子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【11冊目】「『CMナウ』がナウかった頃」をどうぞ。
【11冊目】『CMナウ』がナウかった頃
昔のツイッターで「○○なう」という言い回しが流行っていたのをご記憶の方も多いだろう。誰が言い出したのか、なぜひらがな表記なのかは知らないが、今のツイッター(自称X)の荒廃ぶりを思えば、実に牧歌的な時代であった。
しかし、「ナウ」という言葉が本当に流行ったのはそれよりもっと前、70年代から80年代にかけての頃だ。『時代が読める 広告三十年相』(日本広告業協会/1985年)には、1972年の流行語として「ナウい」が挙げられている。1972年といえば、伝説のテレビ番組『ぎんざNOW!』がスタートした年。それが流行のきっかけかどうかはわからないが、まったく無関係でもない気がする。
国会図書館のデジタルデータ(図書・雑誌約230万点)から言葉の出現頻度を可視化する「NDL Ngram Viewer」で調べても、「ナウな」は1972年から一気に増加し、ピークが1973年。「ナウい」は1980年に急増、「ナウな」と入れ替わるように81年をピークとして86年ぐらいまでは、結構な頻度で使用されている。
1984年10月には「週刊文春」で泉麻人『ナウのしくみ』が連載開始。ただし、こちらは著者自ら述べているとおり、当時すでにやや〈恥語〉=使うと恥ずかしい言葉になりつつあった「ナウ」を相対化する視点を含んだタイトルだった。国会図書館のデータにも80年代後半以降の分には「ナウなヤングのプレイスポット」みたいなネタ的使用が含まれていると思われる。それらを総合して考えると、72年から83年あたりまでが「ナウ」が真にナウかった時代と言えるのではないか。
ギリギリその時代の末尾に登場したのが『CMナウ』(玄光社)だった。1号目はコマーシャル・フォト別冊として1982年4月30日発行。表紙はポッキーCM撮影中の松田聖子を別アングルから撮影したもので、表4(裏表紙)にはそのポッキーの広告が入っている。話題のCMの舞台裏やクリエイターの仕事ぶりを紹介する雑誌であり、「気分は、すっかり、コマーシャル。」というキャッチコピーがいかにも80年代のノリである。
そんな業界的コンセプトの雑誌が成り立つのか? と思われるかもしれない。が、【5冊目】でも書いたように、当時は紛れもなく「広告ブーム」だった。1979年『広告批評』創刊、81年『ビッグコミックスピリッツ』誌上にてホイチョイ・プロダクションによる日本初(?)の広告業界マンガ『気まぐれコンセプト』連載開始。同年、糸井重里によるあの歴史的コピー〈不思議、大好き。〉が世に放たれ、翌82年の〈おいしい生活。〉へと続く。そうした状況下、『CMナウ』は創刊されたのだ。
巻頭は「POSTER GAL 1982」と題して、斉藤慶子(日本航空)、尾関由紀子(全日空)、早見優(旭光学ペンタックス)、三田寛子(カルピスソーダ)、ジャネット・リー(昭和石油)ら、キャンペーンガールたちの写真をズラリと掲載。
そして、モノクロページのトップ記事は「ザ・イトイ」。原宿セントラルアパートにあった東京糸井重里事務所訪問記、糸井の一日密着取材、糸井重里解剖図鑑など、糸井のすべてを教えちゃおう、というわけだ。こんな企画が7ページにわたって掲載されていることを見ても、当時の糸井人気のすごさがわかるだろう。
ほかにも「タモリ教授のCM講座」「桑田佳祐の広告狂騒曲」といった新進気鋭の売れっ子たちのインタビュー記事、原田治(イラストレーター)、稲越功一(フォトグラファー)、土屋耕一(コピーライター)ら人気クリエイターの仕事場紹介など、なかなか豪華な誌面。桃屋のアニメCMやマルちゃん「赤いきつねと緑のたぬき」などのロングランCMを振り返るコーナーもあり、巻末にはなぜか『気まぐれコンセプト』の再録があった。
この1号目には「VOL.1」などの記載はなく、次号予告もない。が、翌83年2月に「VOL.2」が出た。編集後記には〈お待たせしました。“ようやく”のCMナウ第2号です。
左綴じだった第1号から右綴じに、値段は980円から780円になり、誌面も雑誌らしく整理されたが、内容的に大きくは変わらない。表紙と表4広告が連動しているのも変わらず、VOL.2は斉藤慶子×日刊アルバイトニュース、VOL.3は美保純×マイルド白楽(焼酎)、VOL.4は中森明菜×キヤノファクスミニ、VOL.5は松田聖子×ミノルタトークマン(音声ガイド付きカメラ)といった具合。人気絶頂の女優やアイドル歌手の決め顔どアップの表紙は、当然ながら目を引く。石原真理子が表紙のVOL.6(84年秋号)からは季刊誌となった。
面白いのはやはり、特撮&トリック映像CMの舞台裏だ。CGで何でもできてしまう今と違って、知恵を絞ったアナログ手法には感嘆する。フィギュアスケートの渡部絵美が部屋の中を壁から天井へとぐるぐる回る東京ガスファンヒーターのCM、巨大なピンポン玉が飛び交う卓球台の上をおじさんが歩く東京海上火災のCM、「大きくなれよ」の巨人が出てくる丸大ハンバーグのCMなど、今も記憶に残るCMの撮影秘話は新鮮だった。
