これまで、元号の出典として用いられてきたのは、中国の古典である「四書五経」、すなわち『大学』、『中庸』、『論語』、『孟子』の四書と、『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』の五経でした。「四書五経」は、既に江戸時代には諸藩が設置した藩校や、村々の寺子屋でもテキストとして用いられており、明治維新に伴って西洋の学問が導入・普及されるまでは、最も日本人に親しまれていた学問の拠り所でした。それでは、近代以降の元号の出典を検証してみましょう。
■「天下は明るい方に向かって治まる」…「明治」「明治」は、『易経』の「聖南面而聴天下、嚮明而治」を出典とし、「明」と「治」を組み合わせたものです。これは、「聖人が南を向いて政治を行えば、天下は明るい方向に向かって治まる」という意味です。また、もう一つの出典とされている『孔子家語』(『論語』に漏れた孔子一門の説話を収めたもの)の一節「長聡明、治五気」は、「成長してからは聡明で、万物の根本である木火土金水の五つの気を治めた」という意味になります。
■「すべてとどこおりなく順調に運び、正しさを得る」…「大正」次の「大正」も、『易経』の「大亨以正、天之道也」を出典とし、「大」と「正」を組み合わせています。これは、「すべてとどこおりなく順調に運び、正しさを得る」という意味です。
■「国民の平和と世界の共存共栄を願う」…「昭和」「昭和」は、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」から、「昭」と「和」を組み合わせたものです。「国民の平和と世界の共存共栄を願う」という意味です。
さて、いよいよ「平成」です。「平成」は、『書経』の「地平天成」と、歴史書である『史記』の「内平外成」を出典とし、「平」と「成」を組み合わせています。天地、内外ともに「平和が達成される」という意味です。先にも述べましたが、昨年の12月24日に、天皇陛下が記者会見の席上で述べた「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」という言葉は、この「平成」という元号に込められた願いが見事に達成されたことを示すものとして、誰の耳にも嬉しく届いたのではないでしょうか。
■「平成」の文字を揮毫した人は?ところで、昭和64(1989)年1月7日、当時の小渕官房長官が新元号「平成」を発表した場面を御記憶でしょうか? この時、小渕氏が掲げた「平成」の文字を揮毫したのは、当時、総理府・内閣総理大臣官房・人事課辞令係を務めていた、河東純一さんです。
現在、私は大東文化大学の教員ですが、河東さんは、大東文化大一高から大東文化大学文学部中国学科に進み、その書道の腕を買われて、この事例係のお仕事を務めになった本学の卒業生だったのです。今でこそ、パソコンが普及し、なかなか手書きの辞令や賞状にはお目にかかれませんが、総理府では、まだまだたくさんのお仕事があるようです。
聞くところによると、現在、このお仕事には3名の職員の方が携わっておられるようで、河東さんの後任には、やはり本学の卒業生が勤務しているとか。果たして、4月1日に菅官房長官が掲げる新元号の文字を揮毫するのは、どなたになるのでしょうか?
■一夜にして超有名人に…「平成」さん!「平成」の新元号が発表された時、最も驚いたのは、埼玉県在住の平成(たいら・しげる)さんと、その御家族だったのではないでしょうか? 当時、紳士服卸売会社の営業所長をされていた平さんは、立ち回り先で合う方々から名刺を下さいと言われ続けたと、後に回想されています。先に、現在、元号は漢字2字と法で定められていることを御紹介しました。
次回は、いよいよ新元号についてアプローチを試みます!
■文/宮瀧 交二
大東文化大学文学部教授。学術博士。1961年生まれ。埼玉県立博物館主任学芸員を経て現職。大東文化大学のほか東京大学、東京女子大学、早稲田大学等で博物館学を講義。論文「博物館展示の記録化について」(『博物館研究』47-7)により、日本博物館協会・平成25年度棚橋賞を受賞。 監修に『元号と日本人』(プレジデント社)がある。
【参考文献】
・宮瀧交二監修『元号と日本人』プレジデント社、2019年。
・所 功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』文春新書、2018年。
・グループSKIT・編 『元号でたどる日本史』PHP文庫、2016年。