レコードがふたたび若者に人気になっている! なんていうネットの記事はよく見るけれどホントだろうか?
10年前に私の極小の会社にきた20代の青年はレコード・プレーヤーを見たことがなかった。クラブも行ったこともないという。3年前にきた20代の女性も同様。このあたりがいまの若者の平均的な線という気がする。
だいたいがYoutubeでタダで聴けるし、SpoltifyやAmazon Musicでお金払えばほとんど聴けるでしょう、というのはほぼ正論。だが、残念ながらそこには厚紙でつくられた一辺30センチもある大きなパッケージや、180grmもあったりする重たいビニールの円盤は付属しない。
そんなものいらないからクラウドでしょう! というのも当然だが、この邪魔くさいモノこそが、モノへの愛着を持たせるのだ。ようするにフェティッシュ。
ビニール(ヴァイナル)・フェチはセクシュアルな世界では、一定数の愛好者がいるが(PVCフェチとかラテックス・フェチ)レコードも同様だ。レコ屋の「臭い」がもう堪らないとか、ね。
ま、こちらはビニールの円盤よりもジャケに対する偏愛者が多いかもしれない。
さて、新しく開発されたメディアが爆発的に拡大するとき、エロ・コンテンツが重要な役割を担っているというのは昔から言われてきたところ。
映画館で観る35mmフィルム全盛時、家庭用の16mmフィルムが開発されるや、膨大な量の地下ポルノ映像が作られハード機器の拡販に寄与したし、家庭用ビデオが登場したときもエロ・ビデオ販売がビデオ・デッキ普及を促進した。
インターネットの最初期、文字だけしかブラウザに表示できなかったのに、もっとデータ容量の多い画像がアップできるようになるとエロ・コンテンツのビッグバンが起こった。
みんなそういうものが好きなのだ!
LPレコードの普及期には、やっぱりセクシーな美女のジャケットが市場を拡大した。1950年代、消費社会に突入していたアメリカの軽音楽には、美女が溢れまくる。
ジャズにしたって、ムード・ミュージックにしたって演奏しているのは、だいたいが男性だ。けっこうなオヤジも少なくない。そんなアーティスト写真がバーンとアップでくるジャケットも多い。
1970年前後だってLPレコードの価格は2000円前後。定食屋で昼ご飯を5~6回は食べれたのだ。
ここで取り上げるような1950年代のレコードは、相対的にずっと高価なのではなかったか、と想像する。それならオヤジの顔写真よりも美女の写真のほうが、購買意欲もソソったであろうことも想像する。
音楽も聴けて、写真も眺められたら二度楽しめる。ネットでいくらでも画像が入手できる時代とは環境が違うのだ!
前口上が長くなってしまったが、この連載ではそんな時代のレコジャケのアレやコレや、エロやパクリや笑いを綴っていきたい。
■もの欲しそうなネグリジェ美女が妄想をかき立てる第一回目は、「とりあえず」ネグリジェ美女たち。なぜ「とりあえず」かというとネグリジェ美女ジャケはあまりに多く、一回では済まないのだ。再度、登場するかもしれない。
「ネグリジェなんて、そうエロくもないじゃないですか」
という方も多いかもしれないが、1950年代はアメリカが最も保守的になり、倫理に厳しくなった時代。映画業界では「ヘイズ・コード」という細かな倫理規定が戦前につくられたが、もう、戦後のハリウッドは、このコードにひっかからないか戦々恐々としていた時代だ。
キスはありだが、「不倫」を匂わせるキスはNGとか。もちろんセミヌードもダメ。乳首が出た映像があれば、配給前にカットされた。いや、脚本段階で「ヘイズ委員会」が(メジャー・スタジオの)全映画を検閲していたのだ。
そんな時代、レコードのジャケットは? というとやはり絶妙にヌードは回避された。乳首はダメだけれど、透けるのは少しはいいよ、とか。太ももは「健康なセクシーさ」だとか。
だからレコード会社側も写真撮影にチカラを入れた。美人がセクシーなポーズを取って、しかも購入した夫が家庭に持って帰って許されるように、少しは品の良さも考えて。さらに薄衣をまとって、できるかぎりヌーディなら最上だ。
ダイレクトにネグリジェ写真を押してくるジャケットもある。美人でセクシーな表情ならこれでも十分。
そこでレコード会社は企画する。美女がネグリジェに着替えて、ベッドに入る前にすることは? タバコを吸うのも良いが、もっと品がありそうにみえるのは?
