何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
「視点が変わる読書」第15回
理想を現実にして生きるために必要なこと
◆『夢十夜』宇能鴻一郎 (廣済堂出版)
◾️何故官能小説の大家となったのか
今年8月28日、宇能鴻一郎さんが亡くなった。言わずと知れた官能小説の大家だ。
「性行為の描写を主題とする小説」であるところの官能小説は、今のように簡単にポルノ画像や動画にアクセスできない昔は多くの読者を持っていて、ほとんどは中年男性だった。
私が初めて官能小説めいたものに触れたのは中学生の時で、富島健夫の『少年』だった。富島も官能小説家として知られるが、中学校の図書館に堂々と置いてあったその本は純文学の棚に入れられていた。他の本と違って、性行為描写が詳細で、クラスメイトの女子で回し読みをしたのを覚えている。
その後はとんと縁がなかったが、業務委託で働いていた出版社で官能小説の文庫を担当することになり、毎月、多い時で3冊の官能小説のゲラを読むことになった。読んで驚いたのは、何と男に都合のいい世界であることか! であった。
何しろ、初老にさしかかった男のもとに昔好きだった同級生の娘がいきなり訪ねてきて、「おじさま、これから一緒に温泉旅行に行っていただけませんか」などと誘うのだ。
ありえるか! こんなこと! 心の中で悪態をつきながらゲラを読み続けた私は、最終的になるほど、官能小説というのは男のファンタジーの世界なのだということで納得したのだった。
理不尽な思いにとらわれながら私が必死に官能小説のゲラを読んでいた頃、宇能さんはほぼ引退に近い生活をされていて、新作も発表していなかった。けれど、官能小説の大家として有名であったし、そもそもは純文学作家で、芥川賞もとられていることに興味を持った私は、芥川賞受賞作の『鯨神』を読んでみたのだった。
ここに一巻の鯨絵巻がある。
小説はこの一節から始まる。
長崎の旧家の当主が鯨絵巻の所有者なのだが、絵巻は当主の祖父の代に長崎に勉強に来た絵師が、ひと月ばかり泊まらせてもらった御礼にと、肥前平戸島和田浦に伝わる「鯨神」の話を絵巻に描いて置いていったという。
当主が「わたし」に語る鯨神の話として、物語は展開していく。
この導入がいい。読者はここで「わたし」と重なり、伝説なのか事実なのか判然としない物語の中へと誘われていく。
巨鯨が和田浦に姿を見せたのは、明治の初めの頃だった。
銛師の息子も父とともに殺されたため、妻は孫の少年を海辺に立たせて復讐を誓わせた。ところが、この孫までも鯨との闘いに敗れ、死んでしまう。
そして登場するのが主人公の「シャキ」だ。シャキは孫の弟で、祖父と父と兄を「鯨神」と呼ばれる巨鯨に殺された復讐のため、自分の命をかけて闘う。
鯨はおそろしい響きをたてて咆哮し、鉤型の尾をたかく水上にかかげてから沈んだので、男たちははじめてその下半身だけをまぢかにみることができたが、すさまじいその巨大さはまさに海上にそそり立つ黒い天守閣といった感じでしかとらえることはできず、離れたシャキのせこ舟の太陽まで一瞬さえぎられて黒ずんだような気さえする。
銛綱はそのあいだにも矢のように走りだしてたちまちおしまいになり、こうして三重の網と、かろうじて銛綱をつけることができた六隻のセコ舟を牽引した鯨神の猛烈な逃走がはじまった。二隻のモッソウにくくりつけた綱のはしはたちまち切れ、数刻かかって追いつめた網場から鯨神はたちまちもとの地点まで泳ぎ、ふいに丘のような背を海面にみせてたかだかと汐をふきあげたと思うと、また尾をあげて潜水にうつる。(『鯨神』)
鯨神と人間の力と力のぶつかり合いが10ページ以上続く闘争場面は圧巻の一言だ。
◾️軽妙な文章の原点が、重厚で力強い文章であった
宇野さんといえば、「あたし、いけない女なんです」「課長さんたら、ひどいんです」など女性の告白体で書いた官能小説が有名だ。あの軽妙な文章の原点が、これほど重厚で力強い文章であったとは!
