歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。
※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

 今回は、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1 世の皇后であり、「シシィ」の愛称で知られる、エリーザベトを四柱推命鑑定する。美貌と悲劇のヒロインとして知られるエリーザベトだが、どんな性格を持っていて、どんな生活をしたら幸せになれたのだろうか、四柱推命鑑定で明らかにする。

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※日本では長い間「エリザベート」と表記されてきたが、正確には「エリーザベト」である。ミュージ カル等の名称を除いては、本稿では「エリーザベト」と表記する。エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837-1898 年)
生年月日:1837 年12 月24 日
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第66 回~エリーザベト~
 

 まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。

■日柱の干支:「辛丑」(かのとうし)

「辛(かのと)」は自然界の物質に表すとダイヤモンド、「丑(うし)」は季節で冬を意味することから、「辛丑」は「冬のダイヤモンド」と解釈できる。まさにエリーザベトは、静かな冬景色の中に光り輝くダイヤモンドのイメージ。いかに美しく、繊細な人物だったかは伝わるだろう。

「辛」の人は、繊細で精神不安定なところがあり、傷つきやすい。一度ダメージを受けると立ち直るのに時間がかかる。また、自分ではコントロールできない試練を受けやすく苦労が多い。

 エリーザベトは、皇帝フランツ・ヨーゼフ1 世に見初められ、16 歳でオーストリア皇后となるも、伝統を重んじる宮廷との軋轢の中に苦しんだ。

1889 年には息子のルドルフ(オーストリア帝国皇太子)はこともあろうか、不倫の恋の果てに無理心中。その後、エリーザベトは終生喪服で過ごした。やがてヨーロッパ中を流浪する日々を送るが、その旅の果てに暗殺される。そんな生涯は、今も悲劇として語られ、ミュージカル「エリーザベト」を始め、映画、小説等に描かれている。まさに私達が知るように、試練が多く、運命の中に翻弄された人物であるといえそうだ。

 続いて、通変星、蔵干通変星からエリーザベトの性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第66 回~エリーザベト~
 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。

リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

〇遊び心50%(食神・傷官)

 遊び心は、生活に自然と遊びを取り入れることができ、芸術性も高い。中でも「食神(しょくじん)」は、皆でカラオケや食事に行くことが大好きな子どものような星。おしゃべり好きでおおらかな星でもある。食べることが大好きでグルメ。また、「傷官(しょうかん)」は、美に対する興味が強く芸術性も高いが、ガラスのハートの持ち主。特に女性の場合、毒舌な人が多いが、繊細で傷つきやすい。

 エリーザベトの性格のうちの半分はこの「遊び心」に占められる。子ども時代は、おせじにも優等生とは言えず、勉強もピアノの嫌いで、レッスンの間には詩を書き散らしていた。そんな中に訪れた結婚話。

本来は姉のヘレーネに向けた縁談だったものの、フランツ・ヨーゼフはエリーザベトを見初めた。それまでほとんど母・ゾフィー大公妃の言いなりだったフランツ・ヨーゼフだが、この時ばかりはエリーザベトに求婚して欲しいとせがんだという。エリーザベトに結婚の意思が伝えられると「皇帝のことはとても愛しています。でもあの方が皇帝でさえなければよかったのに」と泣き叫んだという。確かに「遊び心」が半分を占めるエリーザベトにとって、伝統を重んじお堅いオーストリア帝国に嫁ぐのはストレス以外の何物でもなかろう。もし筆者が今鑑定士として結婚の相談を受けたら、まず薦めない縁談である。ボヘミアに立つ前からせき込み始め、皇宮の前に立つと目がくらみ食欲もなくなった。国民から「バイエルンの薔薇」と讃えられたエリーザベトの顔色は、次第に青ざめていったという。

 また、「傷官」を持っていたエリーザベト。「美」に異常にこだわり、美しい身体をキープするために当時のあらゆる美容法を行った。マッサージ、ウォーキング、サウナと冷水浴、吊り輪、体操…また、果物だけ、ミルクだけを取るなどのダイエットも行った。彼女は身長172 センチだったにも関わらず体重はわずか50 キロ、今日のファッションモデルと同じような体系をしていた。

しかし、その代償も大きかった。ウォーキングの最中に肌を日光にさらす、心臓に負担をかける、多品目の食品を摂らない…等、現代ではあまり好ましくないとされる方法を続けていたことになる。そのために栄養失調が見られ、沈み込んでいることも多かったという。死の直前には、日焼けのせいで顔はしわだらけ、入れ歯を入れており、扇で常に顔を隠し続けていた。とことん美を追求したエリーザベト。自分の老いに向き合うことができなかったのだろう。

〇知性30%(偏印)

 知性は、様々な知識が豊富で、論理的に物事を捉えるのが得意な星。中でも「偏印」はひらめき、アイディアが豊富で、学校のお勉強以外で才能を発揮する。例えば、IT や医療関係に強い。また、海外にも縁がある。

 エリーザベトは、確かに学校のお勉強はあまり得意でなかったようだが、医療関係で力を発揮した。イタリアと戦ってオーストリアが大敗したソルフェリーノの戦いにおいて、エリーザベトは初めてその特異な才能を発揮。

