イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごさ...の画像はこちら >>



 本稿では、現在進行中のイスラエル・イラン戦争の背景とその意味について、単純な対立構図や現代政治のみならず、より深い歴史的・宗教的な脈絡を踏まえて理解することの重要性を論じます。



 現在の国家体制としてのイスラエル(1948年建国)とイラン(1979年のイスラーム革命によって成立したイスラーム共和国)は、数千年にわたる中東の複雑な歴史の一部に過ぎません。

しかしながら、出来事を三千年前まで遡って理解しようとするのは現実的ではありません。本稿では、両国の直接的な対立に至った要因と、その背後にある見過ごされがちな宗教的・歴史的関係を明らかにすることを目的としています。





1. 革命以前の親イスラエル的イラン



 1979年のイスラーム革命以前、イラン(パフラヴィー朝)はアメリカの支援を受けて、中東における「湾岸の憲兵」としての役割を果たしており、イスラエルとも安全保障上の協力関係にありました。この体制は、1953年にモサッデグ首相をアメリカCIAとイギリスMI6がクーデターで追放し、西側の石油利権を確保したことに端を発しています。冷戦下においては、イラン、イスラエル、トルコ、サウジアラビアが西側の対ソ連・反共防衛ラインを構成していました。そのため、イランとイスラエルは戦略的な同盟国であり、ユダヤ系ディアスポラ(ユダヤ人が故郷を失い世界各地に離散して生活をしている状態またその集団)を受け入れる姿勢も見られました。





2. イスラーム革命と反イスラエル化



 しかし、1979年のイスラーム革命によって、イランは「反米・反イスラエル」を国是とする体制へと転換しました。革命の象徴的スローガンが「アメリカに死を、イスラエルに死を」であったことにもその姿勢が表れています。この転換は、かつて同盟関係にあったイスラエルにとっては180度の変化であり、それ以降イランはイスラエルを拡大中東地域における主要敵と見なすようになりました。



 このように公然と敵視されながらも、アメリカとイランの間では全面戦争は発生していません。たとえば、1979年のアメリカ大使館占拠事件(444日間の人質事件)も、最終的には軍事衝突には至りませんでした。一方で、イスラエルとの戦争が革命後45年を経て他ならぬ今になって起こったその背景を説明するためには、単なる「反米・反イスラエル」では不十分であり、より深い理由を探る必要があります。





3. なぜイスラエルが特別に敵視されるのか?



 アメリカと同様に旧パフレヴィー王制制を支援していたはずの西側諸国の中で、なぜイスラエルだけが執拗に敵視されるのでしょうか。この問いを無視すると、「反ユダヤ主義」という単純な説明に流されがちです。しかし本稿では、それを避け、イスラエルとユダヤ教、そしてイランとの関係を深く掘り下げていきます。



イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごされがちな宗教的・歴史的要因と、トランプとイランの最大のディールとは【中田考】
イスラエル・イランの軍事衝突で、イランがイスラエル・テルアビブに攻撃(2025年6月20日)



4. ユダヤ人とイランの深い関係



 イランには2,500年にわたるユダヤ人の居住の歴史があります。ユダヤ教の形成過程において、アケメネス朝ペルシャのキュロス2世が果たした役割は極めて重要です。彼は、紀元前6世紀にユダヤ人をバビロン捕囚から解放し、エルサレム神殿の再建を認めました。この功績により、キュロス王は旧約聖書では異教徒であるにもかかわらず「メシア(油注がれし者)」と称されています。



 キュロスの宗教的寛容政策のもと、ユダヤ人たちは律法(トーラー)を編纂し、共同体の社会規範として確立していきました。このような歴史的背景により、ユダヤ人にとって必ずしもイスラエルに住むことが本質なのではなく、多民族国家の中で寄留民(ger)として生きることこそが伝統であったと考えられます。実際、キュロスによって解放された後も、すべてのユダヤ人がエルサレムに帰還したわけではなく、多くはイラン(ペルシャ)にとどまり、今日まで存続するイラン系ユダヤ人共同体となっています。





5. イスラーム体制下でのユダヤ人の存在



 イスラーム革命後も、イラン国内のユダヤ人は迫害されることなく、一定の自治と文化的活動を維持しています。テヘランには現在も数千人のユダヤ人が居住しており、国会にはユダヤ人枠の議員も存在しています。

このような状況を踏まえると、イランが掲げる「イスラエルに死を」というスローガンは、ユダヤ教やユダヤ人そのものに向けられているのではなく、現代の世俗国家イスラエルと、それを支えるシオニズムに対する政治的・宗教的批判であることが理解できます。



