命よりも大事なもの
今では当たり前のように使われる「激瘦せ」という言葉。しかし、その歴史は意外と浅く『広辞苑』のような辞書にもまだ掲載されてはいません。
そんな有名人の激瘦せの例として、記憶に新しいのが川島なお美です。
ここ10年くらいはずっと、158センチ42キロという細身の体型でしたが、
2015年9月、記者会見に登場した彼女はさらに瘦せ、体重は30キロ台前半なのではといわれました。にもかかわらず、露出の目立つドレスを着ていたことで、マスコミも世間も驚きの反応を示します。
記者会見が行なわれたイベントでの姿。 ブログにも「激やせとか言われちゃうん だろうな」と書いていた。その多くは、前年1月に手術を受けた胆管ガンの進行を危惧するものでした。ただ、拒食症を疑う見方も出て、一部からはこんな声も囁かれることに。
「病的で、見るに耐えない」「手足は隠すか、公の場に出ることを控えるべき」
ところが——。これとは逆の反応を示した人たちがいます。たとえば、ミクシィの「骨皮筋子」というコミュニティでは、こんな書き込みが。
「このくらい綺麗に瘦せたら羨ましいです」「細くなる秘訣を教えてほしい」
そう、瘦せ姫たちのなかには、彼女の激瘦せに憧れを抱く人もいたのです。
実際、その姿には美しかった人が病的に瘦せることで生じる「萎(しお)れの美」というものがありました。世阿弥は『花伝書』においてそれを「花の盛り」以上のものだと見なしていましたし、紫式部も『源氏物語』のなかで、晩年の瘦せ細った紫の上について、このうえない美しさだと絶賛しています。
さらにいえば、その姿にはどこか鬼気迫ったものも感じられました。その正体は、ほどなくして判明します。会見から9日後に舞台を降板した彼女は、その1週間後に死去。女優という誇りと生きがいのために、まさしく身を削りながら、最期のときを闘っていたのです。
そんな彼女の闘病生活も、あくまで「女優業」を優先したものでした。舞台のスケジュールが入っていたため、手術の日程を何ヶ月も引き伸ばし、髪が抜けるなどの副作用を避けるために、抗ガン剤治療を徹底拒否。その頑(かたく)なな姿勢が死期を早めたのでは、という指摘もされていますが……。
彼女は自らの選択について、こう説明したといいます。
「ミュージカルの舞台に立つ自分にとって体は楽器。それに傷をつけてしまうとうまく鳴らなくなる」(註1)
ここで思い出すのが、別の有名人の闘病ぶりです。
しかし、インターネットではこんな意見も目にしたものです。
「それ以外の、どんな選択があるんだよ」
つまり、何より大切なのは命だから、声帯摘出こそ唯一の選択だとの主張です。このとき、違和感を覚えるとともに、この発言者のことが少し気の毒になりました。
命より大事だと思えるようなものが、この人にはないのだろうな、と。
ちなみに、つんく♂は決断の理由に「家族」を挙げていました。妻や子と長く一緒にいたいから、ということです。また、彼は作詞や作曲の能力もあります。逆にもし、彼が独身で、作詞・作曲の能力を持っていなかったなら、たとえ死期を早めることになっても、自分の喉のどで歌い続けるという選択をしていたかもしれません。
話を、川島に戻します。彼女の激瘦せはもっぱらガンによるものでしたが、もともと細身志向だったことも無関係ではないでしょう。
158センチ42キロというのは、彼女が自身の美を追求するなかで理想のものとして磨き上げた体型。仮に闘病のため、もっと太ることを勧められても応じることはなかったでしょうし、細身であることは女優としても女性にとっても、重要な意味を持っていたと思われます。あの会見でのドレス姿にしても、激瘦せではなく「激太り」だったなら、隠そうとしたのではという気がするのです。
激太りよりは、激瘦せのほうがマシ。そう考える現代女性は少なくないですし、彼女の最期はそんな感覚を体現するものでもありました。しかも、健康至上主義ともいうべき世の中で、命よりも大事だと思えるものを見つけ、死の直前まで打ち込むことができたのです。54歳という惜しまれる若さだったことも含め、幸せな人生だったといえるでしょう。
瘦せ姫には、命より大事なものをめぐって葛藤している人が多い印象です。そういう人にとっての幸せとは、健康で長生きすることより、命より大事なものを見つけて死ぬまで打ち込めることなのかもしれません。
(註1)『文藝春秋』2015年11月号(文藝春秋)
(つづく……。※著書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』本文抜粋)

エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。