序.宗教地政学と比較文明論
この論考は日本の政局を論ずる時評の第一回となる。筆者は、これまで宗教地政学の立場から、現代世界の動向を分析してきたが、その基本的な分析枠組みは比較文明論である。
◾️1.文明とは何か
筆者は、国際政治学者S.ハンチントンの「人類の下位集団のアイデンティティの最大の単位」、「人類を他の種から区別する文化的同一性の総体」「言語、歴史、宗教、習慣、制度といった客観的要素と人々の主観的な自己同定の双方によって規定される」(サミュエル・ハンチントン(鈴木主税訳)『文明の衝突』集英社、1998年、51頁)との文明の定義を出発点としている。
ハンチントンは現代の主要文明を①西洋文明(Western)②儒教文明(Confucian / Sinic)③日本文明(Japanese)④イスラーム文明(Islamic)⑤ヒンドゥー文明(Hindu)⑥スラヴ=正教文明(Slavic-Orthodox)⑦ラテンアメリカ文明(Latin American)【⑧アフリカ文明(African)の可能性も示唆】の7つ、あるいは8つに分けている。それはトインビーに依拠するところが大きいが[1]、トインビーによると現存する主要文明は①西洋文明(Western)、②正教キリスト教文明(Orthodox Christian)、③イスラーム文明(Islamic)、④ヒンドゥー文明(Hindu)、⑤中華文明(Sinic)、⑥日本文明(Japanese)、⑦ラテンアメリカ文明(Latin American)、⑧アフリカ文明(African)の8つとなる。

トインビーとハンチントンはいずれも日本を中国文明の影響を受けた中国の周辺文明でありながら中国とは異質の独立文明と見做している。筆者は文明論的には日本文明は広義の東アジア多神教複合中華文明圏の一部であると考えるが、むしろ筆者にとって重要なのは日本が「帝国」であるとの論点である。
◾️2.“帝国日本”の意味
文明と同様に、“帝国”という概念も多義的である。したがって、日本を“帝国”と呼ぶことの妥当性は、当該概念の定義と、それを用いることによって何が明らかになるかというヒューリスティックな有用性に依存する。その有用性は本稿の中で明らかにしていくことになるが、“帝国”と呼ぶことを正当化する根拠は、①日本を「帝国」と呼ぶべき理由は、元首号としての天皇(皇帝:emperor)の称号を古代より現代まで保持していること、②明治₋大正₋昭和の三代にかけて大日本帝国を正式な国号としたこと、③中世、近世においてローマ帝国の教皇と皇帝、イスラーム帝国のカリフとスルタンと相同的な天皇(朝廷)と将軍(幕府)の帝国に典型的な権威と権力の分有構造を有したこと、④琉球・アイヌを支配し、時に朝鮮半島にまで帝国的拡張を実行したこと、⑤古代より「くに」とは地方政権であり中央政権は「王の上の王」として帝国的権威を有していたことにある。
◾️3.宗教地政学と“帝国日本”
本稿ではこの“帝国”日本を文明史の中に位置づけるが、トインビーが述べているように世界の主要文明の地理的範囲は15世紀以来大きく変わっていない。日本では鎌倉幕府が元寇を退けた13世紀の末と16世紀末の秀吉の朝鮮出兵の間にあたる時期である。

この時点では「西洋/西欧(Western)」文明は辺境の一文明でしかなかった。しかしルネサンス、地理上の発見、宗教改革、市民革命等を経てウエストファリア条約の締結により「領域主権国家」(ウエストファリア)体制の構築に成功し旧西ローマ帝国地中海北部領内の「内乱」を収束させた西欧は、軍事革命、科学革命、産業革命を経て急速に力をつけ、フランス革命/ナポレオン戦争による啓蒙主義に立脚し「世俗的ナショナリズム」を公式イデオロギー(国教)とする「領域国民主権国家」システムによって、帝国主義列強として世界制覇に乗り出した。
19世紀には西欧は巨大なインドのムガール帝国を滅ぼし直轄領/植民地化し、オスマン帝国、ペルシャ帝国(カージャール朝)、中国帝国(清朝)も次々と経済植民地化され、西欧の覇権は「領域国民主権国家システム」によって世界を覆い尽くすことになった。[2]