負傷兵の看護にあたり、ラクセンブルク城に臨時の救護所を作った。普墺戦争の折には看護師として病院を慰問して回り、負傷者をいたわった。病人やけが人に対して非常に優しく、28 歳の時にバード・キッシンゲンに療養した当時は、盲目の老公爵の手をひき、全身麻痺のイギリス人の散歩に付き合った。また、1874
年にはミュンヘンでコレラ患者を見舞い、感染も恐れずに危篤患者の手を握り締めた。1871年の誕生日プレゼントには、設備の整った精神病院を夫にねだったという。まさに、人道主義を先取りしていたと言える。

 また、海外にご縁のあるエリーザベト。肺結核と診断され、医師が温暖な場所への転地を勧めると、皇帝からできるだけ遠ざかろうと大西洋上の孤島マデイラ島へと飛ぶ。すると、咳はぴたりとやみ、トランプ遊びをしたりマンドリンを弾いたりして楽しむことができた。しかし、半年後、ウィーンに帰還すると、またも食欲が落ちて夜も眠れなくなり、肺結核を再発した。その後、ギリシャのコルフ島へ飛んで…というように海外への転地を繰り返した。1890 年に娘・マリー・ヴァレリーが結婚すると、自ら「かもめの飛行」と名付けた旅へ出る。

訪れた都市は、ドーヴァー、ポルト、シントラ、ジブラルタル、アルジェ、ナポリ、アテネ、チューリッヒ、ジュネーヴ…とヨーロッパ各地に及ぶ。やっと自由になり、少しは羽を伸ばせたことだろう。エリーザベトは、現代でいう心身症だったと言えるだろう。ウィーンに戻ると体調が悪化する…やはり彼女には海外が向いていたのだ。

〇行動力10%(偏官)

 行動力は、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「偏官(へんかん)」は、攻撃的行動的な星。野性的で思い立ったら即行動する。運動神経がよい。お勉強嫌いだったエリーザベト。しかし、運動神経はよかったようで、乗馬に秀でていたエリーザベトは、子ども時代、岩山をかもしかのように駆けまわっていた。夫婦関係が危機を迎えてからは、皇帝が狩りに出た後、1 日中馬に乗って過ごしていたという。また、エリーザベトは宮殿の一角で舞踏会を開いたほか、民間の舞踏会にもしきりに出かけた。その後、「かもめの飛行」を行うあたりを見ても、行動派の人物だったといえよう。

〇自立心10%!(比肩)

 自立心は、他人に依存することなく自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップが強い。「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人肌。頑固で人の意見に惑わされず、自我を貫く性質がある。

 エリーザベトは政治について幾度となく、夫・フランツ・ヨーゼフに意見している。それについて、姑・ゾフィー大公妃は何度も戒めた。しかし、頑固な性格だったのだろう。自分の意見を突き通そうと必死に抗った。先に紹介したソルフェリーノの戦いでは、一刻も早い講話を促した。また、ハンガリーを心から愛したエリーザベトは、ハンガリーの宿願であったアウスグライヒ(妥協)を実現して欲しいとブダペストから皇帝に嘆願した。譲歩しようとしない皇帝に怒ったエリーザベトはブダペストに居座り続けた。この行為が功を奏し、アウスグライヒが成立。これにより、ウィーンとブダペストという2 つの首都、2 つの議会をもつオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立した。ハンガリーにとってエリーザベトは救世主であった。

【十二運星】

〇長生(ちょうせい):運勢エネルギー9

 長男長女の星。人から信頼される。

〇養(よう):運勢エネルギー6

 幼児の星。かわいがられ、目上の人から引き立てを受ける。

〇建禄(けんろく):運勢エネルギー11

 王子様の星。何かを継承する役割を持ち、発展性、安定性がある。大勢の人に応援してもらえる。

 今回は、悲劇のヒロイン、エリーザベトの四柱推命鑑定してきた。全体を通して思うことは、やはりお堅いオーストリア帝国に治まるべき存在ではなかったということだ。地位や名誉はなくても、もっと自由に楽しく暮らせる環境が、遊び心たっぷりの彼女には合っていた。しかし、エリーザベトにとって苦痛な環境の中でもなんとかバランスを取り続けようと必死に抗い続けた彼女の強さも見て取れた。逆の言い方をすれば、自由の利かない環境だったからこそ、エリーザベトの人道主義者としての才能が開花し、ハンガリーの救世主になり得たとも言える。そう考えると、本人にとってどんなに辛い環境にあってもそれは運命で、その中でやらなければいけない使命が人それぞれにあるということになるのかもしれない。

 ところで、夫・フランツ・ヨーゼフ1 世の性格にはあまり触れてこなかったが、彼は非の打ちどころのない美男子で、完璧な優等生であった。勤勉で誠実、時間に正確で几帳面、自分の行動に責任を持ち、踊りも上手…ドイツ宰相・ビスマルクも、彼の唯一の欠点として「お年の割に真面目すぎるところ」と言ったほどだ。そんな完璧人間の彼が、あえて自分と真逆の性格をもった、自由奔放、学業嫌いでトラブルメーカーのエリーザベトを妻に迎えたことは最大の矛盾である。エリーザベトが夫を愛していたのかはわからないが、間違いなく逆は言える。皇帝は最初に出会った瞬間から暗殺の日まで愛し続けた。彼女の死の翌日「私がこの女性をどれだけ愛していたか、おわかりになりますまい」と話したという。「人は自分にないものを求める」とよく言うが、まさにその典型のような夫婦であったと思う。

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

■用語説明

日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分

主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。

自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。

【参考文献】

・「皇妃エリザベート ハプスブルクの美神」カトリーヌ・クレマン 創元社 (1997)

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