味いいくらいで、ぼくは孤独なエイリアンだった」(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫)
■「ぼくは三年兵、新屋敷上等兵殿の戦友にされた」
また、軍隊の中の独特のヒエラルキーや待遇格差については、たびたび言及されており、『アンパンマンの遺書』の中でも「学校では馬鹿にしていた少佐がここではまるで雲の上の人で、遠くからはるかに顔を配するだけ」だったこと、一番怖いのは上官よりも「古兵」で、特に進級できない古兵が初年兵を眼の敵にしていじめることが横行していたこと、「戦友」と称して隣のベッドの初年兵が上等兵の整理整頓、靴磨き、銃剣の手入まで全部やらされていたことなどが語られている。
そんな中、八木のヒントになっているかと思われるのは、以下の記述だ。
ぼくは新屋敷上等兵殿の戦友にされた。三年兵で鬼屋敷と呼ばれて恐れられていたが、なかなかの快男子で、特に馬の扱いに関しては優れていた。手先が不器用なぼくは、とても上等兵殿の世話をするどころではなかったが、馴れぬ手に針をもって襟布を縫いつけたり、上等兵殿の靴下や下着の洗濯をした。
■八木と名前が同じサンリオ創業者もモデルのひとり?
幹部候補生の試験を受けるよう勧めたのが、この新屋敷上等兵だったかは記述の範囲ではわからないが、上官から試験を受けるよう勧められたことで、やなせも試験を受けることを決める。
この新屋敷が八木のモデルだと思われるが、八木の信太郎という名前、公式サイトの人物紹介に「戦後、嵩と思わぬ再会を果たし、のぶと嵩の人生に大きな影響を与えるようになる」とあることから、有名な経済人がモデルでは? と噂されている。
その人物とは、戦後に、やなせたかしの処女詩集『愛する歌』を出版し、雑誌『詩とメルヘン』も刊行したサンリオの創業者・辻信太郎だ。現在97歳で健在、サンリオ名誉会長である辻は、やなせより8歳下で、兵役経験はないものの、地元の甲府市で空襲に遭った経験から、キティちゃんなどのキャラクタービジネスで成功した後も、戦争反対のメッセージを発信している。
■軍隊は学歴社会、「大卒」は試験を受けて上官になる
ちなみに、幹部候補生とは一定以上の学歴がある兵を短期間の訓練で士官や下士官に養成するための制度のこと。軍隊では召集されて入営したときは全員が最下級で平等だが、その処遇は学歴によって大きく変わると説明されている。
ドラマの中で八木が一目置かれていたのもインテリゆえだが、意外にも軍隊には学歴社会の側面もあったのだ。
戦争が激化すると、やなせたちは中国へ派遣され、いよいよ「敵前上陸」として台湾の対岸である福建省に上陸する。ところが、アメリカの攻撃目標は沖縄で、最前線で進軍を阻むはずだった、やなせの部隊は空振りとなった。
結局、戦死を覚悟していたものの、「何かの見えない力(父の霊ではないかと自伝では記している)」に守られ、戦闘になることなく、芋畑の中に陣地を設営。現地語の通訳を連れて、紙芝居を作って村をまわるようになった。これが各地で大ウケで、通訳の中国語の中に日本軍の悪口みたいなものも入っていたのではないかと、やなせが推測するほどの盛り上がりとなった。
■いよいよ戦況が悪化し、上海に向かって1日40キロの行軍
1945年5月、日本軍は部隊の全てを上海に集め、決戦に備えることを決定する。やなせの部隊は太平洋岸の山岳地帯を上海にむかって1日平均40キロの大移動をする中、何度か中国軍の襲撃を受けた。命を落とす者もいたし、負傷者を置いて進まなければならないこともあった。
この苦しい行軍の途中、やなせは新聞記者であった父のことを思った。やなせが歩いた道は、父が上海の東亜同文書院に留学し卒業した時の調査旅行で通ったルートと似ていたためだ。やなせ自身、上海で終戦を迎えたこと、父が上海支局に長い間いて、アモイで亡くなったこともあり、「父に呼ばれた」と感じていたのだ(『何のために生まれてきたの? 希望のありか』PHP研究所)。
■マラリアにかかり、厚さ2センチになった足の裏の皮がはがれた