 こうした歴史を考えると、真にユダヤ教的に生きるとは、寄留民として律法(トーラー)に従い、多民族国家の中で自治を認められる形が理想であり、イラン・イスラーム共和国はそれを体現しており、現代のイスラエル国家は、むしろトーラーに反する世俗国家であるということになります。





6. イスラエル内のイラン系ユダヤ人



 逆に現在のイスラエルには、20~25万人のイラン系ユダヤ人が暮らしており、その中には国の中枢を担う人物も含まれています。たとえば、第8代大統領のモシェ・カツァヴ氏や元国防相シャウル・モファズ氏はイラン出身であり、イスラエル建国後に移住しました。また、平和活動家のエビ・ナタン氏のように、パレスチナとの和平を訴える人物も存在しました。



 これらの人物は、ディアスポラ的伝統とイスラエル国家への貢献という両面を象徴しており、イランとイスラエルの関係が単純な敵対関係には収まらないことを示しています。





7. 超正統派ユダヤ人のイラン支持



 2023年、国連総会に出席したイランの故ライースィ大統領は、ユダヤ教超正統派「ネトゥレイ・カルタ」の代表と会見しました。彼らは、シオニズムがユダヤ教に反するとしてイスラエル国家の存在に反対しており、イランがユダヤ人コミュニティを保護していることに感謝を示しました。これは、宗教的観点からもイランの立場が一定の支持を得ていることを示しています。





8. 現代の戦争の意味を読み解くのに歴史の理解が必要な理由



 現在のイスラエル・イラン戦争は、単なる国家間の対立ではなく、宗教的・歴史的な背景、ユダヤ教とイスラームの関係、シオニズムとディアスポラの思想的衝突など、複層的な要因が絡んでいます。イランが「イスラエルに死を」と唱えても「ユダヤ教徒に死を」とは言わない理由は、歴史的にユダヤ人を庇護してきたイランの宗教的論理に根ざしています。私たちは、安易なイデオロギーやプロパガンダに流されることなく、複雑な歴史と宗教の文脈を踏まえて、戦争の意味を読み解いていく必要があります。





イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごされがちな宗教的・歴史的要因と、トランプとイランの最大のディールとは【中田考】
イスラエルとイランの軍事衝突でイスラエルがイラン首都に攻撃し、多くの死者が出る(2025年6月21日)



9.現状:戦争の転換点と参戦国の思惑

  



 2025年6月末現在においては、イスラエルはイランに対して制空権を掌握し、軍事施設や石油施設への空爆を継続していました。イラン側も報復としてイスラエルへのミサイル攻撃を行っていましたが、その効果は限定的であり、軍事的には完全に劣勢となっていました。



 状況を大きく変えたのは、6月21日のアメリカの軍事介入でした。これは、もはやイスラエルとイランの戦争というよりも、イスラエルおよびアメリカ対イランの戦争へと転化したことを意味します。ただし、イスラエルとアメリカの目的が一致しているわけではありません。ネタニヤフ政権の目標は、イラン・イスラーム共和国の体制を打倒し、親イスラエル政権を樹立することです。一方、トランプ政権の目標は、イランをアブラハム合意体制に取り込み、中東全体をアメリカ主導で安定させることにあります。イラン体制の崩壊は、トランプにとっては第一の選択肢ではありません。



 こうした背景のもと、両国の思惑が交差する今こそ、事態の根底にある国際関係と戦略的な交渉の構図を読み解く必要があります。





10. イスラエル国とイラン・イスラーム共和国の抱える共通の問題

 



 実は現在のユダヤ人国家イスラエルと12イマーム派国家イランの間には共通点があります。それは両者ともに歴史の大半を、領土内で絶対的な権力を持つマジョリティーとなる独立国家を持った経験がなかったのが歴史上始めて強国となった、ということです。つまり宗教的被抑圧者が、国家権力を握ったことで歯止めが利かない拡張主義に陥ったと言うことです。





11. イランとイスラエルの宗教的正統性と主権国家の逆説



 宗教的マイノリティが長い迫害の歴史を経て主権国家を獲得するという過程は、正義と回復の美談として語られがちです。しかし、かつての「被害者」が領域国民主権国家の権力という人類史上最大の暴力装置を手にしたとき、何が起きるのでしょうか。この問いは、現代中東を代表する二大強国――イランとイスラエル――の宗教的・政治的構造において、極めて示唆的な形で浮かび上がります。いずれも長期にわたる宗教的被抑圧の経験を共有しつつ、20世紀後半に国家権力を獲得したこれらの主体が、いかにしてその歴史的トラウマと主権的現実を結びつけ、今日の拡張主義的政策へと接続させているのかを考察することは、宗教と国家、記憶と暴力の関係を読み解く鍵となります。



