2019年の日本で話題となったMMT(現代貨幣理論)ですが、カヘイリロンという堅苦しい名称とは裏腹に、本質は難しいものではありません。
それどころか、経済学者ならぬ経営者は、MMTが体系的に理論化される前から、この発想に基づいて行動し、企業を発展させてきたのです。
というわけで、前号記事「超奇跡! MMTはジブリで分かる!」では、スタジオジブリの生みの親である徳間康快さん(とくま・やすよし。徳間書店社長、故人)が、同スタジオの新社屋建設にあたって語った言葉を取り上げ、それがいかにMMTを体現しているかをお話ししました。
MMTの要点をあらためて整理すれば以下の通り。
1)カネ(貨幣)とは、紙幣や硬貨といった物理的な形を取ることもあるが、本来は貸し借りを記録した数字にすぎない。「キャッシュレス」なる表現が示すとおり、「キャッシュ」(物理的な形を取った貨幣、つまり現金)と「マネー」は違うのだ。
2)したがってカネは、しかるべき帳簿に数字を記載するだけで生まれる。現在ではコンピュータのキーボードで入力するため、これを「キーストローク」(キー叩き)と呼ぶ。
3)ただし、返済の見込みがない相手にカネを融資する者はいない。ゆえにキーストロークでカネを生み出せるとは言っても、実際にどれくらいのカネが生まれるかは借り手の返済能力次第となる。
4)しかるに政府は通貨発行権を持っている。そのため自国通貨で負債を抱え込むかぎり、政府の返済能力に制約はない。返済用のカネをみずから生み出せるのだから、あとはキーを叩けば良いのである。
(※)もっとも為替レートが固定されていると、自国通貨で負債を抱えても、他国通貨で抱えたのと実質的に同じになる。財政、ないし経済がどんな状態であろうと、自国通貨の下落が起こらず、決まったレートで他の通貨に交換しなければならないためである。よってこの条件は、変動為替相場制を採用していることを含む。
5)ゆえに政府はいくらでも財政支出を増やして、景気を刺激することができる。けれども当の支出によって喚起される需要が、財やサービスに関する自国経済の供給能力をあまりに上回ると、物価がどんどん上がってしまう。
6)よってインフレ率が、財政政策の制約となる。しかしデフレのときは、もともと需要が供給を下回っているのだから、この制約を気にする必要はない。
徳間康快さんの言葉にならって、上記六項目をひとことで要約すればこうなります。
【カネは政府がいくらでも使える。どの国も重いものを背負って生きてゆくが、デフレのときはそれが重くなくなるもんだ】
これを「MMTのジブリ式テーゼ」と呼ぶことにしましょう。
◆政治主権・通貨主権・経済主権MMTは貨幣に関する理論ですが、同時に政府に関する理論でもあります。政府が(インフレ率によって制約されないかぎり)カネをいくらでも使えるのは、政府に通貨発行権があるからにほかなりません。
ではなぜ、政府に通貨発行権があるのか。政府は主権を持っているからです。政治的な主権が、通貨発行権を支えるのです。
他方、自国の通貨について、固定レートによる外国通貨や金(きん)などへの交換を保証しないことを「通貨主権」と呼びます。保証しなくても通貨の信用が保たれることが条件ですが、MMTは「通貨主権が確立されていれば、デフレ時の政府支出に制約はない」と述べていることになるでしょう。
(※)「通貨主権」は「通貨発行権」と同じ意味で用いられる場合もありますが、ここでは上記のように区別して用います。
デフレの際、政府が支出を増やして景気を刺激することは、国が繁栄を続けるうえで大いに貢献します。そして繁栄している国では、政治も安定しやすい。
言い替えればMMTは、次のサイクルを提起しているのです。
1)政治主権は通貨発行権をもたらす。
2)国がある程度発展した段階で、通貨発行権は通貨主権に成熟する(※)。
3)通貨主権を持っていれば、繁栄の維持がそれだけ容易になる。
4)繁栄する国の政治は安定しやすいので、政治主権も強化される。
(※)途上国はしばしば通貨主権を持てません。自国通貨を、ドルのような主要通貨と固定レートでリンクさせないかぎり、暴落の恐れありとして、外国から設備や技術を導入(つまり輸入)できないせいです。
通貨主権に基づいて、積極的な財政政策を取ることを、「経済主権」と呼んでも良いでしょう。この場合、MMTは「通貨主権を媒介として、政治主権と経済主権を連携させる国こそ、繁栄を維持する」と説いていることになります。
論より証拠、MMTの代表的解説書であるL・ランダル・レイの『MMT 現代貨幣理論入門』の原著には、「A PRIMER ON MACROECONOMICS FOR SOVEREIGN MONETARY SYSTEMS」という副題がついていました。
訳せば「主権に支えられた通貨システムのためのマクロ経済学入門」。
MMTは貨幣のみならず、主権の概念とも切り離せないのです。
さて、わが国はむろん通貨主権を持っている。
よって経済主権を行使する条件も整っています。
ところが過去二十年あまり、政府は財政健全化にこだわり、経済主権を行使してきませんでした。デフレ不況が長引き、国民の貧困化が進んだ主要な原因もここにあるのです。
ならば日本復活の道筋は明々白々。
政治主権と通貨主権をともに持っているのだから、経済主権を積極的に行使し、繁栄を取り戻せばよろしい!
