子供はかわいい。とくに自分のお腹を痛めてこの世に生を授かった我が子ならば。
しかし、難病を抱えた場合、その子の将来を思えば、思うほど胸が引き裂かれるような思いにも母であればこそ直面します。難病を持つ我が子とどう向き合うか、愛する感情と現実の重さとの葛藤をどう乗り越えたのか『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著者が述べていきます。◆ピエロの衣装のような「膜」をまとって生まれてきた我が子

「魚鱗癬(ぎょりんせん)」とは、皮膚が魚のウロコやサメ肌状になって生まれてくる病気です。症状や原因などによって、いくつもの病型タイプがありますが、多くは生まれつき、肌を作るうえで重要な働きをする遺伝子に異常がある先天的疾患です。

 そのため肌は保湿機能がほとんど失われており、四肢や体幹の広い部分、あるいは全身がゴワゴワして厚い皮膚で覆われています。

 なかでももっとも重い症状を持つのが、息子の陽くんが罹患した「道化師様魚鱗癬」です。重症者では硬くて厚い鎧状の皮膚に覆われています。マブタや唇は真っ赤にめくれ、耳たぶは変形し、まるでピエロが着る道化衣装のような「膜」をまとって生まれてくることが多いことからこの病名がついています。

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ピエロの衣装ような「膜」をまとって産まれてくる難病から「道化師様魚鱗癬」と呼ばれる

 正常な皮膚を持つ健常者は気づかないのですが、皮膚は私たちが生きていくうえで、重要な働きをしています。

 そのひとつが体温調節機能です。身体の水分が蒸発するのを防ぎ、身体のなかのさまざまな臓器や組織の機能を安定させています。

 もうひとつは皮膚の「バリア機能」です。

道化師様魚鱗癬とは?

 外部から侵入してくる異物や細菌・ウィルスなどをここでシャットアウトして、侵されないようにしています。

 患者の新生児、乳児ではこの皮膚のバリア機能が極端に弱いため、産まれてすぐに感染症を起こして死亡するケースが、近年まですごく多かったのですが、この病気の研究が幾分進んだこともあり、最近では死亡率はだいぶ減少しています。

 先天性魚鱗癬の発症頻度は数十万人にひとり、その中でも道化師様魚鱗癬は50~100万人にひとり、ともいわれています。アムステルダムのフロリク博物館や、パリのデュピュイトラン博物館に、ホルマリン漬けの人体標本が保存されていることから、昔からあった病気だと思われますが、調査や研究がはじまったのは最近です。

 ちなみにわが国における患者数は、表皮融解性魚鱗癬や先天性魚鱗癬様紅皮症が200名くらい、道化師様魚鱗癬に至っては不明確だと言われています。

 病気の分類法についても10数年前にはじめて国際学会が開催され、議論されました。わが国においてもその頃に診断基準や治療法の指針をつくるために、厚生労働省の班研究が始まりました。

 専門家の数も少なく、皮膚科・小児科でもさえこの病気を詳しく知らない人が多いのは、こういった歴史や背景を持つ疾患だからと言えるかもしれません。

 この病気の検査は、皮膚の一部を採取して顕微鏡で診ることなどが行われますが、道化師様魚鱗癬では原因遺伝子が判明しているので、血液検査をして、その遺伝子「ABCA12」に異常(変異)があるかどうかを調べて確定します。

    この病気を治癒させる根本療法はありません。

 症状を抑えるための対症療法が中心で、ビタミンA誘導体(レチノイド)の服用、あるいは保湿クリームを塗るスキンケアなどにより、生活にできるだけ支障がないように、症状をなるべく軽微に抑え、病気とずっとつきあっていくしかありません。

 ただ今後、道化師様魚鱗癬の原因が究明されると、治癒・根治に導く薬や遺伝子治療などが開発される可能性があります。

 病気のメカニズムがわかると再生医療なども期待できます。それらの研究に、いま拍車がかかっている段階です。

◆「難病を抱えた我が子とどう向き合うべきか」という問題

 私の息子である、陽くんは2016年の暮れに生まれました。

 妊娠35周目の帝王切開による分娩で、体重は2335グラムでした。

  36週以前に生まれれば、いわゆる早産で、通常の産院では呼吸や血圧などに異常が発生したとき管理するのが難しいので、地域の基幹病院である三重中央医療センターへ送られてきたのです。

 陽くんは仮死状態で、心拍数も低く、すぐに分娩室からNICU(新生児集中治療室)へ移されました。

 心拍はすぐに回復しましたが、出産の時点で、全身の皮膚の異常、指の癒着、マブタや唇の異常、耳介(じかい)の変形など重症の「道化師様魚鱗癬」を示す症状が認められ、その管理をする必要もあり、NICUで集中治療をする必要があったのです。

 新生児では元気な子もたくさんいる一方で、命に関わる症状を持って生まれたり、出生直後に罹患する子も少なくはありません。

 一般的に未熟児は低体温・免疫不全からくる感染症にもかかりやすいのですが、陽くんは加えて重症の魚鱗癬で、皮膚からの細菌感染などのリスクも高かったのです。もし感染が全身に回ってしまうと臓器不全などが起こり、亡くなってしまいます。

 10年ほど前までは、その死亡率は高く、陽くんも油断のならない状態が続き、出産から約3ヶ月間、入院しました。やっと退院したのもつかの間、その後も感染からと思われる身体上の変調や不調が次々に起こり、入退院を繰り返しました。

 昨年(2018年)はビタミンA誘導体である「チガソン」が奏功したことから肌の状態も良好になり、感染症も少なくなって緊急入院はほぼなくなりました。

 今年になって久しぶりにブドウ球菌による感染が起こり、2カ月月間入院しました。

 菌が薬剤耐性となり、抗生剤が効きにくい状態になりましたが、医師や看護師、その他のコメディカル、家族も巻き込んでのチーム医療により危機を脱することができました。

 感染は皮膚からで、皮膚がゴワゴワして、バリア機能が低下している状態では、いつまた再発するかわからず、当分用心しなければならないそうです。

 陽くんは現在2歳になりました。言葉も日々増えつつあり、お母さんやお父さんとのコミュニケーションもだいぶとれるようになりました。

 難病をもつ子供とどう向き合うのか、これから少しお話させていただこうと思います。(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より)

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