写真を拡大 徳川家綱吉肖像画。

  歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

 今回は、徳川幕府第5代将軍、徳川綱吉を四柱推命鑑定する。綱吉については、よくないイメージを持っている人が多いのではないだろうか?生類憐みの令による極端な犬愛護や、側用人・柳澤吉保を重用した側近政治等の影響で、従来、綱吉に対する評価は低く、暴君として扱われてきた。しかし、歴史的に最近それが見直されつつあるという。一体どんな人物だったのか。四柱推命鑑定結果を見ながら本来の綱吉像を明らかにする

 

■犬を過剰に保護したイメージのある綱吉は、
実は人間に対しての温かみも備えていた

 

徳川綱吉(1646-1709)
生年月日:1646年2月23日(正保3年1月8日)

お犬様! 「生類憐みの令」という異常性を感じる発想は、どこから生まれたか?歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第61回~徳川綱吉~
 

 まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。

○日柱の干支:「丙辰」(ひのえたつ)

 「丙(ひのえ)」は自然界の物質に表すと太陽、「辰(たつ)」は季節で春を意味することから、「丙辰」は春の太陽と解釈できる。

 春の太陽というと、寒い冬が終わり、少しずつ温かくなり、生きる希望を持たせてくれる。綱吉は、そのように温かみのある優しい人物だったのだろうか。

 生類憐みの令というと、犬を「お犬様」と讃えて極端に愛護したイメージが強い。江戸には、10万から20万頭の犬を保護する御囲があったが、その広さは東京ドームおよそ20個分に及んだ。

年間およそ100億円の犬の餌代は、江戸庶民から徴収されていたという。

 この点だけを切り取ると、異常性を感じるが、生類憐みの令は、虫を含む動物全般を愛護しただけでなく、弱い立場の人を守る世界に先駆けた福祉政策だった。当時、町では夫婦の貧しさ等から捨て子が横行していた。

 生類憐みの令では、捨て子をしてはいけない、しかし万が一捨て子があった場合、それは社会の責任として捨てられた地域の者が子どもを養育するようにとの定めがあった。また、病人を見捨てないように、旅人が旅の途中で病気になった場合、宿屋にその保護責任が発生するとした。このように弱い立場の人を守る政策は、この時代、世界的にも例がなく、綱吉は人としての温かみを備えていたと言えるのではないだろうか。

■綱吉は決して犬好きではないことが明らかに!?

 

 続いて、通変星、蔵干通変星から綱吉の性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。

お犬様! 「生類憐みの令」という異常性を感じる発想は、どこから生まれたか?歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第61回~徳川綱吉~
 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

○遊び心40%!(食神2つ)

 遊び心は、生活に遊びを取り入れることが自然とでき、芸術面での才能がある星。中でも「食神(しょくじん)」は、おおらかで遊び好き、子どもが好きで子宝に恵まれる。楽しいことをして生活したいという、子どものような星。この星を2つ持っていた綱吉は、これらの性質が強かったものと予想される。

 ドラマや映画で演じられる綱吉は、このようにおおらかなイメージが強い。母・桂昌院の言うことをにこにこしながらよく聞き、犬をめちゃめちゃにかわいがる…。鑑定結果から見ると、確かにこのようにおおらかな部分があったのかもしれないが、最近の研究で、綱吉は決して犬好きではないことが明らかになった。また、歴史の書物から読み解く綱吉はどちらかというと、生類憐みの令に代表されるように、厳格なイメージだ。

 綱吉は昔から死に対して潔癖な考えを持ち、死や血に触れることによって不吉なことが起きると思っていた。兄・家綱が亡くなった時も、食事や飲み物を控えて家綱が使用したトイレを使わなかった。また、蚊をつぶして頬に血がついていた家臣を処罰したり、綱吉の肌着に血がついていたことに立腹し家臣に謹慎を命じたりと、その気遣いは異常なほどであった。以前、綱吉の父・家光を鑑定した時も同様であったが、綱吉は本来おおらかさを持ちながら、将軍として生活するために、その性格を封印せざるを得なかったのだろうか。はたまた、資料に残っていないだけで、ドラマや映画に登場するような、ぼんくらなまでの穏やかさを持ちあわせていたのだろうか。

〇知性30%(偏印)

知性は何かを学ぶことが好きで、物事を論理的に捉えるのが得意。中でも「偏印(へんいん)」は、知的好奇心が旺盛で、アイディアや発想力がある。変わり者、個性的で放浪好きである。海外が好き。

