妓楼(女郎屋、遊女屋)の経営者である楼主は俗に「忘八(ぼうはち)」と呼ばれた。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つを忘れた人非人という意味である。いくら羽振りがよくても、楼主の社会的な身分は低く、陰では人々から忘八呼ばわりされ、さげすまれた。
さて、天保のころの世相を記した『江戸愚俗徒然噺』に、吉原の楼主と呉服屋の主人の対話がある。
ふとしたことで吉原の楼主と呉服屋の主人が出会い、世間話をしているうちに、いつしかおたがいの商売の話になった。
「あなたのご商売はまことに家業の最上。うらやましいご身分でございますな」
楼主がしみじみと言った。呉服屋の主人は答えて言う。
「いえ、いえ、そんなことはございません。同じ一生を送るなら、面白い家業にこしたことはございますまい。あなたのご商売はまことにうらやましく思いますぞ。さだめて朝寝もできましょうし、第一、毎日がにぎやかで、三味線の音色を聞き暮らすのも楽しみというものではございませんか。
しかも、安く仕入れた女の子が全盛の花魁(おいらん)ともなれば、その儲けは大きいはず。
さらに、富裕な客人に身請けされることにでもなれば、その金額は莫大になりましょう。それにひきかえ、あたくしどもの商売の利幅はせいぜい五分か七分。そのうえ、物によっては売れ残って二、三年、場合によっては四、五年も寝かせておく代物もある始末でしてね。小さな利潤を集めてようやく成り立っているようなものでございます」
「いえ、それは思い違いでございます。あなたの家業では仕入れた反物(たんもの)を整理し、値段をつけるなどの仕事があるにしても、一度きりではございませんか。ところが、あたくしどもでは、毎日毎日、紅白粉などの化粧をさせねばならず、しかも飯まで食いますから、客が取れないときは丸損でございます。また、反物類はいまは売れなくても、寝かせておけばいずれ売れることもございましょう。
しかし、あたくしどもでは、たとえば病気にでもなられたときは放っておくわけにもいかず、勤めを休まれた上に薬まであたえねばなりません。しかも、年季のうちに死なれでもしたらまさに品物を泥棒に盗まれたも同然の大損です。あげく、世間からは忘八などといやしめられ、まったく割に合わない商売でございますよ」
ふたりは顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
「隣の花は赤い」「隣の芝生は青い」などということわざがあるが、人のほうがよく見えるもの。楼主と呉服屋の主人がおたがいに自分の家業がいかに大変かをぼやき、相手の商売をうらやましがっているのがおかしい。
それにしても、楼主が「女」を商品としてしか見ていなかったことがわかる。妓楼にとっては、女はあくまで金で仕入れ、客に売って儲けを得る商品だった。
吉原の遊女の年季は十年が一般的だが、年季が明けたあとの面倒を妓楼が見るわけではない。その意味では、妓楼にとって女は使い捨ての商品だった。割り切らなければ、妓楼稼業などできない。楼主は忘八にならざるを得なかったともいえよう。