縄文時代の日本人は、植物の次に多く食べていたのが魚です。銛もりと釣り針を使って、近海魚を中心に、ブリ、サバ、イワシ、スズキに鯛、ヒラメ、さらにはフグまで獲っていました。ということは、どうすれば安全にフグを食べられるか知っていたことになります。
銛と釣り針は精巧に作られていて、しくみは現代のものとほとんど変わらなかったようです。イカやウニも食べていました。
同じころ、大陸では食用の牛、豚、アヒルなどの飼育がすでに始まっていました。この習慣が日本で広がらなかったのは、太平洋側でも日本海側でも寒流と暖流がぶつかり合い、漁業資源が豊富だったからでしょう。わざわざ動物を育てて肉を食べる必要がなかったのです。
三内丸山遺跡から出土した縄文人の食料の形跡のなかには、クルミの殻、鴨の骨に、鯛やサメの骨もあります。サメを食べていたとは驚きですが、じつは淡白でおいしく、現代ではサメを使ったはんぺんは高級品として知られています。魚の次に多く食べていたのが猪や鹿などの獣肉で、弓矢を使って、ときには鯨、北日本ではトドやアザラシ、オットセイも獲っていました。
貝も大切な食料でした。貝の殻を捨てた場所が貝塚になって残っています。明治10(1877)年、汽車で新橋に向かっていたモース博士が車窓から発見した有名な大森貝塚は、縄文時代後期から晩期の遺跡です。
日本の自然がこれほどまでに豊かな恵みをもたらしてくれることに驚かされますが、縄文人は食欲にまかせて食材を採集していたわけではなく、栗の木を植えて管理し、幼い獣は捕えないなどの知恵をそなえていたようです。
この時代には調味料として塩を使うことがなかったとされています。といっても、人の体が正常に機能するには塩分の摂取が欠かせないため、魚や貝、動物を内臓までしっかり食べることで塩分を確保していたのかもしれません。また、塩の代わりに、貝を煮て干したものを利用していたのではないかという指摘もあります。湯に入れれば塩分と出汁が出るので便利です。さしずめ即席スープの祖先ですね。
山椒を使っていた痕跡もあり、食材が豊富なうえに味つけにもこだわっていたことがうかがえます。
■虫歯はあったが長生きだった縄文人

骨格から推定すると縄文人は頭が大きく、顔の幅が広く、眉の上が出っ張っていて、鼻は鼻筋が通って高く、幅が広かったようです。青森の三内丸山遺跡での発掘調査によれば、当時の大人の身長は男性が157センチ、女性が147センチくらいで、骨太で筋肉が発達し、がっしりしていました。
縄文時代の早期から犬を飼っていたこともわかっています。動物考古学の専門家によると、縄文犬は小型の柴犬に似ていて、一緒に狩猟に出かけたようです。
犬を丁寧に葬った墓や、飼い主と思われる女性とともに埋葬した墓がある一方で、犬以外の動物の墓は見つかっていないことから、縄文人にとって犬は特別な動物だったと考えられます。犬と一緒に埋葬されていたのはすべて女性でした。犬を女性の守り神と見ていたのでしょうか。のちの時代に犬が安産の象徴になることとの関連を思わせます。
遺跡からは骨と化石しか出てこないので、縄文人の健康状態や病気について調べるのは簡単ではないものの、排泄物の化石から寄生虫の卵が発見されており、寄生虫に感染していたことがわかります。
ちょっと意外なことに、縄文人はわりと虫歯が多かったようです。虫歯のなりやすさは地域によって差があり、北海道では少なく、本州の縄文人はその7、8倍にのぼりました。
虫歯は食べものに含まれる糖やデンプンが口の中の細菌によって分解され、歯が溶けることで発生します。そのため、植物性の食品を多く食べるほど発生しやすく、たとえばグリーンランドの先住民は、肉と魚中心の食生活だったころは虫歯がほとんどなかったのに、生活が近代化されるにつれて虫歯が急増したそうです。
北海道で虫歯が少なかったのは、本州の人がドングリなどの木の実、芋類を多く食べていたのに対し、気温が低いために木の実があまり手に入らず、魚、肉など動物性の食品にかたよりがちだったからと考えられます。
縄文人の平均寿命は30~35歳だったと見られますが、多くの人が30代前半で死亡したということではないので気をつけてください。当時は生まれてまもなく亡くなる子どもが多かったために、全体としての平均寿命が低かったのです。最近の研究から、縄文人の約3割が65歳を超えるまで生きていたと報告されています。