12. 12イマーム派シーア派の迫害の歴史



 イスラーム世界において多数派を占めるスンナ派に対し、12イマーム派シーア派は預言者ムハンマドの正統な後継者としてアリーとその子孫(イマーム)を位置づける信仰を保持してきました。しかし歴代のスンナ派政権下では政治的・宗教的異端と見なされ、しばしば弾圧の対象となりました。特に680年のカルバラーにおけるフサインの殉教は、シーア派共同体にとって「正義の殉教」として深く記憶され、以後の体制批判的な宗教性の根幹となりました。中世・近世にかけても、オスマン帝国をはじめとするスンナ派主流の支配体制下で、礼拝・布教・教育の自由は制限され、時に流血を伴う弾圧が繰り返されました。こうした歴史的経験は、シーア派にとって、イマームの「隠れ(ガイバ)」と再臨を待望する終末論的信仰や、殉教を美化する倫理を育む土壌となり、国家と距離を置いた共同体的自律性と反体制性を同時に強化することになりました。



 



13. ラビ・ユダヤ教のディアスポラとしての被抑圧史



 ユダヤ教もまた、第二神殿の崩壊(紀元70年)を契機として離散(ディアスポラ)の運命をたどり、約二千年にわたって主権を持たぬ宗教共同体として各地で抑圧を受け続けてきました。特にキリスト教世界においては、神の敵・異端者としての烙印を押され、改宗強制、ゲットーへの隔離、経済的排斥、周期的な迫害(ポグロム)など、構造的暴力の対象とされました。近代ヨーロッパの市民革命と世俗化の波に乗じて一定の法的平等を得ましたが、19世紀後半以降のナショナリズムの高まりの中で反ユダヤ主義は再び顕在化し、最終的にはナチス・ドイツによるホロコーストという極限的な破滅を経験するに至りました。

このような歴史は、ユダヤ人共同体の中に「選民としての受難」と「正義の記憶」、そして「民族的国家再建」への熱望を強く刻み込みました。そしてラビ・ユダヤ教は共同体内の法的・教育的秩序を構築すると共にマイノリティーとして自治を守る生存術を神学的・倫理的に洗練させていったのです。





イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごされがちな宗教的・歴史的要因と、トランプとイランの最大のディールとは【中田考】
ハメネイ師



14.  国家権力を得た「被害者」の拡張主義という逆説



 このように、12イマーム派とラビ・ユダヤ教はいずれも、抑圧の歴史を「記憶」として継承する 共同体的主体でした。。しかし、20世紀に両者がそれぞれ国家権力を手に入れたことは、その宗教的・倫理的アイデンティティに重大な逆説をもたらしました。イランでは1979年のイスラーム革命によって、ウラマーが国家統治の中心に据えられ、シーア派の法学と政治権力が結びつく神権国家体制が確立されました。一方イスラエルでは、1948年の建国により、長らく国なき民であったユダヤ人が初めて「ネーション・ステイツ(国民国家)」の主権者となったのです。



 これにより、両国はいずれも「被害者性の記憶」を政治的正当性の源泉としつつ、国家としての加害性を露わにしていくことになりました。つまりイランによる対外シーア派勢力への軍事的支援と革命の輸出による地域の不安定化、イスラエルによる占領政策とユダヤ人入植地の拡大によるパレスチナ人のジェノサイドです。





15. 記憶の書き換えに抗して



 過去の抑圧が、現在の抑圧の言説装置として機能する構造は、もはや歴史的にその道義性を正当化することが許されない段階に至っています。正義の名における暴力は、かつての抑圧構造を複製し、今度は「被害者だった者たち」が「他者を抑圧し、排除する国家主体」として再登場することになってしまったからです。



 12イマーム派とラビ・ユダヤ教の歴史は、ともにマイノリティとしての記憶と共に忍従と抵抗の倫理を豊かに育んできました。

しかし、その記憶が主権国家という暴力的枠組みの中で書き換えられることで、「正義の主体」が「暴力の主体」へと転化する危機が生まれたのです。イランとイスラエルの歴史が示すように、被害の歴史はそれ自体では道徳的正当性を保証しません。むしろ、国家としての加害性に転化しないためには、その記憶を絶えず批判的に再検討し、非暴力と法的普遍性への責任ある応答へと昇華させる努力が必要です。宗教と国家の関係が再び世界政治の中心に浮上する現代において、この二つの事例は、記憶と主権の交錯が孕む倫理的課題を最も鋭く可視化させました。