スラブ・正教文明はピョートル1世がセントペテルブルクに遷都し西欧化による近代化を推し進めることで1721年に「ロシア・ツアーリ国」から「ロシア帝国」に改称し、非西欧/西洋文明圏国家としては初めて西欧帝国主義列強の仲間入りを果たした。
日本帝国(北朝徳川幕府体制)は西欧帝国主義列強に対して鎖国(出島による貿易管理)政策で対応したが、幕末期にはいち早く西欧化による近代化を果たしたロシア帝国に続いて脱亜入欧富国強兵政策により西欧化/近代化を推し進めた。そして大日本帝国は日露戦争の勝利、第一次世界大戦において戦勝国側についたことによって、名実ともに西洋帝国主義列強の一角を占めることになった。
[1] ハンチントンとトインビーの文明理解に対する様々な批判と評価については、三宅正樹「比較文明論と国際政治学との接点と追求:ハンチントンの『文明の衝突と世界秩序の再編成をめぐる考察」『明治大学社会科学研究所紀要』41巻1号 (通号57) 2002年10月5-33頁参照。
[2] 西欧による19世紀の覇権確立については、田所昌幸『世界秩序 グローバル化の夢と挫折』(中央公論新社2025年9月9日)、特に「第2章.広域的秩序の興亡 3.西洋の興隆と自滅」参照。
◾️4.近代西欧文明の衰退とグローバル・サウスの台頭
かつて繁栄を誇ったスラヴ=ギリシャ正教帝国、オスマン帝国、ペルシア帝国、ムガル帝国、そして中華帝国の人々は、その盛時において自らの文明の洗練と富の繁栄を誇り、西欧世界の文化的・政治的制度の後進性、腐敗、堕落を軽蔑していた。
二十一世紀に入ってもなお現存する非西欧文明諸国は、近代西欧文明が築いた世俗的ナショナリズムの理念と「領域国民主権国家システム」に組み込まれ、その枠内で抑圧され、周縁化されてきた。しかしハンチントンは『文明の衝突』において、西欧の覇権に翳りが差す時、かつて抑え込まれていた反西欧的情念が再び顕在化することを予想していた。
二十年にわたり西欧的支配からの解放闘争を続けたタリバン政権(アフガニスタン・イスラーム首長国)の復権を許した2021年の米軍主導占領軍の撤兵を皮切りに、2022年のロシア=ウクライナ戦争、2023年に始まるイスラエルによるガザ戦争におけるジェノサイド、2025年に成立した第二次米トランプ政権による関税戦争に対する国際的反応の中に明白に看取される欧米諸国(+日本)の軍事的・外交的影響力と道義的威信の低下、ならびにグローバル・サウス諸国の台頭を通じて、我々は今まさにハンチントンの予言が現実のものとなる過程を目撃している。高石早苗が自由民主党(自民党)新総裁に選ばれた2025年10月4日の自由民主党の総裁選挙はこうした文明史的状況において行われた。
◾️5.石破首相の役割
筆者は、2025年8月24日付の『みんかぶマガジン』で以下のように書いた。
既存の秩序、既成の価値観が目の前で音を立てて崩れていく先の見えない混迷の時代に求められているのは、場を支配し日本人の思考と行動を麻痺させる「空気」に「水を差す」ことが出来る指導者、即ち「空気を読まない(KY)」オタク首相石破である、というのが筆者の見立てである。
とはいえ「空気」に支配され、実体語の機能不全と空体語の肥大、過激化が同時に進む「空気」が支配する特殊日本的情況は、言うなれば「上部構造」であり、それはその下部構造である1990年代のバブル崩壊後の経済停滞現在に至る政治の機能不全、人口減少と社会保障の圧迫、技術革新の遅れ、国際影響力の低下が複合的に絡み合い構造改革を先送りした結果として長期停滞を招いた所謂「失われた30年」という長い年月をかけて制度疲労し澱が蓄積し問題が蓄積した政治・社会・経済・科学技術・風紀の劣化という下部構造の産物、反映である。そういう歴史的・構造的・重層的に複雑な問題は、いかに国家指導者である首相の地位に強靭なKYのオタクの指導者を戴いたとしても、その首相が「空気」に水を差しただけで解決することができるほど甘いものではない。
