早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。新連載「揺蕩と偏愛」がスタート。#7「『嫌いになられるより、好きになられる方が怖い』ということ」





◾️「好きだった」という事実は永久に続く



 取り憑かれたか、呪われたかの二択しか思いつかないくらい上半身の状態が終わっている。起き上がれないほどではないけれど、ずっと同じ姿勢でいるのがつらい。筋肉痛強化モードという具合が数日続いているが、何かの限界に挑むような運動をした記憶もないし、動きなれない何かをした記憶もない。



 ここまで原因不明だと、何か目に見えないものの存在を疑ってかかってしまう。最近作業しながら複数回観たホラー映画をBGM代わりに流しているのも、こんなことを考えてしまう理由の一つだろう(お勧めは『来る』か『残穢』、静かさと煩さが混じっていてちょうど良い)。





 近頃の私の作業環境はさておき、最近よく考えることがある。



 それは嫌いになられるより、好きになられる方が怖いということ。だからといって嫌われるように悪い態度をとるぞという話ではもちろんない。



 他人を嫌いになるのは案外エネルギーを使わない。人生狂わされたぐらいの理由がなければ、長い間負のエネルギーを内に抱え込むのは難しい。

どこかのタイミングで他の嫌いで上書きされるか、関係ない楽しい記憶で塗りつぶされて存在ごと勝手に忘れ去ってくれる。



 その一方で好きはなかなか消え去ってくれない。真っ白いシャツにうっかり着けてしまった食べ物のシミぐらい、時間が経過しても完全になかったことにはなってはくれない。初めて嫌いになった人よりも、初めて好きになった人の方がものすごく簡単に思い出せてしまう。気持ちは現在進行形ではないにせよ、「好きだった」という事実は永久に続いていく。





 他人からの熱烈な好意に自分がとれる選択肢は案外少ない。黙って愛のかたちを受け入れろと言われているがごとく、静かに抱え込むしかない。好きになられる方が立場はなぜか弱くなる。本当に厄介だ。好意をちゃんと受け止めないと、「不誠実なやつ」「優しくないやつ」のレッテルを貼られてしまう。



 しまいにはどれだけ状況を丁寧に説明したとしても、「男にモテてる自慢?」「好かれてるんだからいいでしょー」と返されてしまうこともある。





 困った。

心の中の私は言われた言葉等に対してふざけんなと暴れ始めている。誰が好きでもない人間の好意や性欲を喜ぶと思っているのだろうか、いい加減にしてくれと叫びつつ、現実では大人として適当な返答をして場を諌めている。





◾️「犬と人間どちらが好きですか」



 人の感情の真ん中に立とうと、慎重にバランスを見てしまう。真ん中といっても特に好きか嫌いか思わない “良い人” ぐらいに身を置こうとする。変に期待値が上がらないよう、口から出る言葉と己の立ち振る舞いは嫌なぐらいに神経を張り詰めている。たまに匙加減を間違えると、あまり良くない何か、が生まれてしまう。





 少し前、夜中にこんなことを喚かれた。こんなに好きなのにどうしてわかってくれない。一途に思い続けているのに、どうして他の人を見てしまうんだ。





 私にとって意味の無い言葉の羅列まで受け止めないといけないのか。生まれてくる感情は残念ながら早く終わって欲しいと、早く寝たいくらいだった。



 何の感情も持っていない相手が狂うのを見たくない。

勝手に心の拠り所にされても私はどうすることもできない。ここまで来ると確実に相手を傷つける言葉で、重く深く戻って来れないところまで沈めるしかなくなる。嫌な役回りだなと思いながらも、何かが起きてしまう前にうまくやらないといけない。傷つけるのも、傷つくのも早い方がいい。こんな優しさを身につけない方が楽なのかもしれない。





 背中の痛みの原因となり得そうなLINEのトーク画面をしかめっ面で眺めていると、犬が不思議そうな顔で覗き込んできた。「あーもう返事めんどくさい!!!」と一人で騒ぐと、「もう僕が構ってもらえるターンですか」と私のお腹の上を駆け回り始めた。



 最近、うちの犬は少し増量気味なのもあって、地味にダメージが大きい。無邪気にはしゃぐ彼に向かって「お前はいいよなあ」と頭を撫でると、心地よさそうに目を細める。本当の意味で頭を空っぽにして話せるのも、行動できるのも犬だけ。少し前の対談で、「犬と人間どちらが好きですか」と聞かれて、すぐに犬と答えてしまった自分に驚いた。





 恐らく、犬に対して全ての秘密を打ち明けているため、犬語を翻訳する機械ができたら、私は社会的に危ないかもしれない。

週刊誌のリークより濃いものがうっかり流れ出てしまいそうだ。そんな未来がこないことを祈りつつ、視界の片隅で振動している着信を無視した。





文:神野藍

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