東京オリンピック・パラリンピックを来年に控え、早急な対策を求められているのが日本のサイバーセキュリティ問題だ。先のラグビーワールドカップで大会組織委員会のシステムが12回にもおよぶサイバー攻撃を受けたこともあり、政府は24時間体制のセキュリティ調整センターを予定を前倒しして3月をめどに設置することを決めた。
だが、対策はそれだけで十分なのか。新書『サイバー戦争の今』の著書である国際ジャーナリストの山田敏弘氏が、日本のサイバーセキュリティ事情を解説する。

第1回目はサイバー犯罪の温床となっている「ダークウェブ」について。
『サイバー戦争の今』著 山田 敏弘 より)■盗まれた個人情報や仮想通貨、クレジット情報などが
闇取引されるサイバー空間「ダークウェブ」
悪の温床「ダークウェブ」の正体の画像はこちら >>

 最近、日本でもよく見聞きするようになった「ダークウェブ」という言葉。

 ダークウェブとは、簡単に言えば、普通のインターネットからはアクセスできない闇のネットワークのことを言う。ダークウェブは完全匿名で利用できるインターネット空間であり、誰でも無料で利用できる。

 ただその匿名性ゆえに、犯罪者やサイバー空間で不正行為などを行うハッカー、情報当局者の工作活動などにも使われている。ここ最近だけを見ても、ダークウェブにからんだ危険なニュースが世界中でかなり報じられている。

 

 そこで、このダークウェブとはそもそもどういう世界なのか迫ってみたい。その実態を知ることで、興味本位でこの危険なネットワークを利用しないように促すこともできると信じている。

 ダークウェブについては、拙著『サイバー戦争の今』(KKベストセラーズ刊)で詳しく解説しているが、本稿でも少しその世界を紐解いてみたい。

 

 最近、世界ではこんなニュースが話題になっている。

例えば、12月19日には、フェイスブックのIDや電話番号など2億6700万件の情報が12月4~12日にダークウェブで公開されていたことが判明している。また12月20日には、アメリカで人気の監視カメラにアクセスする電子メールアドレスとパスワードが1562件もダークウェブで共有されていたことがニュースになった。

 

 米ニューヨーク州では、ダークウェブで元恋人男性を殺してくれるヒットマンを募集した女性が実刑判決を受けたと報じられている。またワシントン州シアトルでも違法な合成薬物をダークウェブの「違法買い物サイト」で販売して100万ドルを超える稼ぎを出していた40歳の男性が7年の禁固刑を言い渡されたとニュースになっている。

 イギリスでは少女2人に性的虐待をしようとしたかどで投獄されていた41歳の受刑者が、間もなく出所する囚人仲間に、ダークウェブを使って児童性愛者専門サイトにアクセスするマニュアルを渡していたことが判明し、刑期が追加されたと12月16日に報じられている。お隣の韓国でも、当局がアメリカとイギリスの協力で、ダークウェブで韓国人が運営していた大規模な児童ポルノサイトを摘発し、そのサイトのために働かされていた少女たち23人がアメリカで保護されている。

 このように、直近だけでも、ダークウェブにからんだ事件は枚挙にいとまがないのである。過去を振り返ると、日本で起きた大事件でも、ダークウェブが使われている。2018年1月に日本の仮想通貨取引所コインチェックから、約580億円分の仮想通貨が盗まれた事件。ご記憶のかたも多いと思うが、盗まれた仮想通貨の多くはダークウェブで換金された。

 

 そんなインターネットの「闇世界」と言ってもいいダークウェブは私たちが日常的に使っているグーグルやヤフーからはアクセスできない。その世界にアクセスするには、TOR(トーア)という特別なブラウザが必要になる。

基本的には英語が必要になるが、無料で誰でもすぐにダウンロードして使用することが可能だ。

 ダークウェブには、違法な商品を売買するサイトや漏洩情報を共有するサイト、ハッカーらが情報交換する掲示板などが多数存在する。闇のショッピングサイトもあり、麻薬や拳銃、クレジットカード番号やパスポートの売買が行われ、児童ポルノサイトも存在するという。要は、普通では扱えないあらゆる商品や情報が堂々と提供されているのである。

 また世界各地で猛威を振るうサイバー攻撃のツールや、セキュリティに弱い会社などの情報も、ダークウェブで売買または共有されている。そこに政府系ハッカーらも入り混じって、サイバー攻撃の温床にすらなっている。各地で盗まれた個人情報やクレジットカード情報なども多くがダークウェブに落ちていたり、売られているのである。

