事後処理には紙を用いるのが、いまも昔も一般である。ただし、現在は紙といってもやわらかいティッシュペーパーである。
江戸時代も、男女は事後処理に紙を用いたが、ティッシュペーパーには及びもつかないくらい分厚く、ごわごわした紙――和紙だった。さぞ使い心地が悪かったに違いないが、当時の人々はティッシュペーパーなど知らなかったから、「紙はこんなもの」と思っていたろう。便利な物を知らなければ不満もない。
江戸の春画を見ると、情交している男女のまわりに、丸められた紙が多数散乱している図柄が多い。すでに数回しているにもかかわらず、なおもいどんでいるというわけで、書入れのなかのセリフも、
「もう、七回した。目がまわりそうだ」
「まだ、あたしは足りないよ」
などという内容である。
もちろん、これは春画特有の誇張とふざけである。見る者をニヤリとさせる趣向といえよう。しかも当時、紙は高価だったから、やたらに使い捨てるのはもったいない。せいぜい一枚か二枚を用いて、男と女は局部をふき清めた。
では、遊里ではどうだったか。遊女は客との房事を終えると、紙で陰茎をぬぐってやり、さらに自分の陰部をぬぐったあと、
「ちょいと、お茶を頼んできいす」
などと言って寝床を抜け出し、階下の便所に行った。便所で放尿したあと、風呂場で、盥の湯を手ですくって陰部を洗った。事後に放尿し、湯で洗浄するのは性病と妊娠の予防のためだが、気休めである。ほとんど実効はなかった。
『つびの雛形』(葛飾北斎、文化9年)に、吉原の遊女と客の事後処理が描かれている。遊女が客の陰茎と自分の陰部を紙でふき終えると、男が言った。「サア、茶をくんでくるのをかこつけに、早く手水(ちょうず)に行ってきさっし」
男は遊女が事後、手水場(便所)に行くのを知っていた。しかも、自分が妓楼の内情を知っているのが得意でならない。しかし、こういう男は陰で「半可通(はんかつう)」と呼ばれて、遊女からは嫌われ、馬鹿にされた。
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