「死役所」(あずみきし)という漫画がある。
SNSでダイエット記録を始め、激痩せしていくヒロインに対し「いいね」がどんどん増えていく。ただ、コメントのなかには、
「私の理想です」「励みになります」「今日の食事教えて」
というものもあれば、
「痩せ方が気持ち悪い」「一度病院に行った方がいいんじゃないですか」
というものも。この状況が「激痩せ」をめぐる複雑な事情をよく反映しているのだ。
SNSと激痩せの関係については、ちょうど3年前に上梓した拙著『痩せ姫 生きづらさの果てに』でも言及した。痩せたがる女性たちにとって、ネットでの好意的反応は自信や安心につながるし、逆の反応は落ち込みや不安をもたらす。2017年1月にはテレビ番組『ザ!世界仰天ニュース』で英国人少女のインスタグラムダイエットがとりあげられた。163センチ57キロだった彼女は、インスタでの称讃を糧に、38キロまで痩せるのである。
この番組では「シンスピレーション」や「プロアナ」といった用語も紹介されていた。それぞれ「痩せる気持ちを高めるもの」「拒食支持」を意味する。
2017年後半から翌年前半にかけて注目された、愛子内親王の激痩せ騒動においても、心配する声とともに、憧れ羨む声が聞かれた。また、メディアによっては「目を見張る〝スリム〟姿!」「いつの間にこんなおきれいに」と報じたが「どうして!?『摂食障害』の指摘も飛び出して」などとそれとなく病気扱いしたところもある。
前者については、皇族への配慮に加え、痩せ=美という価値観に寄ったかたちだろう。一方、後者は「痩せすぎ=病的」という価値観から、その深層を推理した。雑誌『女性セブン』には宮内庁関係者によるこんな証言が。
「いちばん身近な〝お姉さま〟である佳子さまが『美しすぎるプリンセス』としてメディアで取り上げられたことも影響していると思われます。9月下旬、愛子さまは炭水化物を抜くダイエットを始められたそうです」
これがエスカレートしたことについては「愛子さまは〝やり始めたらやる〟という性格で、頑固な面をお持ちです。雅子さまに似て完璧主義な部分もあり、結果が出るまでやらないと気が済まない」とのこと。こうした証言などをもとに、彼女の立場や環境によるプレッシャーやストレスを強調することで、激痩せの謎を分析してみせたわけだ。
この状況は、宮沢りえのときに似ている。95年の激痩せ騒動の際、多くののメディアがいろいろ分析を試みた。こちらの場合も、立場や環境によるプレッシャーやストレスがけっこうわかりやすく、また、失恋という出来事などもあいまって、格好の素材だったのである。
その後、ふたりは「激痩せ」状態ではなくなったため、メディアも世間も「めでたしめでたし」的な雰囲気に落ち着いた。ただ、ふたつの価値観のせめぎあいという問題は今も解決していない。
宮沢はありがちなリバウンドを回避し「健康的な痩せすぎ」ともいうべき体型を長年保つことで、高い人気を維持していった。いわば「痩せ=美」を体現する女優の代表だ。かたや、愛子内親王はリバウンド以上と思われる変化をして、その体型が取り沙汰されることはなくなった。本人の心境はどういうものだろう。
少なくとも、痩せ姫たちにとって、宮沢はリスペクトの対象だったりするが、愛子内親王は同情の対象だったりもする。体重が増えてよかったという、単純な話でもないのだ。
【2019年も「激痩せ」で話題になる女優が…】いずれにせよ、女性有名人の「激痩せ」は世間をざわつかせる。
5月31日にテレビ番組『さんまのまんまSP』『全力!脱力タイムズ』に続けて出演した際には、
「病的に細いな。でもめちゃくちゃ可愛い」「透明感ありすぎて透き通りそう」「拒食症だった友達と同じ痩せ方な気がする」
といったさまざまな声が、ネットのあちこちで飛び交った。CMで共演した有村架純からも「休みをとれているのか」と心配されたという。ただ、最近は少し戻った印象なので、ざわつきはおさまるかもしれない。
一方、葛藤を自らを告白する人たちもいる。女優の遠野なぎこは13年に過食嘔吐などの経験をカミングアウトした。「思春期で体重が増え始めた私に母が“吐く”という行為を教えた事がきっかけです」(本人のブログより)という話は衝撃的で、彼女はその後も自らの生きづらさについて講演などで語り続けている。
また、最近では城田優の妹・LINAやゆんころこと小原優花といったモデルたちが拒食時代の経験を明かした。ただ、過去形で語られる場合、ざわつきは少ない。本人のなかでせめぎあいの結論が出ていて、それもだいたい、痩せ<健康、という方向に着地しているからだ。
その点、現在進行形の激痩せ有名人は見る者にもさまざまな課題を突きつける。ご存知の方も多いだろうが、激痩せは美の問題だけではなく、生き方そのものの問題なのだ。本格的な痩せ姫の口からは「死んでもいいから痩せたい」とか「痩せることで生きづらさを紛らわせる」とか「死に近い場所で生きているような安心感がある」といったことばが語られる。具体的にいえば、性的なトラウマから逃れるため、女性性を消したくて痩せ細るというような事例が見受けられるわけだ。
もともと、現代人は生物的本能から遠ざかりつつあり、健康への欲以外にさまざまな欲にさいなまれながら、バランスをとっている。その危うさに気づかせるようなものは「不健康」だとして否定しがちなのだ。そんななか、とばっちりを食ったりするのが、激痩せ有名人だろう。
たとえばかつて、ケイト・モスは座右の銘として、
「どんな食べ物も、痩せている快感にはかなわない(Nothing tastes as good as skinny feels)」
というプロアナの標語を挙げ、拒食を助長するとしてバッシングされた。そのインタビューでは「どんなに外見がよくても、心がすさんでいてはダメ」などとも語っていて、その前提のもと、モデルとしての気構えを口にしただけなのだが……。彼女自身、アルコールや薬物に依存した時期もあり、激しい葛藤のなかで生きている。そこに思いを馳せれば、彼女もまた生きづらさを抱えるひとりの現代人であることが理解できるはずだ。
ちなみに、当時のBMIは16台。
おそらくこれは、痩せ=美という価値観がやはり魅力的だからだろう。魅力的だからこそ、達成者への嫉妬やハマりすぎることの不安を覚え、否定したくなるのだと考えられる。
いったい、どの痩せ方が美しいのか、どこまで痩せれば危険なのか。激痩せ有名人及び痩せ姫は、そんな美や命の価値観、あるいはボーダーラインを鋭く問いかけてくる。リトマス試験紙にも似た、貴重な存在なのである。