石破が分極的多党制の微妙で不安定なバランスの上に首相を続行できたとしても、もともと弱い与党の党首であり党内に大きな反対勢力を抱える彼が日本の強いリーダーとして思い通りの政策を実現できる可能性は極めて限られている。しかし放っておけば、声の大きい排外主義者、国粋主義者が醸成する極右的「空気」に流され坂道を転げ落ちるように日本が右傾化し世界の孤児になるのを、その場の「空気」を読まずに「水を差す」ことで、遅らせることは可能である。
◾️6.高市新総裁の誕生
党内の支持基盤が弱かった石破政権に出来ることは最初から限られていたのであり、「帝国」日本が抱える問題を解決することは期待できなかった。しかし石破政権は排外主義者、国粋主義者がポピュリズムの迎合し凋落を遅らせる歯止めの役割を果たしていた。ところが党内の「石破下ろし」の圧力に抗せず、総裁辞任を已む無くされ、石破路線の継承を掲げた林、小泉でなく排外主義のポピュリストの高市が新総裁となったことで、極右化への奔流を石破が1年にわたってかろうじて堰き止めてきたダムが決壊することになった。

日本は少なくとも今後3年は、MAGAトランプ政権の無理難題に晒されることになるだろう。アメリカは第二次世界大戦終結以来これまで80年に亘って圧倒的な軍事力と工業力に支えられた安定したドルを提供し安全な航海、飛行、財産権を保障することで世界の経済活動の保険となるグローバルな公共財を西側自由民主主義・資本主義陣営に寛大に提供してきた。ところがアメリカがその永年の国際貿易のルールを反故にして短期的な視野で暴力的な威嚇による「アメリカ・ファースト」の「ディール」でアメリカの国益の最大化を図る「ルール・チェンジャー」、MAGAトランプ政権として立ち現れたからである。
米国の戦略エリートが外交政策を語るプラットフォームであり、ワシントンの思考様式を世界に伝播する装置でもある『フォーリン・アフェアーズ(Foreign Affairs)』2015年10月号は日本の政治の現状を、長年にわたる構造的な変化に適応できずにいる政権与党のリーダーシップが失われているため地政学的な地殻変動に対応するのが難しく、中でも世界経済や同盟国から絞り上げるワシントンのアプローチ(extractive approach)が差し迫った課題である、と分析する。
一方で同誌はポピュリズム極右政党(populist far-right)の参政党については、反外国人を前面に押し出して参議院で14議席を獲得し大躍進を遂げたことを特筆し、外国人が問題を作り出して犯罪が増え国家アイデンティティが失われていると主張して保守的な若者の間で支持を拡大し、1990年代初めのバブル経済崩壊後に社会人になり経済的に取り残されていると感じてきた40−50代の有権者の心も掴み反グローバリズムを軸に政治の現状に不満な有権者をまとめあげ、選挙運動のダイナミクスを変え、偽情報の影響力を高めたと分析している。その上で多くの欧米諸国がそうだったように、このトレンドが、日本で常態化していく可能性もあると述べ、記事を「極右政党が閉鎖的な日本の怪しいメリットを売り込む流れに迎合しないようにしなければならない」との警告で締めくくっている。

高市の手を縛るのは、衆参両院で過半数割れを起こした与党の弱体化に拍車をかける公明党の下野、自民党内における支持基盤の弱さ、アメリカからの圧力だけではない。国際経済・金融・政治報道に特化し世界中で広く参照されている英国の高級紙(クオリティペーパー)『フィナンシャル・タイムズ』もその社説で、日本社会の人口減少を踏まえた外国人労働者受け入れ拡大の検討が必要だと高市の排外主義的政策を批判しただけでなく、アベノミクスの特徴であった「超金融緩和」と「財政出動」による景気刺激ではもはや賃金停滞・少子高齢化・男女格差のような日本経済の構造的な問題を解決できないと述べ「国際的にも国内的にも“安倍2.0”になることはできず、そうすべきでもない」と高市の経済政策に再考を強く促している。[3]
[3] Cf., The editorial board,“Japan’s next PM needs Takanomics, not Abenomics”, Financial Times, 2025/10/08.