宇能さんの文章に魅せられてしまった私は、新作を書いてもらおうと思い立った。
夢十夜。
このタイトルでまず想起されるのは夏目漱石の短編小説だろう。別れた女が白い百合に化して再生する第一夜をはじめ、幻想的で怪奇な風景が十夜にわたって描かれている。
「宇能鴻一郎先生の『夢十夜』を書いていただけないでしょうか。枚数や書き方は自由ですが、官能小説ではなく、純文学小説として書いてください」
こんな文言を入れた原稿執筆依頼書をおそるおそる郵送でお送りしたところ、いきなり編集部に電話がかかってきた。
「宇能ですけど。面白そうなので、書きますよ。一度打ち合わせに家まで来てくれませんか」
受話器を持つ手が震え、呼吸が苦しくなったのを覚えている。
そして伺った、横浜市六浦にあるご自宅の前で再び私は震えた。
それは木々が植えられた広い敷地(約600坪)に建つ、まるでドラマに出てくる貴族の邸宅のような洋館だったのだ。
インターホンを押すと、女性の声が聞こえ、そのまま門を開けて入ってくるよう指示された。玄関の前に立つと、扉が開き、小柄な女性が現れた。宇能先生の秘書だという。
そこから通された部屋は100平米もあるのではないかと思われる洋間で、真っ白な壁に金の葡萄の装飾が施されていた。置かれている調度は全てアンティークで、フランスの貴族が使っていたかのようなソファに座り、緊張していると、赤い絨毯が敷かれた回廊式の階段を堂々とした風格の男性が下りてきて、「やあ、初めまして。宇能鴻一郎です」と名乗った。白いシャツに、チャコールグレーのスラックスというシックな装いだった。メディアでの露出を嫌い、姿を見たことのある人がほとんどいないという作家が目の前に立っていたのだ。
打ち合わせは問題なく終わり、秘書の女性が出してくださったお茶を飲みながら私が部屋をきょろきょろ眺めていると、宇能さんが言った。
「ここはボールルーム、つまり舞踏室です。毎月一回、ここでダンスパーティを開いているんですよ」
その日東京に戻った後も私は、現実との距離がうまくとれず、たまっているゲラチェックもできないまま、ただただぼーっとしていた。
宇能さんの原稿は毎回、原稿用紙に直筆で書いたものがFAXで送られてきた。
第一夜の「ヴィナス」は自分が少年期を過ごした満州での日々が綴られていた。
コソ泥に入ったロシヤの司令官宅で全裸で給仕をさせられた話――。
司令官夫人は少年が汚い恰好をしていたので、給仕をさせる前に浴室に連れていき、自分の手で少年の体を洗った。
口に押しつけられた夫人の下腹の柔らかさ、息苦しさ、剛毛の痛さとジャリッとした感覚。口に入ってしまったシャンプーの奇妙な味。これはそののち何度も夢で再現されたその時の光景に、後付けされた記憶なのだろうか。夫人の臍にはひときわ大きい水滴が体毛に宿り、冬の光線で七色にきらめいていたと覚えているのも、のちに知ったベリーダンサーの臍にはめられた巨大な宝石からの後付け記憶かも……どこまでが現実だったのか、今では確かめるすべもない。(「第一夜 ヴィナス」)
宇能さんは自分の中の官能や猥雑さが培われたのは、満州で過ごした少年時代だったと、文藝春秋のインタビューで語っている。
第二夜「殉教」、第三夜「少年」、第四夜「羅馬」、第五夜「聖牛」、第六夜「谷崎、三島」、第七夜「福岡」、第八夜「秘密」、第九夜「鮎子」、第十夜「愛人」と小説は続いた。
◾️谷崎潤一郎、三島由紀夫への強いコンプレックス
本文の中でも述べられているが、宇能さんはこの小説を平成版『サチリコン』として書いたという。『サチリコン』とは、ローマ詩人ペトロニウスが書いたといわれる悪漢小説である。
宇能さんはこの小説で、満州での少年時代、引き上げてから作家になるまでの経緯、谷崎潤一郎、三島由紀夫への強いコンプレックス、何故自分が官能小説家になったのかなど、自身にかかわるあらゆることを夢とも現実ともつかない話として書いている。
そこに現れているのは自身の理想を現実にして生きる強い意志だ。
宇能さんは徹底して崇高と壮麗を求め、卑俗を嫌った。
高校生の頃からクラシック音楽に魅せられ、ギリシャ、ヘレニズム彫刻を愛し、ゲーテの『若きヴェルテルの悩み』に震撼した。日本の古文書に親しみ、こうした古典趣味が芥川賞受賞作「鯨神」を初めとする初期の小説作品に結実している。
では何故官能小説を書くようになったのだ? 官能小説は卑俗ではないのか? と問われそうだが、それについては是非本書をお読みいただきたい。
官能小説で稼いだ宇能さんは、横浜市六浦に理想の家を建てた。私が訪れて驚愕した洋館である。本書によれば、自ら設計に関わり、自分でコンクリートを塗り込めるといった力の入れようだったという。
妻子は別の家に住まわせ、面倒な人付き合いを避け、自分の好きな物に囲まれて日々を送った。別に世捨て人というわけではない。妻と毎週のように高級レストランで美食を楽しみ、海外旅行にも頻繁に出かけていた。さらに、月に一度ダンスパーティを開いた。ダンスは個人レッスンで長年修練を続け、相当のレベルに達していたようだ。
しかし、ダンス関係の交遊は快適だ。何より全員燕尾服というのがいい。女性のドレスが引き立つので食卓の景色がいいし、ピアノ演奏のあと十時には全員引き上げる。それ以上の深い付き合いはない。いわば燕尾服やダンスドレスの彫像たちだ。深夜、一人になってから、シャンデリアを消した舞踏室の床にきらめく無数の宝石(裏に反射紙を貼ったガラスだが)を拾いながら、大鏡に映る自分の燕尾服を確認し、今日の女性たちの肩のなめらかさを想起する幸福……これ以上の交遊は絶対に不用だ。(「第四夜 羅馬」)
こんな理想の生活をするにはもちろん金がかかる。しかし、金があるからと言って、理想が実現できるものではない。
必要なのは、確信と意志だ。
古典趣味であること、純文学を捨てて官能小説家になったこと、面倒な人付き合いを避けること、そこには常に確信があった。しかし、時に確信がゆらぐ時もあっただろう。寂しさを感じる時もあっただろう。
しかし、宇能さんは、「感傷は愚劣だ、友情は不潔だ、悲しみは恥辱だ」と公言し、強い意志で自分の理想を現実にして90歳まで生きた。
『夢十夜』が刊行された2014年の年末、私は宇能邸のダンスパーティに招かれた。もちろん踊れない私はダンスをしなかったが、宇能さんが小説に書かれた通りの、燕尾服の男性とドレスの女性たちに囲まれ、陶酔の一夜を過ごした。
四十九日が過ぎ、宇能さんはすでに彼岸の世界に行かれたことだろう。あちらの世界でもきっと燕尾服を着て颯爽とした姿で女性をエスコートしているに違いない。
文:緒形圭子