曖昧な告発と世間の空気によって犯罪者にされたジャニー喜多川と、潰されてしまった事務所。その流れは、今年の中居正広とフジテレビをめぐる騒動にも引き継がれている。

悪役を作って叩きまくる快楽。しかし、その流行は誰もが叩かれる対象になる時代の到来ではないのか。そんな違和感と危惧を、ゲス不倫騒動あたりまで遡り、検証していく。





  



第2回 SMAP解散、タッキー離脱。ジャニーズは一枚岩でなくなり、分断が深まった

 



 2016年1月13日、SMAPの分裂危機が表面化した。



 きっかけは、飯島三智マネージャーと、ジャニーズ事務所の最高権力者・メリー喜多川の確執だ。飯島の実力と野心を警戒したメリーは、実の娘である藤島ジュリー景子への権力継承をより安全にすべく、その追い落としを図った。一方、飯島はSMAPを連れて独立することで対抗しようとしたが、5人のメンバーにもそれぞれ思惑があり、計画が頓挫してしまうことに――。というのが、当時ささやかれた見方だった。



 結局、年内いっぱいでグループは解散。木村拓哉、中居正広というツートップは事務所に残り、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾という3人が数ヶ月後、飯島と行動を共にすることとなる。いわば、失敗したクーデターであり、3人はそれぞれの冠番組を失うなど多くのメディアから干されることに。

そのまま、過去に独立した多くのジャニーズのように尻すぼみになっていくと予想されたものだ。



 しかし、そういうことにはならなかった。飯島が仕掛けたゲリラ戦がそれなりの成果を上げたからだ。地上波のテレビが無理ならと、ネットTVに出演させたり、ユーチューバーをやらせたり、アンチジャニーズ的な出版社の雑誌に登場させたり。そこはさすがにメリーをも警戒させた大物というか、サントリーのような大手企業のCMも確保してみせた。また、ジャニーズが3人の活動に圧力をかけたかどうかをめぐり、公正取引委員会が介入したことから、公平性を「建前」とするNHKでの仕事を維持および開拓。公正取引委員会の介入が明らかにされたのは、ジャニーの死から数日後のことだった。



 もし、この解散騒動がなければ、あるいは飯島側の完敗に終わっていれば「ジャニーズ潰し」は起きなかったかもしれない。この騒動と飯島の善戦は、この事務所の求心力低下を印象づけ、また、多くの人にアンチジャニーズ的な感情を抱かせてしまった。 



 なお、ジャニーの死にともない、事務所は新体制へ移行。メリーが名誉職の会長に退き、ジュリーが二代目社長となったが、それ以上に注目されたのが滝沢秀明の存在だ。



「ジャニーさんに自分の人生を捧げたい」



 と語り、前年いっぱいで芸能活動から引退した滝沢は、ここで副社長に就任。

新人グループの育成や風紀の粛正などに尽力していくことになる。



 ただ、まだ30代の元タレントがそういう座に就くことは両刃の剣といえた。先輩タレントのなかには居心地が悪くなる人もいるだろうし、後輩タレントにカリスマ視されるまでにはかなりの結果と時間が必要だ。しかも、SMAPなきあとの国民的グループ・嵐は20年いっぱいでの無期限活動休止を決め、後継となるグループはまだいない。



 そんななか、筆者は『BEST T!MES』で2019年の重大芸能ニュースを選ぶ際「嵐とジャニーズ、終わりの始まり」というものを1位にした。理由は、以下の通りだ。



  



「結局、ジャニーズかよ、という声も聞こえてきそうだが、今年はやはり、選ばずにいられない。何がすごいって、おめでたとおくやみがごっちゃになって、この一大帝国の『終わりの始まり』が進行しつつあるのではという、そんな印象をかもしだしたことだ。