16. 受難の神義論と現実政治論の棚上げ



 こうして私たちは、イランとイスラエルという二つの地域大国の宗教的・政治的ダイナミズムをたどってきました。12イマーム派とラビ・ユダヤ教は、いずれも歴史的にはマイノリティとして周縁化され、しばしば苛烈な迫害と排除の対象とされてきたため、マイノリティーであることを前提にマジョリティーの覇権に忍従しながらもマイノリティーの生存権とマイノリティー諸集団の多様性を意義付ける謙抑的な「受難の神義論」とでもいうべき共存の作法を法学化、神学化してきました。



 しかしそれは言い換えれば、12イマーム派は自分たちの時代を「神隠し(ガイバ)」の状態にある12代目のイマーム・マフディーの時代、ラビ・ユダヤ教はイスラエルの民の集団的象徴でもある匿名の「苦難の僕」「メシア・ベン・ヨセフ(ヨセフの末裔の救世主)」の時代として位置づけていることを意味します。つまりそれは、現実に国家権力を握った場合にどう振舞うかについての具体的な考察を、12イマーム派がマフディーの出現やイエスの再臨、ラビ・ユダヤ教が「メシア・ベン・ダビデ」の到来、といった終末論的出来事の到来を待望することによって事実上棚上げしてきたということでもあったのです。





イスラエル・イラン“6日戦争”はなぜ起こったのか? 見過ごされがちな宗教的・歴史的要因と、トランプとイランの最大のディールとは【中田考】
アメリカがイラン核施設3カ所を攻撃し大成果をあげたとトランプ大統領が演説(2025年6月21日)



17.結語



 20世紀後半以来、世俗主義的近代西欧の覇権の衰退と共に、西欧帝国主義列強から独立し国家主権を獲得した非西欧諸国で、宗教的伝統が西欧列強による侵略と迫害の被害の記憶を新たな国家イデオロギーとして再構築し、それぞれの「正義」の名のもとに国内のマイノリティーを抑圧し、周辺の弱小国を侵略、衛星国化する事態が生じています。



 かつては共同体的信仰の名において耐え忍んできた人々が、今では主権国家の軍事・諜報・経済・外交力を通じて、時に周辺民族や反体制勢力に対して容赦なき暴力の行使を正当化するようになっています。この現象は単なる外交戦略や安全保障の問題にとどまらず、宗教的道徳の根幹に関わる倫理的危機を示しています。過去の被害者であったという記憶が、国家暴力の免罪符に転化するとき、その宗教はもはや弱者の声ではなく、国家による秩序の強化と排除の道具となります。



 12イマーム派とラビ・ユダヤ教は、マイノリティーであることを前提に、権力を握るマジョリティーによる抑圧への批判と倫理的普遍性を有する受難の神学を構築してきました。支配民族として現実の国家権力を握った場合に、終末論的正義を体現し最終戦争「ハルマゲドン」を引き起こしかねない地域大国として立ち現れ、国境を超えた影響圏の拡大や、神学に基づく国家的アイデンティティの強制といった形で、宗教が国家に従属し、道徳が法的主権と混同されることになるという事態は予想を超えるものでした。



 不幸なことですが、虐待された被害者が強者の立場に立った場合に、今度は自分が被った虐待を他者に対して反復する加害者になることは、ミクロなレベルでのDV(家庭内暴力)などでも周知の人間の性でもあります。私見によれば、イスラエルとイランの「6日戦争」ははからずしてその危険性への警鐘ともなっています。



 このような宗教と国家の結合が孕む拡張主義の傾向にこそ、現代中東の紛争の深層にある動因である。真に平和を志向するのであれば、宗教的マイノリティであった時代の苦難と連帯の記憶を、新たに手にした国家の暴力装置の無制限な行使の根拠ではなく、権力を制限し対話を促す倫理的資源として再構築する努力をなさねばなりません。宗教の名のもとに人間が国家の道具となるのではなく、通約不可能な価値観を有する諸文明が共存するための知恵の言葉を宗教が紡ぎだす社会を取り戻すことこそが、私たちが目指すべき未来であるはずです。



文:中田考



参考文献:



◾️中田考「そもそもイランは悪い国なのか?──イスラエル・イラン戦争の展開とその文明史的背景(前編)」2025年6月24日付『表現者クライテリオン』(https://the-criterion.jp/mail-magazine/250623/
◾️中田考「耐え難きを耐え」るイランにとっての戦争と勝利──イスラエル・イラン戦争の展開とその文明史的背景(中編)」2025年7月7日付『表現者クライテリオン』(https://the-criterion.jp/mail-magazine/250707/)、
◾️中田考「イランを祝福した男」とのディールで描き得る2つのシナリオ──イスラエル・イラン戦争の展開とその文明史的背景(後編)」2025年7月9日付『表現者クライテリオン』(https://the-criterion.jp/mail-magazine/250708/)。

編集部おすすめ