江戸中期以降の春本では、性交のことを「交合」と表記し、「とぼす」と読ませることが多い。当時の江戸の庶民が使っていた性語である。
さて、『街談文々集要』の文化六年(1809)の項に、こんな記述がある。
近来、とぼすという言葉流行す、男女交合の隠語也。
交合を「とぼす」と読むのは、本来は隠語だったようだ。それが文化六年頃には一般的な性語として定着していたことがわかる。同書にはこんな狂歌も紹介されている――。
十七をとぼそうとせし年寄は御まつりもなくたたむ提灯
十七歳の娘に老人がのりかかり、とぼそう(性交)としたが、けっきょくお祭り(性交)はできず、しかたなく提灯(ちょうちん)をたたんだ、と。提灯をたたむと、短く縮んでシワがよる。その様子は、いったんは膨張した陰茎がけっきょくふにゃーっと縮み、シワくちゃになるのに似ている。そのため、提灯は陰萎(いんい=インポテンツ)の連想にもなっていた。同書にはこんな狂歌も紹介されている――。
とぼそうと思う心も年寄りの
くにゃくにゃとなるちょうちんの沙汰
いったんは固くなり、「おっ、これはいけそうだぞ」と内心で勇躍したものの、肝心のときになると、陰茎は提灯をたたむかのように、くにゃくにゃとなってしまった。そんな老人の悲哀である。
隠語の「お祭り」については、春本『古能手佳史話』(天保7年)に、仲睦まじい夫婦の性生活が描かれている――。
たまたま亭主が夜おそくなって帰宅した。女房は行灯のあかりで、夜なべ仕事の裁縫をし、そばで男の子が寝ている。亭主がせかせた。
「夜なべはせずともいいじゃねえか。もう床がとってあるなら、目の覚めぬように坊を寝かせばいい。早くお祭りを始めようじやァねえか」
すると、その声を聞きつけ、寝ぼけた子供が言った。
「お祭りが始まると、そのときは田舎のおばさんも来るかえ」
子供は「お祭り」を文字通りに解釈したのである。春本のユーモアとはいえ、夫婦の仲睦まじさは、現代人の感覚からしてもほほえましい。要するに、亭主は女房とするのを楽しみにしているのだ。