上海近郊に到着、決戦準備をする頃、行軍途中で蚊帳を捨ててしまったためか、やなせにマラリアの症状があらわれた。40度以上の熱が続き、意識がもうろうとする中、珍しい経験をしたと言う。その記述が強烈なので引用したい。
「長い行軍で、まるで靴底のように分厚くなっていた足の裏の皮が、まるごとぼろっとはがれたのだ。見ると、厚さが2センチほどもある。『うわあ、まるで象の皮みたいだ。
命の危機に瀕してもなお好奇心を失わないのが、やなせらしさであり、やなせの「強さ」だ。しかし、そんなやなせにとって最大の苦しみは、飢えだった。
上海決戦に向けて食糧を切り詰める中、毎日の食事は朝晩2回、お湯の中に少しだけ飯粒が入ったおかゆのみだった。ひもじさのあまり、やなせは辺りに生えた草をゆでて食べ、しばしば腹をくだした。上官が飲んだ後の茶殻も食べたと言う。その苦しみについて、『やなせたかしの生涯』では「肉体的な苦痛にはいつしか慣れる。でも、空腹には決して慣れることができない。おなかがすくということが、こんなに情けなく苦しいなんて」と綴られている。
■「おなかがすくということが、こんなに情けなく苦しいなんて」
1945年8月15日。やなせたちの部隊は全員集合の命令を受け、ラジオの前に整列させられた。玉音放送は雑音だらけでほとんど聴き取れなかったが、大隊長が言った。
「日本は……敗けた」
やなせは正直ほっとしたと言う。
食糧は敗戦後全部放出され、「どうせ没収されるなら食べてしまえ」という理由で、食べきれないほどの美食が毎食並ぶようになった。飢えていたときには食べさせてもらえなかったのに、苦しくなるほど食べ、さらに腹をすかせるために付近を走って、また無理やり食べるという理不尽な経験である。
敗戦と同時に、部隊の内部も様変わりした。将校は自信を失い、隊の中心であった武闘派は影が薄くなり、文化的な兵隊が脚光を浴びる中、やなせは壁新聞を発行し、演劇大会では脚本・演出を担当。歌も作った。
やなせたちが中国から帰国したのは年明けだったが、自身の戦争体験について、80歳近くになるまで書いたり話したりすることはなかった。故郷を遠く離れてなくなり、遺骨も帰らない兵士や、命を落とした銃後の市民、上官の命令で捕虜や民間人を手にかけ、戦争犯罪人になってしまった者たちと違い、やなせは本格的な空襲を知らず、敵影も見たことなく、敵に実弾を発射したことも一度もなかった。そうした自分が戦争を語ることに「ある種の恥かしさ(※原文ママ)」を感じたのだと、『』には綴られている。
■正義が逆転することを目の当たりにし「アンパンマン」を生み出す
また、戦争の体験は、やなせのその後の人生に大きな影響を与えた。そこで得た信念が「正義は逆転する」というものだ。
『』では、自身の経験をもとに、こう振り返っている。
「僕らが兵隊になって向こうへ送られた時、これは正義の戦いで、中国の民衆を救わなくちゃいけないと言われたんです。ところが戦争が終わってみれば、こっちが非常に悪い奴で、侵略をしていったということになるわけでしょう(以下略)。ようするに、戦争には真の正義というものはないんです。しかも逆転する。それならば逆転しない正義っていうのは、いったい何か? ひもじい人を助けることなんですよ。そこに飢えている人がいれば、その人に一切れのパンをあげるということは、A国へ行こうが、B国へ行こうが、正しい行い。だから、ごく単純に言えば、その飢えを助けるのがヒーローだと思って、それがアンパンマンのもとになったんですね」
かくして自他共に認める「軟弱ボーイ」は、戦争で数々の理不尽を経験し、理不尽によって奪われた命や傷つけられた人々を目の当たりにし、シンプルで揺るぎない「逆転しない正義=アンパンマン」を生むのだ。
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田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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(ライター 田幸 和歌子)