最近、海外で動画がバズったらしい乾電池のCMは、何の特撮もトリックもない愚直な発想によるものだ。おもちゃの消防士人形が高層ビルに掛けられた120mのハシゴを電池パワーで昇り切る。ビル壁面へのハシゴの設営に始まり、昇っている姿をいかに臨場感をもって撮影するか、その一部始終を追った記事は読みごたえあった。
CMに登場する女性タレントやアイドル、モデルにスポットを当てたコーナーも売りのひとつ。
この雑誌を、私は創刊からほぼ毎号買っていた。買っていただけでなく、投稿までしていた。VOL.4からスタートした「コピーレッスン・ナウ」というコーナー。課題に応じた読者作のコピーを、真木準、日暮真三、梅本洋一といった知る人ぞ知るコピーライターが選考と講評を担当する。そこに何度か応募していたのだ。
しかも、一度だけだが名前が載ったことがある。VOL.14(86年秋号)、岡部正泰氏が講師の回だった。課題は、3枚の写真と4つのクライアント&商品の中からひとつの組み合わせを選び、そのコピーを考えるというもの。詳細は省くが、私が選んだのは「おかめとひょっとこのお面のキス」写真と昆虫採集専門店「虫遊社」の組み合わせだった。
結果的に、その組み合わせは入選者なし。ただ、〈これも難しいだろうね。この組み合わせ選んだ人が少なかったものね。(中略)その中で敢えて挙げるとすれば〉ということで挙げられた4作のうちのひとつが私の投稿作だったのだ。
非常に恥ずかしいが、この際だから発表しておく。そのコピーとは…………「ぼくは、きみに、夢虫。」。
ああっ、いかにも80年代な句読点が今となっては超ダサい! 選評にいわく、〈まあ、ダジャレでかわすというのも、ひとつのテクニックではあるけれど、どちらにしても、まだまだ〉。いや、ホントすみません……。これぞ黒歴史というやつだ。
とはいえ、まがりなりにも名前が載ったのは正直うれしかった。当時の私は大学4年生で就職活動の真っ最中(今と違って昔の就活はのんびりしてた)。マンガ編集者になりたくて各出版社を受ける一方、コピーライターへの憧れもあり、広告代理店もいくつか受けていた。
今思えば、電通や博報堂に受からなかったのは幸いだった。受験したこと自体、若気の至りと言うしかない。が、あの時代、私のようにコピーライターに憧れた若者は大勢いたはずだ。前述のとおり当時は広告ブームであり、糸井重里を筆頭にコピーライターがスター扱いされていた。何しろ83年6月には『コピーライターズスペシャル』(誠文堂新光社)という丸ごと一冊コピーライターづくしのムックが発売され、84年3月には『ザ・コピーライターズ』と名前を変えて定期刊行化されたほど。84年7月には、お堅いはずの「別冊國文學・知の最前線」シリーズで『コピーの宇宙』なんてものまで出ている。どれだけコピーライターと広告コピーに注目が集まっていたかわかるだろう。
ただし、『ザ・コピーライターズ』はコピーライターブームにかこつけたサブカル雑誌といった雰囲気で、ちょっと別枠ではあった。広告に関する記事もあるにはあるが、その切り口もひねりが利いてて、全体的にふざけているというか変だった。3号の特集「高級藝術協会の秘密」なんかは、赤瀬川原平、南伸坊、上杉清文、秋山道男、平岡正明、渡辺和博、末井昭といった面々が大集合で、とんでもないことになっている。ディレクターとしてクレジットされているのは、当時の大ベストセラー『金魂巻』を手がけた神足裕司。今見ると、なるほど納得の誌面である。
そういう面白主義もまた、80年代の特質ではあった。が、冗談が過ぎたか、『ザ・コピーライターズ』は85年8月発行の5号で休刊。一方、『CMナウ』は「ナウ」が賞味期限切れになっても広告ブームが下火になっても、しぶとく生き残った。92年には、バブルも崩壊したというのに、季刊から隔月刊へ。それだけ売れていたということだろう。
個人的には90年ぐらいまでは購読を続けていたものの、その後は「CM大賞」の号などをたまに買うだけになった。主な原因はCMへの興味が薄れたことだが、雑誌自体がアイドル情報誌化していったというのも理由のひとつ。しかし、逆にそれが読者層の拡大につながったと思われる。2010年代には特集テーマがAKB48(の出演CM)とかになり、2014年11-12月号よりB5判からA4判に大型化、誌面もオールカラーになった。同号の特集は「石原さとみ」。もはやCMは付け足しだ。
今はどうかと調べてみたら、残念ながら2023年3-4月号をもって休刊していた。いや、紙の雑誌が極めて厳しい状況にあるなか、そんな最近まで続いていたのはむしろ大健闘の部類だろう。最終号の特集は「田村真佑」。乃木坂46の人らしいが、アイドルに疎い私にはわからない。今はテレビもまったくと言っていいほど見ないので、どんなCMが流れているのかすら知らない。「CM」からも「ナウ」からも、すっかり遠ざかってしまった私であるが、電通とか博報堂に受からなくてよかったと、つくづく思う。
文:新保信長