 上記に述べたように、死や血を異常に恐れたことから、相当な変わり者であることは容易に予想される。また、健康や長生きに興味を持ったのか、外国の文化に興味を持ったのか、オランダ商館の医師・ケンペルと会った折には、西洋医学について質問攻めをしている。「内科、外科の病気のうち、なにが一番重く危険だと思うか」「癌などの胎内の潰瘍の対処法」「ヨーロッパの医師がすでに長寿の薬を発見したのではないか」等と問い、ケンペルが「どうすれば人間は高齢になるまでおのれの健康を保てるかという秘薬を発見しようと毎日研究しております」と答えると、綱吉からさらに具体的な薬の名前をと問われている。

その翌年、同様の場でも、ケンペルにいかなる重病を治したのかを聞きたがった。

 知性が持っているだけあって、知的好奇心が高かったようだが、その興味はなかなか個性的で、関心は外国にも向いていた。

〇行動力20%(偏官)

行動力は、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「偏官(へんかん)」は、攻撃的行動的な星。野性的で思い立ったら即行動する。

 24年の間に130回以上も出したといされる生類憐みの令。次々出されるお触れに、庶民はずいぶんと振り回されたという。また、庶民の娯楽であった釣りを禁じられ、鳥や貝、エビなどの料理が禁止されたため商売や生活にも支障が出た。この数の多さと細かさに、綱吉の思い付きで行動する性格が見て取れる。

 また、赤穂事件、いわば浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷事件が起きたのも、綱吉の時代であった。当時は喧嘩両成敗だったので、本来であれば両方が処罰されるところだが、綱吉は浅野内匠頭のみを処分した。この日は幕府が朝廷の使者を接待している真っ最中だったということもあってか、綱吉も頭に血が上ったのだろう。

吉良上野介をなぜ切りつけたのかという理由をろくに聞き出すこともせず、浅野内匠頭に対して即日切腹を言い渡している。この沙汰については「不平等である」と今でも綱吉が批判される所以の一つとなっている。

 攻撃的で即行動派の綱吉をイメージできるエピソードである。なお、綱吉がなぜ浅野内匠頭のみを処罰したかということについては、ただの不平等で考えなしだったという理由だけでなく、最近では血を異常に恐れる綱吉が、江戸城が血で汚されたことに激怒したためだと考えられる。(いずれにせよ頭に血が上りやすい性格だったのだろう)

〇人脈20%(偏財)

 人脈を持っている人は優しく、誰とでも仲良くでき、コミュニケーション能力の高い。中でも「偏財(へんざい)」は、幅広い人脈を持つが、お人好しで人に騙されやすい面を持つ。

綱吉は生き物を大切にしようとする慈悲の心が強かったのだろう。生類憐みの令は世界に先駆けた福祉政策であったことは先に触れたが、同時に世界に先駆けた、動物愛護法であった。

 その対象はもちろん犬に限らない。馬にたくさんの荷物を背負わせたら虐待であるとして、極端な荷積みを禁止した。また、当時町では虫を集めて虫の音を聞く「虫聞き」がはやっていたが、そのように虫を利用するのは虐待であるとしてこれも禁止した。また、犬、猫、ねずみに芸を教え見世物にしてはいけない、イモリの黒焼きもダメ、と極端なまでに禁止事項を掲げた。

このような動物愛護の精神が生まれるのは、外国においても19世紀以降。綱吉は150年も早く動物保護を訴えていた。やり方については様々意見があろうが、そこまで動物を気に掛けるとは…。綱吉が慈悲深く優しい人物であったことは間違いあるまい。

〇自立心10%(比肩)

 自立心は、他人に依存することなく自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップが強い。中でも「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人肌。頑固で人の意見に惑わされず、自我を貫く性質がある。

 綱吉は「思無邪(思いよこしまなし)」と自筆した一幅を残している。60歳を超えた綱吉晩年の思想の一端を表すものと思われる。そんな綱吉は、遺言として生類憐みの令の継続を固く言い渡した。しかし、綱吉の死とともに、綱吉が築いた政治はすぐに終焉を迎え、生類憐みの令も撤回された。

 本人としては最高の政治を作り上げたつもりだったのだろうが、少し裸の王様感が否めない…。専制君主と言われるのも致し方なしだろう。頑固な比肩の性格がよく見える。

■綱吉は、家臣思い、家族思い、そして庶民思いの優れた君主

 