 ただ一般ユーザーが興味本位にアクセスしても、なかなかそうしたディープなサイトには行き着かない場合もあるだろう。匿名通信で犯罪が横行しているだけあって、仮想通貨など匿名通貨を払わせてトンズラする詐欺行為も横行しているし、提供されている情報にウソも少なくない。またなかなか覗くことも許されない掲示板なども無数にある。

 

 とにかく、ダークウェブでは犯罪行為が横行していることは間違いなく、犯罪者だけでなく、それを探る各国の当局者なども集まっているのが実態だ。

■京アニ襲撃犯も使っていたダークウェブ「トーア」は日本でも身近な存在になってきた
悪の温床「ダークウェブ」の正体

 百害あって一理なしにも思えるこのダークウェブは、いつ誰が何のために作ったのだろうか。

 実は、元々は米軍が開発したものだった。1995年、ワシントンD.C.にある米海軍研究試験所(NRL)で、アメリカの諜報活動や事件捜査、情報源とのやり取りなどを誰にもバレないように行う目的で、「Onion Routing(オニオン・ルーティング)」と呼ばれる技術の開発が始まった。意外に思うかもしれないが、現在では犯罪の温床となっているこのダークウェブは、最初は米軍が研究開発したプロジェクトだった。

 このオニオン・ルーティングのオニオンとは、「たまねぎ」を意味する。どういうことかと言うと、このプロジェクトは、ユーザーを「たまねぎ」のように何層ものレイヤーの中に隠してインターネットを利用するというコンセプトだった。つまり、インターネットで目的のサイトにアクセスするのに、いくつものコンピューターを数珠つなぎに経由することで、元のユーザーの正体を隠すという仕組みなのだ。ルーティングとは「経由する」という意味だ。

 この技術はしばらくすると「The Onion Routing(Tor=トーア)」と呼ばれるようになり、非営利団体のプロジェクトとして民間に引き継がれた。ちなみに民間に移行した理由は、この特殊なアクセス方法を採用しているのが米政府関係者だけという実態のせいで、逆に誰がオニオン・ルーティングを使った匿名通信でサイトにアクセスしているのかがバレバレになってしまいそうだったからだ。より多くが使えば、誰が使っているのかはよりわかりづらくなる。

 実はこのTorは当初から、匿名の通信を確保する特性から、中国や中東諸国などの独裁的な国家で当局の検閲をかいくぐってインターネットに接続するために使われたり、メール送信にも使われるようになった。中東の民主化運動「アラブの春」でも、活動家たちのやりとりをTorなどが支えたことはよく知られている。

 ただ同時に、その匿名性に目をつけた犯罪者たちにも使われるようになっていったのは必然だったと言えよう。そうして、Torは肥大化し、今日の姿になった。

 日本では、すでに述べたコインチェックの事件以外でも、Torが犯罪などに使われている。2012年に日本各地で爆破予告などが行われて騒動になった「パソコン遠隔操作ウィルス事件」でも、犯人はTorを使って犯行に及んでいた。2017年に日本の警察当局や大手企業だけでなく北朝鮮のサーバーなども狙ってサイバー攻撃を行い、それをツイッターで嬉々として喧伝していた日本人らしき愉快犯の事件でもTorが使われた。2019年7月に起きた京都市の京都アニメーションが放火されて多数の死者を出した事件でも、脅迫メッセージなどでTorが使われていたという。

 筆者はマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学中に、当時MITの近くにあった本部を訪れたことがある。その詳細は拙著『サイバー戦争の今』に譲るが、遠隔でいろいろな人がブラウザの維持や管理などを担っていた。非常に興味深いプロジェクトだと言える。

 日本では2018年、警察庁がダークウェブに関する初の実態調査に乗り出す方針を固めたと、メディアで報じられた。もっとも、捜査も簡単にはできないため、国外のセキュリティ会社にも協力を要請しているのが実態だ。今後も引き続き、事件の裏にはダークウェブがチラつくことになるだろう。

 超高速で大容量のネット接続を可能にする5G(第5世代移動通信システム)の時代になれば、IoTやコンピューターなどが今とは比べ物にならないほどネットワークに接続され、サイバー空間と実世界の境界がなくなっていく。

 そうなれば、ますますダークウェブの存在感が高まる可能性もある。

(了)

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