昭和百年、ドラマを超えた?ジェームス三木の「春の歩み」、長嶋...の画像はこちら >>



 



  「その1」では、遠野なぎこと海老名香葉子というふたりの女性の対照的な最期について書いた。では、男性の死にはどういうものがあったかというと、まず触れたいのがジェームス三木(享年91)だ。



 6月14日に、肺炎で他界。脚本家として数々のヒット作を残し、なかでも『独眼竜政宗』(1987年)は平均視聴率39.7%というNHK大河ドラマ史上最高の数字を叩き出した。



 その一方で、もうひとつ、史上最高レベルではと思われる「記録」がある。「性豪」でもあった三木は関係を持った女性について「春の歩み」と題したノートに綴っていて、それを暴露した当時の夫人・山下典子によれば、その数は173人にものぼっていた。山下いわく、



「女性の名前は実名で、職業、年齢、そして容姿と性器にはABCでランクづけをしてあり、ジェームス三木自身が体験した、彼女たちの性器の感想まで、克明に書き込んであった」(『仮面夫婦 私が夫と別れる理由』92年)



 とのこと。この暴露は夫婦の訴訟合戦に発展し、2000年には離婚が成立した。



 ただ、その後、三木は再婚もしており、関係を持った女性の数はさらに増えていたことだろう。息子にまで「愛のないセックス」を勧めていたほどだから、ノートを見つけられたことは後悔していても、性豪として生きたことは誇りだったのではないか。そして、その旺盛なエネルギーと濃密な創作活動とが不即不離だったことも容易に想像できる。



 そのあたりは同じく、昨年亡くなった名司会者・みのもんた(享年80)とも通じるものだ。最近では少なくなった「肉食系男性」の典型らしく、焼肉屋で肉を喉に詰まらせ、心肺停止に、という死因だった。







 



 ちなみに、三木の出発点は歌謡曲歌手、また、みのは歌謡曲を愛する人だった。

昭和歌謡の全盛期に活躍した歌手たちが次々と旅立っていったのも、印象に残る。



 『潮来笠』や『恋をするなら』の橋幸夫(享年82)、『ブルー・ライト・ヨコハマ』のいしだあゆみ(享年76)、『黒猫のタンゴ』の皆川おさむ(享年62)、そして、相撲との二刀流で『そんな女のひとりごと』をヒットさせた増位山太志郎(享年76)。増位山のデビュー曲『そんな夕子にほれました』の作詞者は「その1」で触れた海老名香葉子だったりもする。また、女優や冒険家のイメージが強い和泉雅子(享年77)も、筆者にとってはベンチャーズ歌謡の『二人の銀座』(山内賢とのデュエット)が最大の功績だ。





  



 そんな名曲たちが時代を伴奏するなか、スポーツでファンを熱狂させたレジェンドたちもこの世から退場していった。



 野球の長嶋茂雄(享年89)にサッカーの釜本邦茂(享年81)、ゴルフの尾崎将司(享年78)。自分はこの三つの競技のなかでは野球に思い入れがあるので、長嶋以外の野球人の死についても考えさせられた。



 現役時代は名遊撃手で鳴らし、監督としては阪神を初の日本一にした吉田義男(享年91)や、プロ野球歴代3位の320勝をあげた大投手・小山正明(享年90)、さらには中日などで主砲を務めたトニ・ブランコ(享年44)が故郷・ドミニカのナイトクラブ天井崩落事故に巻き込まれ、急死したことにも驚かされた。



 しかし、国民的ヒーローだった長嶋に比べたら、訃報の扱いは小さい。ブランコはともかく、吉田や小山は長嶋と直接戦っていたことを思うと、その最期まで陰に隠れてしまったみたいでちょっと不憫だ。



 



 ただ、それよりももっと不憫なニュースに、遭遇することにもなった。訃報ではなく、逮捕の知らせだ。



 小山正明より勝った投手はふたりしかおらず、ひとりは400勝の金田正一(故人)でもうひとりが350勝の米田哲也(現在87歳)。その米田が、昨年3月に窃盗事件を起こしていた。