続いて、十二運星を見て、持って生まれたエネルギーを見ていく。

〇長生(ちょうせい):運勢エネルギー9

 順応性が高く、勉強がよくできる。人から信頼を受ける。そのため、保険の営業マンや鑑定士に向いている。また、長生は長男、長女という意味を持ち、家を継ぐ役割を持つ。

 徳川家光の4男として生まれた綱吉。4代将軍であった兄(家光の長男)・家綱との間に2人の兄がいたため、家臣はもちろん、綱吉自身も将軍職を継ぐことになるとは思っていなかったようだ。そのため、母・桂昌院の進めで学者の道を目指し、学問に勤しんでいたようだ。しかし、家光の三男で兄にあたる亀松は3歳、五男で弟にあたる鶴松は1歳で早世し、次男で兄にあたる長丸(後の綱重)は、家綱が亡くなる2年前に亡くなっている。こうして、綱吉は将軍職に就くことになった。

 家を継ぐ役割を持つ「長生」の星を持つ綱吉。本人的には意外であったろうが、すでに生まれた時からその運命にあったのだろうか。

 

〇冠帯(かんたい):運勢エネルギー10

 女王様の星。エネルギーが強く人をまとめるのが得意。社交的な性格であり、中年以降で成功する。「冠帯」は、「建禄(けんろく)」=王子様の星、「帝旺(ていおう)」=王様の星とともに、身強(みきょう)の星の一つであり、エネルギーが高くリーダーシップを発揮できる。

 エネルギーが強い綱吉は、自分で政治を取り仕切りたい願望が強かったのだろう。綱吉が将軍職に就いた当時、政治システムは5人の老中が話し合いで決める合議制で、将軍はその決定事項に従った。これは、初代・家康が決定した制度である。しかし、このやり方に不満を持ったのだろう。合議制の仕組みを変え、老中と将軍の間に、今の内閣の官房長官にあたる、側用人(そばようにん)を作った。そこに就任したのが柳澤吉保だ。側用人は老中に対し将軍の意向を伝える役割を果たしたが、これによりすんなり綱吉の意見が反映できる体制が出来上がった

 

〇墓(ぼ):運勢エネルギー6

 ご先祖とのご縁が深く、守ってもらえる。墓守りの役割を果たす。地味な生活が好きで、仏教を勉強するのが好き。

 先に述べたように、綱吉は桂昌院の進めで学問に勤しみ、特に仏教と儒教を深く学んだ。人間も動物も同じ生き物であるが、仏教の輪廻転生を鑑みると、次に自分達は、動物に生まれ変わるかもしれない。そう考え、生類憐みの令に及んだのだろうか。

 また、綱吉は、釈迦の教えと孟子の教えについて、家臣に何百回にわたって儒教の講義している。両親を大切にするように、家臣同士仲良くするように家臣を諭したようだが、将軍自らが講師の役割を担うのは15代の将軍を見ても異例中の異例であった。それだけ綱吉は仏教や儒教に傾倒しており、それを習得することこそが江戸幕府、そして日本の平和の道と考えたのだろう。

 また、儒教も影響もあってか、あるいは、「墓」の地味好きがたたってか、武士、そして庶民の倹約にも力を入れた。庶民としては自分たちの楽しみを次々と奪われ、これも綱吉のイメージダウンの所以であるが、本人としては相当な信念を持って行っていたのだろう。

 

 今回は、第5代将軍、綱吉を四柱推命鑑定してきた。思った通りの変わり者、個性派、我が道を行くタイプであったが、儒教・仏教を深く学び、厳格な制度をもって、治安のいい江戸幕府を作り上げた将軍であったともいえる。当時、江戸には「かぶき者」と呼ばれる、徒党を組んで暴れまわる反社会的集団がいた。かぶき者は、町で刀を振り回して辻斬りやけんかをしたり、犬を捕まえて食べたりしていた。綱吉は生類憐みの令により、かぶき者を取り締まり、治安のいい江戸を作り出したとも言える。人の価値観を変えるのは、相当な時間がかかるというが、当時生類憐みの令等の極端な法律があったからこそ、江戸の庶民が今の私達に近い価値観を持つようになったと考える。

 独りよがりで仕切りたがり、思い立ったことはすぐにやりたい! そして母・桂昌院の言うことは何でも聞くという性格がクローズアップされる(また四柱推命的にもその性格を持っていたことは明らかである)ことから、人気の薄い綱吉であるが、短所と長所は紙一重。

 四柱推命鑑定を通して、綱吉は意志が強く、厳格で決断力があり、優しくおおらかな側面が見えてきた。歴史的に考えられている綱吉像も決して間違いでないと思うが、あまりにも評価が低いように思う。今回の四柱推命鑑定を通して、少しでも本来の綱吉自身に近づくことができたら幸いだ。

 

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

■用語説明

日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分

主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。

自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

【参考文献】

「徳川綱吉」福田千鶴 山川出版社 (2010)​

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