早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
◾️渋谷のパルコ前にあるペットショップで偶然…
我が家には一匹の犬がいる。
渋谷のパルコ前にあるペットショップで偶然出会ってしまった日からもうすぐ5年。
片手で簡単に持ち上げられるぐらいの大きさから、セミダブルのベッドの一角を占領するぐらいまで成長した。左耳が下に、右耳が上に、背中には茶色の斑模様が広がっている。ダックスフンドとチワワのミックスで、全てが絶妙な加減でまとまっている。可愛がってくれる人間には全力で愛を注ぐのに、よく知らない犬に近寄られると一目散に私の後ろに隠れて牽制する。母親から「犬って飼い主に似てくるのね」と言われたことがあるが、私はまだ納得していない。
私は小さな頃から犬と一緒に育った。18年間で3匹。2匹の旅立ちを見届け、1匹は今も逞しく生きている。
そもそも我が家の犬種を選ぶ基準は「番犬になるか」ということだった。家族以外の誰か、もしくは何かが敷地内に立ち入った瞬間に吠えられるか、万が一のときは躊躇なく飛びつくことができるかが重要だった。その結果、選ばれたのは大型犬で、直近はずっとシェパードだった。もちろん番犬として飼われる以上、母屋から少し離れたところに独立した居住スペースが確保されていた。
そのせいもあってか、私なりの愛情を注いだつもりではあるが、私が成長するにともない、接する時間は格段に減っていった。家族ではあるけれど、彼も私もどこか役割を背負わされている存在同士だった。好きだけど、その気持ちに見合うだけの何かをしたかと言われると、自信を持って首を縦に振ることはできなかった。そんな自分をずっと薄情だと思っていた。
◾️5年前に私を灰色の世界から救ってくれた
5年前犬と出会ったとき、私の世界は灰色だった。
現実か夢か判別のつかない時間の中で、ただただ目の前に起こることをやり過ごすことで精一杯だった。
どこか地に足がつかない私をこの世界に引き戻してくれたのが、犬だった。抱き抱えたあの瞬間から、命の温もりだけが私を現実へと繋ぎ止めている。
私が犬を生かしているのではなく、犬が私を生かし続けている。真っ直ぐに歩けるのも、澱んだ感情に飲み込まれることなく自分に向き合えているのも、全てこの小さな生き物のおかげだ。

手がすぐに届くような距離感で犬と暮らすのは今回が初めてだ。私が執筆しているときは静かに足元で眠り、パソコンから目を話すとすぐに飛び乗ってくる。夜寝るときは身体の一部を私の身体のどこかとぴったりと重ね合わせてくる。私が静かに落ちている日は流れた液体を舐め取り、無かったことにしようとしてくれる。
こんなにも感情豊かなことも、それを分かりやすく何かで訴えてくるということも、全て初めて知った。それと同時に、私の中に少なからず母性本能が備わっている、ということも新たな気づきだった。
犬と一緒に過ごすようになってから、人間の子どもを可愛いなと思えるようになった。それまでは「なんか存在しているな」と思うぐらいで、良くも悪くも感情を抱くこともなかったし、そもそも興味がなかった。犬は私に新しい世界を見せてくれるようになった。
◾️「その年で犬を飼ってるなんて寂しいやつじゃん」
つい先日、「その年で犬を飼ってるなんて寂しいやつじゃん」と笑われた。怒りすら湧いてこない。そうだ、私は寂しいやつだ。笑いたければ笑えばいい。生きるためにこの子がいなくてはいけないのは、とうの昔に理解したのだから。
眉間に皺を寄せてこの原稿を書いていたら、足元に温もりを感じた。私の肌とふんわりとした毛が交わる。
「怖かったよねー、ごめんね、もう終わったから」
言葉はかえってこないけど、言葉で伝えることを欠かさない。取れてしまいそうなほどに尻尾をぶんぶんと振っているのを見て、思わず笑みをこぼしてしまった。
この時間が1秒でも長く続きますように。
私が願うのはそれだけだ。
文:神野藍
※毎週金曜日午前8時配信予定