◾️7.国粋主義、排外主義的ポピュリスト政権の成立
事実、迷惑系ユーチューバーで奈良市議のへずまりゅう(@hezuruy 本名:原田将大)は、高市当選の報に接するや否やⅩに「高市早苗さんおめでとうございます。自分は貴女が総理大臣になるとずっと信じておりました。奈良公園の外国人鹿さん暴力事件については報道のデマをこの数日で証明しました。鹿さんの件でネガティブなこという人が増えこの一週間は高市さんと共に戦っている認識でやって参りました。本当に良かった」と投稿している。
また『フォーリン・アフェアーズ』が指摘する通り、清和政策研究会(安倍派)や志帥会(二階派)は政治資金パーティーの収入を明確に派閥に報告せずノルマ超過分をキックバックとして受け取った裏金問題の政治腐敗の撲滅も済ませていない。その旧安部派の支持を得て安倍政治の継承者を称する高市を新総裁に付けた自民党は、もはや回復不能なまでに政治倫理が根腐れしている。与党が上下院で過半数を割って弱体化した自民党は、参政党や保守党やへずまりゅうのような極右のポピュリストの排外主義者のデマゴーグたちと連立するか、自民党自体が極右排外主義者たちに迎合して大衆を扇動することで党勢の回復を目指して次回の選挙に臨むしか選択肢は残されていない。
2025年7月の参議院選の結果、与党が両院で過半数を割ったことで政局が不安定化し、新興勢力がキャスティングボートを握り政界再編により分極的多党制に移行し、極右の参政党、保守党、右派の日本維新の会が17議席を増やしたのに対し、左派(護憲、平和主義)の共産党と公明党が10議席を減らし日本の右傾化が鮮明になった。そして「石破下ろし」による高市新総裁の誕生によって、2025年8月24日付の『みんかぶマガジン』で述べた通り、日本は分極的多党制の下で参政党などの極右勢力がキャスティングボートを握り、国粋主義、排外主義的ポピュリスト政権が成立する可能性が高い。
高市は公明党との会談の中で、中国や韓国の強い反発を招く靖国神社秋期例大祭の参拝を見送り外交問題化を回避する方向で調整を試みた(2025年10月7日付『NEWS jp』)。常識的な判断であったが、既に海外で定着している極右国粋主義者のイメージが払拭されるかは疑問である。高市は2021年の総裁選挙に際して靖国参拝を続けると明言したことは海外でも報じられており[4]、食言でかえって信頼を失う可能性さえある。
そして公明党に配慮して例大祭靖国参拝を見送ったにもかかわらず、裏金問題への対応で公明党との溝が埋まらず連立与党が解体されたことで(「自民党・公明党の連立が「解消」企業団体献金の規制強化で隔たり」2025年10月10日Livedoor News)、現在の分極的多党制における政局の混迷が深まることになった。それによって参院選で国内外での分断と対立を煽る排外主義ポピュリスト諸勢力に投票した有権者たちなどからはSNSで高市の日和見と指導力の欠如への批判の声があがっており、保守勢力を自民党、与党陣営に取り込む目論見は失敗に終わったとみなさざるをえない。その結果として高市は神道政治連盟や右派のメディアや論壇などの政治活動のプラットフォームで支持者が重なる参政党や保守党との閣外協力を模索するといった排外主義ポピュリストへの接近による政界再編を目指すしかなくなり、一挙に右傾化が加速する可能性が高まった。

また高市と統一教会のとの関係も高市政権が抱える外交的リスクの一つである。統一教会は現在、東京地裁から宗教法人法に基づく解散命令が発出されているが(教団による抗告中)、本国の韓国でも2025年9月に韓鶴子総裁が政治資金法違反などの容疑で逮捕され尹錫悦政権との不透明な関係への教団の政治工作が表面化し国際的に問題視されている。ところが高市は統一教会系のメディア(Unification Church-affiliated newspaper)『世界日報』などに度々登場し長年にわたる深い関係が報じられており、韓国での韓総裁の逮捕を機に高市が旧統一教会と関係を持っていたことへの国際的批判が高まる可能性があるからである。[5]
[4] Cf., Isabel Reynolds, “Premier Hopeful Charts Collision Course With China”2021/09/28, Bloomberg.
[5] Cf., Jake Adelstein, “The Rise of Japan’s Female Trump”, Tokyo Paladin with Jake Adelstein, 2025/10/04.
