早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。

いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。連載「揺蕩と偏愛」#15は「家庭の匂いがしない人に惹かれ、恋に落ちてしまのはなぜなのか?」



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◾️「なんで毎回、ハズレばっか引くの?」



 「俺の家、父親いないんだよね」



 生まれるはずだった言葉を飲み込み、代わりにグラスを口に運ぶ。アルコールの熱が喉を通り、胸の奥に沈んでいった。





 「今更すぎるけど、好きな男のタイプってどういうの?」



 大学一年のときから付き合いのある女友達が、ふいに質問を投げかけてきた。私の返答を待たずして、彼女は言葉を続ける。



 「だって、前の人もその前の人も、その前の男だって全然似てないよ。顔もそうだし、身長もばらばら。職業も全然違う。どこにこだわりがあるのか分からない。共通しているのは、センターパートくらい」



 「それは間違いではないけどさ。あんまり好きな人の条件みたいなものがパッと思いつかないの」



 「なんで毎回、ハズレばっか引くの? そろそろ心配せずに見守りたいのに」



 「もうそれは言っちゃ駄目だって」



 そんな言葉を交わしているうちに、少し前に注文していたパッタイがテーブルへと運ばれてきた。お互い皿をつつき合っているうちに、男の好みの話はどこかに流れていき、別の話題に移っていた。



 彼女と駅で別れ、そのまま歩いて帰る。春が来る前の、曖昧な寒さを感じながら歩く。先ほどの彼女の問いかけを思い出す。答えは出ていた。でも、口にはできなかった。





 家庭の匂いがしない人に恋に落ちる。





 リビングの団欒の気配、週末の食卓の音、帰省の予定が当たり前のように入ったカレンダー。そういうものが感じられない人。関係が切れているか、希薄か。その違いはあれど、皆どこか大きく括れば同じような事情を抱えていた。



 気がつけば、これで五人目だった。最初は「こんなこともあるんだな」と軽く流していた。

でも二人、三人と続くうちに、私はそれを偶然だとは思えなくなった。





 いつの間にか、私はそういう人ばかりを本能的に求めていたらしい。





◾️愛情があれば、話し合えば分かり合える?



 「最後に帰省したのっていつなの?」



 五年前、と答える。一瞬、沈黙が落ちる。相手は気まずそうに笑ったが、目は逸らしていた。



 私には帰ろうと思える場所も、帰れる場所もない。実家というものは存在しているが、そこに「帰省しよう」という気持ちも、その行為に必要となる現実的な繋がりも、今はか細い糸のような状態だ。お盆休みや年末年始のような家族を思い出させる時期が近づくたびに、憂鬱がまとわりつく。



 記憶の奥底に眠るオレンジ色の風景を掘り起こせば、それはあまりにも完璧な時間だった。食卓の灯り、味噌汁の湯気、夜更けのテレビの音。鮮やかに蘇る。だから厄介なのだ。

両立しない感情と現実がぶつかり、じりじりと焼けつく罪悪感と、拭いきれない嫌悪感が私を覆い尽くす。





 だからこそ、家族との繋がりが強すぎる人と向き合うと、徐々に息が詰まっていく。遠くから眺めるだけなら、何とも思わない。でも、「家族だから絶対分かり合えるよ」「話し合えば大丈夫」とやんわり言われると、心がぎゅっと潰される。ああ、この人とは、同じ水の中では生きていけないーーそう思ってしまう。



 家族の形はそれぞれ。頭では分かっている。でも結局、人が体験できるのは、自分が過ごした家族の時間と、これから築く家族の時間だけだ。積み重なった時間に絡みつく事情を説明するのは難しい。誰かが、それを自分と同じ熱量で理解することは、ほぼ不可能だ。その結果、本能的に嗅ぎ分けて、自分の傍に置いていたのがそういう人たちなのだろう。これ以上、自分が苦しくならないために。

そして、誰かの「理想」や、変えられない「現実」を押し付けられないように。





 愛情があれば、話し合えば分かり合えると信じていた。付き合うというのは、価値観をすり合わせていくものだと信じて疑わなかった。それは間違いだったと、ようやく思い知った。分かろうとどうにか努力することはできても、完全に分かり合うことはできない。





 二十歳の私なら、迷わずこう言ったはずだ。



 「そんなの残酷だ。もっと夢を見ろよ」と。





 でも、それでいい。



 今の私には、この現実の方がずっと生きやすいのだから。





文:神野藍



(連載「揺蕩と偏愛」は毎週金曜日午前8時に配信予定)

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