2012年に権力の座に返り咲いていらい、安倍内閣は国政選挙で負け知らず。
7月に行われた参院選でも、いわゆる改憲勢力で3分の2の議席を占めることこそできなかったものの、自民党と公明党の与党で、改選議席の過半数をクリアーしました。
むろん、総議席の過半数も獲得しています。
普通に考えて、これは「安倍内閣の政治を支持する」という民意が示されたことを意味する。
けれどもお立ち会い。
安倍内閣の政治には現在、以下のような特徴が見られるのです。
消費税増税(それも景気が冷え込んでいる中での実施)
国民の貧困化や格差拡大の進行
外国人労働者(=移民)受け入れ
年金支給開始年齢の引き上げ
水道事業の部分民営化
IR(カジノを中心とする統合型リゾート)誘致
農業や漁業への外資参入の促進
インバウンド(外国人観光客誘致)促進による各種トラブルの増加
通商交渉におけるアメリカへのさらなる譲歩
韓国へのヒステリックな強硬姿勢
日朝首脳会談の無条件開催
北方領土返還交渉の実質放棄
統計数字をめぐる不正
衆参予算委員会の長期にわたる開催停止
都合の悪いことは何であれ、暴言を吐いて逆ギレするか、否認してごまかせばいいと構える態度
内政であれ外交であれ、国家や国民の利益を守っているとは到底、評しがたい。
選挙で大敗を喫するか、少なくとも大苦戦して当然という感じです。
にもかかわらず、支持してしまう。
わが国の民意とは、一体いかなるものなのでしょうか?
◆平和主義と政府不信
これを理解するカギは、日本国憲法の前文にあります。
冒頭の一文をどうぞ。
【(注:日本国民は)われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。】(原文旧かな。以下同じ)
憲法の確定にあたり、日本人は「再び戦争の惨禍が起ることのないよう」にするため、「政府の行為」を制限すると決意したわけです。
だとしても、ここで言う政府とは、どこの国の政府でしょうか?
分かりますね。
日本政府です。
アメリカ政府でもなければ、イギリス政府でも、ソ連(現ロシア)政府でも、中国政府でもありません。
他国の政府の行為にたいして日本国民が制限を加えるというのは、そもそも不可能ですからね。
けれども国家と国民を守るのは、政府が果たすべき最も根本的な役割。
そのためには必要に応じて、武力を行使したり、武力による威嚇を行ったりすることも求められます。
これを封じ込めようと言うのですから、政府の行為についても、根本的なところから制限を加えねばならない。
ずばり、政府を信用してはいけなくなるのです。
日本国憲法は、よく「平和憲法」と呼ばれますが、その意味では「政府不信憲法」と呼ぶのが正しい。
平和主義の中には、「政府も国民も、平和を守るためなら、いつでも戦う覚悟を持たねばならない」というものもあるからです。
自国政府への不信を中核に据えているのが、戦後日本型の平和主義の際立った特色である、そう形容することもできるでしょう。
そして憲法とは、国の根本的なあり方を規定するもの。
したがって「政府不信」も、戦後日本人のアイデンティティの基盤をなしていると見なさねばなりません。
◆政府不信の論理的帰結(1)
このような政府不信は、いかなる理念にたどりつくか?
答えは4点にまとめられます。
1)財政均衡主義
戦争の際には、どんな政府も戦時国債を発行し、積極財政に徹します。
つまりは戦費調達のために借金するのです。借金のできない政府は、軍事力を持っていようと、戦争を満足に遂行できません。
ですから「歳出は歳入とつねに均衡していなければならない(=歳出の財源を借金でまかなってはいけない)」という原則を確立しておけば、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起る」可能性が大いに弱まります。現にわが国は、1947年に制定された財政法の第四条で、政府が負債を抱えることを原則禁止しました。
けれども財政均衡主義のもとで、政府がなお負債を抱えてしまったらどうするのか?
対策は三つしかありません。
緊縮財政に徹するか、増税するか、緊縮財政に徹しつつ増税するかです。
これを覚えておいて下さい。
2)グローバリズムと対米従属
自国政府を信用してはいけない以上、戦後日本において、ナショナリズムや愛国心は否定されるべきものになります。
憲法前文の冒頭で謳われた日本国民の決意に「諸国民との協和による成果」を確保することが含まれているのは、関連して意味深長。
さらには「(注:日本国民は)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というくだりまで出てくる。
「国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」とは、安倍総理が2013年、ニューヨーク証券取引所で行ったスピーチの一節ですが、もともと戦後日本はグローバリズム志向が強いのです。
それどころか「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」(憲法前文)という発想に従えば、国益にこだわることすら時代遅れになる。
だとしても自国政府のかわりに「諸国民の公正と信義」を信用することで、存立の基盤を確保しようとする発想には、さすがに苦しいものがあります。
政府は具体的な機構として存在しますが、「公正と信義」は抽象概念にすぎないからです。
「自国政府にかわって信用できる政府」がほしくなるのが、自然な心情と言わねばなりません。
・・・分かりますね。
だから戦後日本人(の大多数)は対米従属を受け入れたのですよ!
