年末年始最大のスキャンダルといえば、カルロス・ゴーンの逃亡だろう。日本人としては腹が立つが、メディアや世間の食いつき具合はこの手の出来事がどこか魅力的なことも示している。
芸能界においても、逃避行や失踪といったことがちょくちょく起き、注目を浴びてきた。
古くは戦前、共産主義者の演出家とソ連へ駆け落ちした岡田嘉子だったり、恋人と海外に飛んだ関根(高橋)恵子や木之内みどりだったり。また、若人あきら(我修院達也)が釣りをしていて行方不明になり、3日後に記憶喪失状態で発見されたのにも驚かされた。
新しいところでは昨年、KANA‐BOONの飯田祐馬が10日間にわたって音信普通となり、バンドのライブが中止になったりした。飯田はかつて、清水富美加(千眼美子)と不倫をした過去があり、彼女が17年に、幸福の科学の活動に専念するとして表舞台から消えたことから、また出家かという見方も浮上したものだ。
なかでも、その意外性においてゴーンよりも衝撃的だったのが、のりピーこと酒井法子の逃亡だ。09年夏のことなので、10年数ヶ月が過ぎた。改めて、その経緯を振り返ってみるとしよう。
発端は、8月2日。これは押尾学が薬物セックスで急死した愛人女性を都内のマンションに置き去りにした日でもある。押尾が別の部屋に移動して「ヤク抜き」をしていた頃、酒井の夫(当時)高相祐一が都内で職務質問を受けた。
それが夜11時頃のことで、彼女は現場に急行。
「子供を預けているので、あとで行きます」
と、拒否。自宅マンションに戻ると、大量の荷物を持って外出する。そして、東京駅近くのコンビニATMで計40万円を引き出し、その店でカップめん、菓子、飲料水などを約6000円分購入。さらに、新宿区内の量販店(ドンキホーテ)で衣服、下着、化粧水などを買ったあと、渋谷区内の郵便局に立ち寄った。長男を預けていたママ友あてに、生活費として現金40万円と手紙を送るためだ。
こうして、逃亡生活がスタート。この日、押尾は逮捕されたが、酒井は行方をくらました。所属していたサンミュージックの相澤秀禎会長(当時)はこんなメールをしたという。
「心配していますよ。ひとりで考え込まないで僕に相談してください。(略)とにかく電話がかかってくるのを待っています」
しかし、4日になっても返信がない。
捜索願を出した心境について、会長はのちにこう語っている。
「僕たちは本気で法子が自殺するんじゃないかと心配していたからです。本当にそればかり考えていた。(略)うちには岡田有希子のこともあるし、法子を担当していた溝口マネージャーが自殺した過去もある……。しかも今回は子どもも一緒にいなくなっている。尋常ではないと思ったんです」(週刊文春)
岡田は酒井の3年先輩にあたるアイドルで、86年4月に自殺。酒井は前年12月に上京して会長の自宅に下宿していたが、同じく下宿していた岡田が3月からひとり暮らしを始めたことによりその部屋を譲られていた。また、溝口伸郎マネージャーは岡田をデビューからその死まで手がけたあと、酒井を長年にわたって担当。
こうした経緯もあいまって、事務所サイドはもっぱら、夫が逮捕されたショックから酒井が死を選んでしまうことを案じていたわけだ。捜索願が出された直後に行なわれた会見もそのトーンで進み、メディアも世間もそこに同調する雰囲気となった。
その雰囲気はしばらく持ち越されることに。5日には、酒井が長男の預け先に「子供の声を聞かせてほしい」と涙声で公衆電話をかけてきたという。その長男は6日に、警察によって保護された。
ところが7日になって、事態は一変する。夫が酒井の覚醒剤使用を供述、自宅マンションで覚醒剤と吸引器具が押収された。これにより、彼女にも逮捕状が出され、テレビでそれを知った彼女は弁護士に連絡をとり、9日に出頭する運びとなった。
その予定より一日早く、8日午後8時前に彼女は出頭したのである。
9日から取調べが始まり「詳しくは覚えていません」としながらも「夫が目の前で逮捕されたことにより、気が動転してしまった」「逃避行という意識はなかった」などと供述した。
11日には、事務所がコメントを発表。
では、逃亡していた6日間、彼女はどうしていたのか。都内の他には、都下の東大和や箱根、そして山梨県内にいたらしい。実際、事務所の会見が行なわれた4日の午後3時頃には、彼女の携帯電話の電波が山梨県身延町で確認されていた。捜索願が出されたことをテレビで知った彼女は「びっくりした」という。
ちなみに、山梨は酒井にとって縁のある土地だ。会長いわく「幼い頃から里子に出されたり、複雑な家庭環境だった」という彼女の父は、福岡で活動していた山口組系暴力団組長。元ホステスとの再婚を機に、埼玉の親戚の家で暮らしていた娘を呼び寄せた。そして、娘がデビューした87年に足を洗って金融業に転じ、酒井にとっては継母にあたる妻とともに山梨へ移住する。が、その2年後、交通事故で亡くなった。
会長は「法子のお父さんがそっちの人だというのは、スカウトした後で知りました」としつつ、
「アイドルとしての将来性は抜群だったので、それがデビューへの壁にはならなかった。お父さんを亡くしたとき、法子は寝台を足で蹴って泣いていた。
と、振り返る。酒井の覚醒剤使用を疑わず、自殺の心配ばかりしていたのも、一種の親バカだったのかもしれない。「ヤク抜き」目的だったともされる逃亡を助けたのは、元組長夫人である継母と、その40年来の知り合いという社長、その兄でイトマン事件の許永中らとつきあいのある弁護士だった。彼女は結局「芸能界の父」より「そっちの継母」を頼ったのだ。
ただ、こうした「複雑な家庭環境」が酒井の魅力にもつながっていたのだろう。デビュー当時は明るさが売りだったのに、女優としては淋しい役どころで人気を得るようになったのも、それと無縁ではないはずだ。
ところで、冒頭で触れたゴーンの件でも意外な話が飛び出した。彼の父がかつて密輸に絡んだ殺人などで死刑判決を受け、懲役に減刑されてからも脱獄を企てたりしていたことが報じられたのだ。
アウトローな血と犯罪、という意味で、このふたつの逃亡劇は通じるところがあるのかもしれない。