江戸時代、武士階級の窮乏化が進んだことはよく知られている。
もちろん表向きは禁止されていたが、実際には幕臣の身分は株として売買されていた。こうした株を買ったのは富裕な商人である。家業は長男に継がせ、次三男を幕臣にしたのである。
株を売って町人になった幕臣の話が『藤岡屋日記』に出ている。
ある御家人は内藤新宿の女郎屋の遊女と馴染みになり、ついには身請けして夫婦となった。身請けには大金がかかるため、御家人株を売り払ったのである。町人となった男と女房は湯島切通坂の裏店に住居を定め、網細工をして暮らしを立てた。
ここまでは、武士の身分を捨てて愛する女と一緒になったわけであり、一種の美談にも思える。ところが、女房の両親が現われるにおよび、運命が狂い始めた。
女房の年老いた両親が暮らしに行きづまり、夫婦のもとに転がり込んできたのである。夫婦だけでもかつかつの生活だった。
そこで、近所の屋敷に女房が女中奉公に出るようになった。昼間だけの勤めで、夜は自宅に戻って寝るという約束だったが、そのうち女房は先方の屋敷に泊まるようになり、しだいにその間隔が長くなり、ついには十日目くらいにようやく帰宅するような状態になった。
亭主は怒り、やきもきする。そんな亭主を見て、近所の男が言った。
「そりゃあ、男ができたに違いないぜ。おめえさん、気がよすぎるよ」
カッとなった男は屋敷に出かけ、用事にかこつけて女房を呼び出すと、刃物で刺し殺し、そのまま逐電した。
女の死骸は妻恋坂に放置されたままで、奉公していた屋敷も引き取ろうとしない。やむなく、娘の年老いた両親が引き取ったが、娘には死なれ、娘の亭主はいなくなり、ふたりは遺体を前にして途方に暮れるばかりだった。