そう、そのはずなのですが・・・
◆「政府否定」を脱却できるか MMTに基づく経済主権の行使が、わが国で受け入れられるうえでは、厄介な障害があります。
すなわち戦後の平和主義。
『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』で詳しく論じたとおり、戦後日本の平和主義は、たんに戦争を否定し、平和を希求するものではありません。
憲法前文に「(日本国民は)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」(原文旧かな)と謳われているとおり、自国政府を信用せず、その行動に制約を加え続けようというものなのです。
戦争となれば、どんな政府も積極財政に徹します。
でなければ戦費が足りず、敗北してしまう。
調達の手段は、当然ながら公債(戦時国債)の発行、つまり借金です。
ならば「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」有効な方法は、積極財政を禁じること。
はたせるかな、敗戦直後に制定された財政法の第四条によって、わが国は公債の発行を原則禁止しました。
赤字国債を発行する際には、そのための特例法を毎回成立させねばならないのです。
野党など、かつて「赤字財政は戦争につながる」旨を主張して、国債の発行に反対したほど。
これは「積極財政は戦争への道」というにひとしい。
積極財政と景気刺激の関連を思えば、「景気刺激は戦争への道」です。
片やMMTが説くのは、通貨主権を媒介とした政治主権と経済主権の連携。
主権を担うのはつねに政府ですから、政府の意義や役割を否定するところにMMTは成立しえません。
ならばわが国にMMTを定着させ、景気回復を達成するためには、政府をとかく否定したがる戦後平和主義からの脱却が不可欠となる。
『平和主義は貧困への道』という拙著のタイトルは、誇張でも何でもないのです。
『奇跡の経済教室』二部作の中野剛志さんをはじめ、京都大学教授の藤井聡さん、経済評論家の三橋貴明さんなど、ナショナリズムを肯定的にとらえる立場(いわゆる「保守系」)の論客が、わが国におけるMMT紹介の主流となっているのは、その点で必然と言えるでしょう。
ところが、ここでさらなるどんでん返しが待っています。
当たり前ですが、MMTは欧米で生まれた理論。
『MMT 現代貨幣理論』の著者L・ランダル・レイのほか、ステファニー・ケルトン、ビル・ミッチェルといった経済学者が、MMT派の有名どころです。
しかるにお立ち会い。
これらの人々の政治的な立場は、そろって左翼なのです。
中野剛志さんは、MMTをめぐる東洋経済主催の討論(私も参加しました)で「MMT自体、政治的には本来、ニュートラル(注:中立的)な議論です」と述べましたが、「本来」と断っていることが示すように、現実はそうなっていません。
驚くなかれ、欧米のMMT論者たちは、保守系と目される言論人や政治家と接触することにすら及び腰なのです。
たとえば2019年夏、ステファニー・ケルトンは藤井さんの招聘により来日しました。
これには三橋さんも協力しています。
ところがアメリカのMMT派がつくる団体「現代貨幣ネットワーク(Modern Money Network, MMN)に「ケルトンめ、日本の右翼ナショナリストと接触するとは何事だ!」という旨の批判が寄せられる。
藤井さんが安倍政権で内閣官房参与を務めたことがあり、三橋さんも保守系と見なされていること、あるいは自民党の国会議員と面会したことが問題視されたのです。
批判を寄せたのは「自由社会主義者会議」(Libertarian Socialist Caucus, LSC)という左翼団体ですが、ケルトンへの謝罪要求や、事と次第ではMMNが主催する会議のボイコットを呼びかけるという通告まで含んでいたため、MMNが声明を発表する事態となりました。
それによればケルトン、次のような対応を取ることにしたとか。
1)保守系MMT論者からの再度の訪日招聘を断る。
2)日本で保守系と目されているメディアの主催するイベントには、今後一切参加しない。
3)日本の左翼系MMT論者とは接触を保つ。
まったくニュートラルでない姿勢と言わねばなりません。
◆貨幣理論と南京大虐殺 話はここで終わらない。
ケルトンに続いて、藤井さんはビル・ミッチェルを招聘しました。
こちらの招聘には、左翼系の政治運動「薔薇マークキャンペーン」も関わったようですが、ケルトン訪日をめぐる騒ぎを見たミッチェル、いろいろ条件をつけた旨、ブログで公表します。
特定の人物・組織・雑誌(名前は伏せられていますが、文脈からいってどれも保守系でしょう)の関わるイベントには出ないとか、面会を拒否する人々のリストを作成して渡したとか、インタビューは日本の主要メディアと代表的な国際メディアに限るとか、あれこれ書いてあるものの、とくに目を惹くのはこれ。
藤井さん、2018年から『表現者クライテリオン』という雑誌の編集長を務めているのですが、ミッチェルは同誌に「南京大虐殺は幻だった」と主張する記事が掲載されたとして、削除を要求したのです!
どうやら思い違いだったらしく、藤井さんとのやりとりのあと、ミッチェルは要求を取り下げますが、貨幣理論と歴史認識問題に一体どういう関係があるのか。
とまれ欧米のMMT論者が、わが国のナショナリズム、およびナショナリスト(つまり保守派)にたいして、相当に否定的な態度を取っていることは否定できません。
来日中(離日直前のようです)のブログでも、ミッチェルは藤井さんへの謝意を表明しつつ、まだこんなことを書いている。
【私が出会った人々の政治的な立場はさまざまだった。進歩派(注:つまり左翼)の中には、保守派の人間とMMTや経済政策の話をするなど間違っていると考える者もいるかも知れない。だが私の持論は「啓蒙は力なり」である。保守派の連中がこちらに寝返るよう仕向けずして、進歩派が勢力を強めるなどありえない。私はMMTリクルート担当官として全力を尽くしたのだ。】
お分かりですね。
ミッチェルにとってMMTはあくまで左翼理論であり、保守系の人間と接触するのは、左翼に転向させるための手段にすぎないのです!!
だが、どうしてこういう話になるのか。
その秘密は、次号「衝撃! MMTはグローバリズムを正当化する!」で明かすことにします。
(了)