そうだ、読書だ!
こうして美女がネグリジェ姿で読書するという設定がつくられる。タイトルは? 「まどろみの時間」とか「リラックス」とかつければいいのだ。どのみちタイトルが違っても音楽のほうは、そう変わらないのだから。
これならサバービア(郊外住宅)で、消費の主導権を握っている「家庭の主婦」も夫の散財を大目にみてくれるかもしれない。で、ジャケットを見た妻は少しは焦って、もう一度、若かりし日のセクシュアリティを取り戻そうとしたりもするのだ。それはまた、別の回に詳細を。
ネグリジェ美女が読書をしたり、そうでなかったりでも、どのジャケでもある程度の露出やエロさは保たれる。
写真を掲載した「SLUMBERTIME」の女性は、とてもセクシーな表情で、まるでハーレクイン・ロマンス(1957年くらいから恋愛小説に特化して出版)でも、読んで嘆息しているかのようだ。
「SLUMBERTIME」
「Relax with VICTOR HERBERT」の美女は、ひとりなのになぜこれほど胸をはだけているのか? 「LOVE MOODS」の女性は、「SLUMBERTIME」での本が、枕になってしまった感じ。胸の谷間も跳ね上げた脚も、これはけっこうなエロではなかったのか?
「Music for Daydreaming」は、ソファで読書中にうたた寝してしまった女性という設定だろうが、どうみてもこれは「白昼夢」ではなく、夜中のまどろみだろう。
こういうのはもちろん肩紐が落ちてない写真も必ず撮っている。写真のセレクト~デザイン段階で、ディレクターやプロデューサーらが、こっちのほうが売れる!とか言って、写真を決めるのだ。
そこにミュージシャンはほぼ関与しない。自分の顔写真が出るか出ないかは関与するが、美女ジャケという企画になったら、あとはもうマーケティングの世界だからだ。あまりに品のないのはダメだとか言うのがせいぜいだった。
ネグリジェ美女は、なによりもその「透け」感がウリだったが、その透けの度合いにも絶妙な撮影・製版テクニックが反映されている。
スタンリー・ブラックの「Music of Lecuona」でひざまずく美女など、ほとんど裸のように見えるから、どうしても「乳首は見えるか?」と目を凝らしてしまうのだ。
ちなみに指揮者、スタンリー・ブラックは多作家で本人のアップ写真のジャケも多いが、美女ジャケも多い。なかでもこれは最もキワドイ写真だが、ロマンティックに品良くまとめてもいる。
ロンドン・レコードはクラシックの名盤も数多い老舗だから、扇情性のなかにも品を忘れはしないのだ。
もう一枚、透け度で素晴らしいスリー・サンズの「soft and sweet」。
ヌード・ジャケというのもマイナー・レーベルには存在したが、有名レーベルにはほとんどない。すでに書いたように倫理規制が厳しかったし、大手レコード会社ならではの「格式」もあった。それゆえ購買者にいかに妄想させるか、が重要なテーマとなったのだ。
ネグリジェ美女は、直接にセックスを指し示しはしないものの、これから先のセックスは妄想させた。購買者はレコードを聴いたのち、ジャケをためつすがめつ眺めて、勝手な妄想を繰りひろげるのだ。
30センチのジャケットから美女は動きだし、ネグリジェを脱ぎ始めるかもしれない。どう、妄想するかは購買者の自由。その自由をできるかり拡大するのが、レコード会社のプロデューサーや撮影カメラマンの役目だったわけである。
ところでネグリジェ美女ものは、1950年代の全盛期から1970年代まで続くが、どんどん先細ってしまった。60年代のモダニズムは、活動的なパジャマのほうを流行らせ、セクシーなネグリジェの需要そのものが下降していったからだ。
そんなわけで品良くセクシーなネグリジェ美女ジャケは、50年代特有のグラフィズムとなる。もはやテーマとしても再現できないのだから(ネグリジェ写真など時代錯誤にしか思われないだろう)、当時のジャケをあさる以外にこれを堪能できる術がないのだ。
美女ジャケの誘惑とはそんなものである。
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