◾️8.孤立文明の世界国家“帝国日本”の取るべき道
筆者は石破総理の続投が“帝国日本”の衰退を一時的に遅らせる歯止めとなっていたが、高市の新総裁就任は凋落を加速させる亡国の選択であったと考えている。
第二次世界大戦後リベラルで民主的な西欧文明の盟主として振舞ってきたアメリカの第二次MAGAトランプ政権がルール・チェンジャーとなったことで、欧米の威信低下は決定的になった。[7]そしてそれは世界が「欧米vsグローバルサウス」の大きな構図の中で、文明のフォルト・ラインに沿ったブロック化、ブロック同士の離合集散による再編の過程にある中で、日本文明という孤立文明の「世界国家」“帝国日本”は、帰属する文明ブロックもなく、国際政治の荒波に翻弄される運命に陥ったことを意味する。
日本思想史を専攻する倫理学者の菅野覚明(東京大学名誉教授)は、「インド、シナ、日本がいかなる意味でも『一つ』であったことはない」、との津田左右吉の言葉を引き、「日本にとっては全ての国が『他者』である」と喝破し、「そうであるならば日本が国際社会において取るべきスタンスはすべての国を等しく『他者』として尊重し誠実にかかわっていく以外にない」と述べている。[8]
◾️9.高市新総裁誕生に対する中国、韓国の反応
中国外務省は高市新総裁誕生の報を受けて、台湾問題について日中共同声明など過去に合意した4つの政治文書の原則を守るように求める声明を発表しており、「対中強硬派(China hawk)」として知られる高市への警戒心を示している。(2025年10月4日付「高市新総裁に中国外務省「理性的な対中政策を」歴史問題や台湾問題に言及」『テレ朝News』)
また自民党総裁選の結果を受け韓国メディアも高市“女性安倍”と呼び、高市政権により「韓日関係が史上最悪だった“安倍時代”に回帰すると憂慮する声もある」と報じている。(「自民党新総裁に高市早苗氏 韓国メディア「“女性安倍”高市氏」と速報」2025年10月4日付『QテレNews』)
日本が国際社会で取るべき姿勢とは、すべての国を等しく『他者』として尊重し、誠実に関わることである。それはまず外交の場において、いかなる国に対しても『価値観を共有する友邦』などという幻想を抱かず、潜在的な敵である『他者』とみなすリアリズムに徹することを意味する。そのうえで、外交儀礼に則った敬意を払い、相手を仮想敵として扱うことなく、共役不能な価値観の根本的な違いを前提に、悪魔化することなく妥協点や落としどころを誠実に模索し続ける姿勢が求められる。次いで国民個々人のレベルでは、外交官、旅行客、ビジネスマン、移民、難民などの区別なくいかなる国の出身者であれ法的に平等に扱い、差別待遇、虐待、迫害、誹謗中傷などを行わないということである。
◾️10.排外主義を煽るポピュリズムを生んだ構造的要因
とはいえ筆者は、高市的なものとして表象した反グローバリズム、排外主義を悪、石破的なものとして表象したコスモポリタニズム、対中韓融和を善と見做す善悪二項対立的な観方を取っているわけではない。
むしろ高市が親和的とされる参政党系の国粋主義・差別主義・排外主義を煽るポピュリズムの浸透は、いわば「上部構造」の現象にすぎない、と考えている。
私見によれば日本が抱える構造的問題は現行の領域国民主権国家システムによって生み出されたものである。それゆえこのシステムの抱える矛盾、不正、搾取構造から目を逸らせ既得権の拡大と維持を考え、システムから受益してきたルールメーカー、支配者たち ―つまりMAGAトランプ政権が「ディープステート」― が提案する第一次トランプ政権登場以来国境を越えて急速に進みつつある反グローバリズム、国粋主義、排外主義に対する「対策」はせいぜい対症療法でしかなく問題の抜本的解決とはならないばかりか、問題を更に深刻化させ悪化させる「麻薬」でしかない。