悪しき日本政府を打ち倒し、自由と民主主義を教えてくれたうえに、寛大な援助までしてくれたアメリカ様なら、信用してついて行きましょうという次第。
グローバリズムと対米従属は、じつのところ表裏一体なのであります。
◆政府不信の論理的帰結(2)
では、残り2点。
3)新自由主義
政府は国民にたいし、さまざまな行政サービスを提供する存在です。
国防に始まり、治安の維持、各種インフラの整備、医療や年金などの社会保障と、例はいくらでも挙げられる。
ところが戦後日本では「政府不信」が、国民のアイデンティティの基盤をなしています。
ついでに財政均衡主義の発想にしたがえば、政府の歳出はなるべく少ないほうが良い。
でないと債務が発生しやすくなるからです。
戦後日本人が、政府からのサービスを当てにするというのは、はたして筋の通ったことでしょうか?
答えがノーなのは明らかでしょう。
そんなに政府を信用できないのなら、あれこれ頼ったりせず、すべてを自己責任で引き受けるのがまっとうな態度というもの。
行政サービスは削減するか、民営化するかのどちらかになります。
これは「小さな政府のもとで市場原理を徹底させる」ことを理想とする、新自由主義の発想とキレイに重なる。
高度経済成長の終わった1970年代後半あたりから、わが国で新自由主義に基づく改革路線が提唱され、後になればなるほど勢いを強めていったのには、このような下地があったのです。
4)政治へのシニシズム
前項でも述べたとおり、そもそも信用していない相手にたいし、望ましいことや良いことをするよう求めるのは、論理的に筋が通りません。
よって戦後日本においては、政府、ないし政治家に期待すること自体が、見当外れであり、間違っているという話になります。
だが、この発想を突き詰めたらどうなるか?
ピンポーン!
政府や政治家が、国民の信用を裏切るような真似をしたところで、怒るには及ばないのです。
というか、目くじら立てて怒るほうがおかしい。
どのみち信用していなかったはずなんですから。
政府の行為に制限を加えることを目的としていた政府不信は、こうして政府の行為にたいする、ほとんど無条件の容認へといたります。
まさしく、両極端は相通ず。
この4点については、拙著『平和主義は貧困への道』(KKベストセラーズ)で詳しく論じましたので、あわせてご覧下さい。
さて、話を参院選の結果に戻します。
◆選挙結果は必然だった!
最近の安倍内閣の政治は、内政であれ外交であれ、国家や国民の利益を守っているとは到底評しがたい。
そんな政権を支持するとは、わが国の民意は一体どういう民意なのか?
記事の冒頭、私はそう述べました。
しかるにお立ち会い。
戦後日本人は「政府不信」をアイデンティティとしており、そのせいで(1)財政均衡主義、(2)グローバリズムと対米従属、(3)新自由主義、(4)政治へのシニシズムを肯定しているという前提に立つとき、選挙結果はまったく必然のものとなります。
安倍内閣の政治に見られる特徴は、否定されるべきものばかりのようでありながら、政府不信のもとでは肯定されるか、少なくとも正当化されるものに早変わりするのです!
具体的に行きましょう。
A)財政均衡主義によって肯定・正当化されるもの
消費税増税
年金支給開始年齢の引き上げ
国民の貧困化や格差拡大の進行
(※)対策を講じるよりも、財政健全化のほうが優先されるので。
B)グローバリズムと対米従属によって肯定・正当化されるもの
外国人労働者受け入れ
IR誘致
農業や漁業への外資参入の促進
インバウンド促進による各種トラブルの増加
通商交渉におけるアメリカへのさらなる譲歩
日朝首脳会談の無条件開催
北方領土返還交渉の実質放棄
C)新自由主義によって肯定・正当化されるもの
年金支給開始年齢の引き上げ
水道事業の部分民営化
国民の貧困化と格差拡大の進行
(※)そんなことは自己責任に決まっているので。
D)政治へのシニシズムによって肯定・正当化されるもの
統計数字をめぐる不正
衆参予算委員会の長期にわたる開催停止
都合の悪いことは何であれ、暴言を吐いて逆ギレするか、否認してごまかせばいいと構える態度
安倍内閣は、しっかり成果を挙げていることになるのです!