 窃盗といっても、スーパーマーケットで缶チューハイ2本(303円分)を万引き、というもの。近年は貧困にあえぎ、月5万円の家賃も払えずに、約500万円を滞納中だとも報じられた。今の日本は空前の長寿化が進み、永すぎる老後をどうしのぐかが課題になっている。酒も女も大好きな豪傑肌だった米田は昔なら太く短く人生を完結できたかもしれないが、最近はそうもいかないのだ。



 そんな「永すぎる老後」の難しさは、長嶋茂雄についてもいえる。2004年に脳梗塞で倒れて以降、体調が元に戻ることはなかった。「元気」の象徴みたいな人だっただけに、不憫に感じていた人も多いのではないか。



 とはいえ、意外なかたちで貢献もしていたという話が、医療の世界から聞こえてきた。脳梗塞などで倒れたあとのリハビリが上手くいかず、治療者に文句を言う人は少なくないが「長嶋さんでも完全には戻らないでしょ」と諭すとだいたい大人しくなる、とのことだった。



 なお、日本野球機構は今年から「長嶋茂雄賞」を設けることにした。

日本レコード大賞における「美空ひばり賞(のち、美空ひばりメモリアル選奨)」を思い出すが、こちらは12年で消滅している。野球界には、80年近く続いている「沢村栄治賞」もあるので長持ちするだろうか。



 



 さて、最後は個人的に縁を感じる人の話で締めくくりたい。



 まずは、脚本家の内館牧子(享年77)。1990年代前半に同じ雑誌(『週刊テレビ番組』)で連載を持ち、話もさせてもらった。また、彼女は東北にゆかりの深い人で、2008年に心臓弁膜症で倒れたのも「盛岡文士劇」で岩手に滞在中のこと。当時盛岡市内にあった岩手医科大学附属病院に運ばれ、二週間、生死の境をさまよった。





昭和百年、ドラマを超えた?ジェームス三木の「春の歩み」、長嶋茂雄という「巨星墜つ」の陰で転落していた大投手 2025(令和7)年その2【連載:死の百年史1921-2020】番外編(宝泉薫)
内館牧子



 ここはAKB48握手会傷害事件(14年)で被害に遭った川栄李奈らが運ばれた病院でもあり、筆者の自宅の近所だ。義父が生前、教授を務め、妻が息子を出産した。国立大の医学部がない岩手にとっては、地域医療の本丸でもあり、それゆえ、内館が命拾いしたときはホッとしたものだ。



 しかも彼女は、



「本当にラッキーなことに、そこにカリスマといわれる心臓外科の名医がいらして、すぐに緊急手術をしていただけました」



 という言葉も残している。こちらとしても、彼女がそこから17年生きてくれたことに感謝である。



 



 そして、もうひとり、渋谷陽一(享年74)の訃報にもちょっとしみじみさせられた。筆者が物書きになったきっかけのひとつでもあるミニコミ誌『よい子の歌謡曲』には、彼及びその周辺のロック評論や出版姿勢に惹かれるスタッフが多かったからだ。また、90年代からゼロ年代にかけて『音楽誌が書かないJポップ批評』で執筆していた時期には、彼が『ロッキング・オン(rockin’ on)』の日本版として始めた『ロッキング・オン・ジャパン(ROCKIN'ON JAPAN)』の記事コピーが参考資料として編集部からよく送られてきた。



 接点はそれくらいで、彼の文章自体はほとんど読んだことがないが、自分の人生に影響を与えた人であることは間違いない。あと、若い頃の筆者がやろうとしてできなかった出版と商売の両立をやってのけた点でも畏敬に値する。



 



 とまあ、このふたりで締めくくるつもりだったが――。記事の構成を考えているさなかに、久米宏の死というニュースが飛び込んできた。亡くなったのは1月1日だから、昨年の死には含まれず、書くなら一年後ということになる。





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久米宏



 とはいえ、昭和の戦争にこだわっていたこの男が、昭和百年でもある令和7(2025)年が終わったタイミングで去っていったのは感慨深い。その人生は功罪半ばするものでもあり、ゆっくりと毀誉褒貶を考えるとしよう。



 もちろん、人の生き死には人知の及ぶところではないから、一年後に健康な状態でちゃんと書けるよう、気を引き締めて日々をすごしていきたいものだ。生きている側にとって、死との遭遇にはそんな効用もある。



 



 



(宝泉薫 作家・芸能評論家)



 



 

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