 嵐の活動休止宣言と二宮和也の結婚、ジャニー喜多川の死と滝沢秀明引退にともなう新体制への移行。2020年を最後に、嵐の本格的再始動はもうないかもしれないし、カリスマ創業者を失った事務所がこれまで通りでいられるとも考えにくい。そろそろ、大激震が起きるのではないか。幸い、日本人の多くはこの帝国について、かなりの知識と感情を持っている。

大激震が起きれば、また世間も盛り上がるから、来年以降も重大ニュースのトップになる有力候補だろう」



 今思えば、この3年半後に、想像もしていなかった「大激震」が待ち構えていたわけだ。が、ここからしばらくはまずまず平穏だった。たしかに、ベテランを中心に事務所から独立していくケースも目立ち始めたものの、それは芸能界全体の流れと同一にも見えたし、むしろ世代交代というか新陳代謝が進み、ジャニーズアイドルは活性化しているようにも思えた。



 実際、20年の『NHK紅白歌合戦』には史上最多の7組が選ばれている。発表後、Snow Manがメンバーのコロナ感染により辞退することになったが、それがなければ、白組出場歌手の3分の1を占めるところだった。



 





 そんな時期、SMAP解散による痛手もやがては癒されていくのではと思えた出来事がある。20年11月の「森且行・日本選手権初優勝」をめぐる、5人の対応だ。



 周知の通り、森は1996年にグループを脱退してオートレーサーに転身。そこから苦節24年での快挙について、飯島についていった3人も、この年円満独立していた中居も、そして木村も喜んだ。



「それぞれの選んだ道で、それぞれがつかむもの。今後も健闘を祈ります」



 と、木村がコメントすれば、稲垣は「今年の漢字」を聞かれた場で「森!」と即答。



「もと、一緒に頑張っていた森くんが優勝したことがうれしかったですね」



 と語った。

彼らの心はまだまだつながっている、そんな気がしたものだ。



 



 ところで、筆者は2016年の末『ありがとう!SMAP』(別冊宝島)というムックで「SMAPは『再結成』するのか?」という文章を書いたことがある。その可能性は限りなく低いとしながらも、だからこそ、実現すれば劇的なものになるのではということで、こんな妄想を繰り広げてみた。



 



――解散から●年後、木村以外の4人は事務所から独立し、それなりに活躍中。中居が音頭をとるかたちで再結成話が進む。木村はオファーを断ったが、オートレーサーを引退した森が参加して、解散時とは異なる5人での再結成が実現されることとなった。



 その復活ライブのクライマックス、曲間のMC中に、



「ちょっ、待てよ!」



 聞き覚えのある声。なんと、たった今、事務所をやめてきたという木村が合流を申し出る。かくして、奇跡の6人SMAPがそこに甦るのだった――。 



 



 中居が「ジャニーズ潰し」の延長みたいなかたちで引退に追い込まれてしまった今となっては、もはや絵空事という趣きだが、森が日本選手権で初優勝したのはコロナ禍が始まった年。終わりが見えない感染症の深刻さよりは、SMAPの未来のほうがまだ明るいものに思えたりもしていた。



 



 また、その4ヶ月後の21年3月には、草彅が映画『ミッドナイトスワン』の演技で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を獲得。

賞を争ったライバルたちに祝福されるなか、そのひとりである二宮和也も目をうるませていた。同じジャニーズ俳優の後輩として、独立後の苦境を乗り越えた先輩の姿に感動したのだろう。グループは違っても、そして立場はいろいろ変わっても、ジャニーズという同じ釜の飯を食った人たちのあいだには何か共有できる感情がある、そう思えた瞬間だった。



 



 しかし、そんなものはのんきな楽観主義に過ぎなかったようだ。



 22年の秋、滝沢がジャニーズを辞め、続いて、King&Princeが「分裂」することがわかった。キンプリは二人体制となり、残りの三人は独立。のちに、滝沢が立ち上げた事務所に所属し「Number_i」として活動を開始する。



 ジャニーズの分断は、確実に進行していたのである。



 



 



文:宝泉薫(作家、芸能評論家)

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