残るは「韓国へのヒステリックな強硬姿勢」ですが、これが支持される理由も簡単に説明できる。
国家や国民の利益を損なうような政治を、政府不信ゆえに肯定・正当化しなければならないとなれば、どうしたってストレスがたまります。
そのストレスを、隣国への感情的な反発をつのらせる形で発散しているのですよ。
要は八つ当たりですが、韓国もわが国に八つ当たりを繰り返してきた過去がありますので、お互いさまというところでしょう。
◆野党はなぜ支持されないか
野党(とりわけ左翼系の野党。以下同じ)が支持されない理由も、今までの考察によって解き明かせます。
憲法改正について否定的であることが示すように、これら野党は、与党(わけても自民党)以上に平和主義を信奉している。
ならば政府不信も強くて当たり前。
はたせるかな、財政均衡主義については野党の多くも肯定的です。
55年体制のもと、長らく野党第一党だった社会党(現・社民党)など、政府が負債を抱えることを原則として禁じた財政法第四条について、憲法九条と並ぶ平和主義の縛りと位置づけたくらい。
ナショナリズム否定の傾向も顕著で、ゆえにグローバリズムとも相性がよろしい。
と・こ・ろ・が。
対米従属となると、野党は一転して否定的になる。
日本がアメリカの世界戦略に巻き込まれ、憲法九条の理想が損なわれるからという理屈です。
しかしその場合、わが国の存立のよりどころは「諸国民の公正と信義」以外になくなってしまう。
野党の平和主義が、非現実的な観念論と批判されるのも、決してゆえのないことではありません。
のみならず。
政府不信を掲げたら最後、新自由主義だって肯定せざるをえなくなるのに、社会保障系の行政サービス、わけても弱者救済の性格を持ったものとなると、充実を叫ぶのが野党の定番。
与党に比べて、非現実的なうえに矛盾しているのです。
支持されないのも道理ではありませんか!
1993年と2008年に起きた野党への政権交代が、そろって自滅的失敗に終わったことも、関連して付記しておきましょう。
◆戦後は続くよ、どこまでも
「戦後レジーム(体制)からの脱却」などというスローガンを唱えた過去があるせいか、安倍総理にはとかく「戦後を否定したがる人物」というイメージがまとわりつく。
とはいえ今や、これはまったくの誤解です。
安倍総理の人気を支えているのは、戦後平和主義の際立った特色にして、われわれのアイデンティティの基盤ともいうべき「政府不信」。
その意味で総理こそ、戦後日本にふさわしい政治指導者の完成形にほかなりません。
だからこそ、11月には在任期間が歴代1位となるのです。
た・だ・し。
これは総理の悲願である憲法改正が、見果てぬ夢のまま終わることも暗示します。
日本国憲法の世界観こそ、戦後の政府不信の原点。
すなわち安倍総理の人気の原点も、じつは憲法なのです。
それを変えようとするなど、自分の支持基盤をみずから突き崩すにひとしい。
民意にしたところで、そんなことは望んでいないはず。
安倍内閣が「何をやっても勝てる」ほどの安定した人気を誇りつつ、参院選で改憲勢力が3分の2を維持できなかったのも道理ではありませんか。
総理を「戦後日本にふさわしい政治指導者の完成形」と見なせばこそ、有権者はそれだけの議席を与えなかったのです。
今後、総理は野党の切り崩しを図ることで、改憲論議の進展を図ると言われます。
しかし今までの分析を踏まえれば、切り崩しが成功したとしても、論議はまとまらないか、戦後脱却とは無縁の方向、それどころか「戦後レジーム」を強化する方向へと進んでゆくに違いない。
憲法改正は戦後を脱却するための切り札のはずだったのに、これでは本末転倒です。
たとえば九条については、現在の条文はそのままにして、自衛隊の存在を明記した第三項を追加する案が持ち上がっている。
けれども「自衛隊」などという中途半端な組織ではなく、正式な国軍を持てるようにするのが、九条をめぐる改正の本来の趣旨。
憲法に「自衛隊」の名称を明記してしまえば、国軍への変更はますます難しくなってしまいます。
ゆえに憲法改正は見果てぬ夢なのです。
改憲が(奇跡的に)実現したとしても、そうなのです。
爽快だと思いませんか?
戦後は続くよ、どこまでも。
令和初の国政選挙は、そんなメッセージを残したのでした。
(了)