[6] 「世界国家」とは、「社会解体の兆候であるが、しかし同時にこの解体を食い止め、それに抵抗する企て」であり、「いったん樹立されると、あくまでも執拗に生にしがみつく」「むしろ死にそうになっていてなかなか死のうとしない老人の頑固な長命」「社会解体の過程の一局面を代表する」ものである。トインビーはこの「世界国家」について、外部の「観察者から見れば、その世界国家がちょうどその時期に断末魔の状態にあることを疑うことなく示すいろいろな事件が起きているにもかかわらず」、内部的にはそれらの市民は自分たちの「地上的な国家が永久に存続することを願うばかりでなく、この人間の制度が不死を保証されていると実際に信じて」いる、と述べている。トインビー『歴史の研究2〈サマヴェル縮刷版〉』社会思想社1989年、333-335頁参照。
[7] アメリカ主導のグローバリゼーションの挫折については、田所『世界秩序 グローバル化の夢と挫折』「第3章.アメリカ主導のグローバル化 3.勝利の逆説」91-101頁参照。
[8] 菅野覚明「「アジアの一員」の意味するところ」『表現者 クライテリオン』2025年5月号121頁参照。
◾️11.西欧近代文明と領域国民主権国家システムの矛盾
『みんかぶマガジン』で指摘したことの繰り返しになるが、現行の国際秩序が抱える最も明白な構造的問題は、西洋列強が力尽くで全世界に押し付けた自由、平等、人権などの近代世俗主義的政治理念と領域国民主権国家概念の間の根本的矛盾である。ただ貧しい国に生まれただけで豊かな国の人間なら自由に行ける国々に行くことも、そこで働くことも、良い教育や医療を受けることもできず、時には清潔な水と食べ物を得ることすらできない「国籍による差別」を認める国が唱える平等とはいったい何なのか。
女性がアメリカ大統領になれないのが男女差別で人権侵害なら、アメリカ人にしかアメリカ大統領になれないことは国籍差別で人権侵害ではないのか。アメリカによって一方的に空爆され殺されているイランの民衆がアメリカ大統領になる権利も選ぶ権利もないことは国籍による差別で人権侵害ではないのか。
19世紀以来、あからさまな自由、平等の侵害を、国境や国民を神聖視することで正当化し、自由や平等の侵害を国家主権によって合法化し、主権独立の名の下にそれぞれの国家の支配階層が国内で自由や平等や人権を犯して不正な利益を貪っても他国は干渉してはならないことが国際法とされてきた。そういった世界の支配階級のトラストが領域国民主権国家システムの本質であり、その談合のルールメーカーが欧米列強であった。
ところがアジア・アフリカ諸国が経済、軍事、科学技術力をつけたことで、トラスト(G7>国連安保理>国連)の「市場支配力」が弱まった。その上に、トラストの太っ腹な大親分であったアメリカが相対的に貧しくなり、他のメンバーが言うとおりにならないことにへそを曲げて、「今までの恩を忘れて逆らうならもう面倒はみてやらない、好きなようにやる」といわば「ジャイアン化」した。さらに覇権国が同盟内合意を軽視し単独行動に傾く傾向が強まり、トラストが崩壊の瀬戸際にある。これが世界の現状である。
この世界の現状において、友邦を有さない孤立文明の世界国家である衰退する“帝国日本”が右翼、排外主義のポピュリストの高市を首相に戴いて凋落の加速化を避けることは極めて難しい。しかしいかに困難であろうとも成すべきことは、世界と日本の現状を正確に把握し、所与の状況で何が出来るのかを見極め、可能な限りのソフトランディングの道を模索する以外にはない。
◾️結語.ニヒリズム、人神の多神教と交替一神教
しかし実のところ、私たちが目にしているリベラルな国際協調主義の西欧の右派陣営と権威主義、排外主義のグローバルサウスの左派陣営の対立は、表層的なものにすぎない。事態の本質は、ニーチェが『権力への意志』の中で「私が語るのは、これからの二世紀の物語である。私は、来るべきもの、もはや避けられないものを描いている ― ニヒリズムの到来である」と予言した「ニヒリズムの二世紀(20/21世紀)」の後半、ニヒリズムの顕在化、「神の死」後の世界において苦悩や葛藤を避け、「安全」「健康」「快楽」「平均化」だけを求める「末人(der letzte Mensch)」が跳梁跋扈する世界である。
筆者はニーチェが剔出(てきしゅつ)した「末人」のニヒリズムの問題をイスラーム学、宗教学の立場から、「人神の多神教」、「交替一神教」の問題として捉え直す作業を続けている。次回以降は、日本の政局の具体的な問題を手掛かりに、宗教地政学の立場からその国際関係論的意味を論ずると同時に、宗教学的な次元の開示をも試みたい。
文:中田考