愛知万博の2005年前後、書店にさまざまな「名古屋本」が並んだ。岩中祥史の本やそれと同工異曲のもの、また雑誌の名古屋特集号などであった。サブプライムローンやリーマン証券の破綻による世界的な経済危機が起きる前でもあり、活力ある町として名古屋が話題を集めていたのである。
経済誌や名店紹介本などは、実学書実用書として意味がある。しかし、名古屋文化を論じたものには大したものはなかった。唯一の例外が井上章一『名古屋と金シャチ』(NTT出版)である。これは時流に便乗した一冊のように見えながら、名著と言ってよい本である。
井上章一は京都大学で建築学を専攻した研究者で、建築史から意匠論や風俗史まで幅広い分野で通説を覆す研究成果を発表している。しかも、それは、個々の誤りを指摘するだけではなく、そういった通説を支える思考方法の再考を促すものである。
一例だけ紹介しておこう。法隆寺の柱は真中が緩やかに膨らんでいるが、これは古代ギリシャの神殿のエンタシス様式の影響を受けたものだと何となく信じられている。しかし、そんな根拠はどこにもない。この不正確な通説が広がった背後には「南蛮幻想」(西洋憧憬)がある、というのだ。大変興味深い指摘である。
『名古屋と金シャチ』も同じように興味深く、私も初めて知った話がいくつも書いてあった。
名古屋は「日本三大ブスの産地」?名古屋は「日本三大ブスの産地」だという話もあった。この「三大」は「ブス」にかかるのではなく「産地」にかかる。日本の三大ブスが名古屋生まれだというのではなく、ブスの三大産地を挙げるとその一つに名古屋が入る、というのである。残る二つは、仙台と水戸だという。
この本を読んだ時、私にはにわかには信じられなかった。名古屋にブスが多いということも、そんな説があるということもである。
私は井上章一の本を読んで少し後、古本屋でこんな本を見つけた。三遊亭円丈『名古屋人の真実』(朝日文庫、2006)である。元版は1987年刊行の『雁道―名古屋禁断の書』(海越出版社)などだが、それを再編集して文庫化したものだ。
この中にも「三大ブス産地説」が書かれている。
「昔から言われている日本のブスの三大地帯というのがある。これも時と場所によってその地名も変わるが、一応定説となっているのは水戸、名古屋、仙台、この三つがブスの三大名産地と言われている」
この本自体、落語家の放談エッセイであって見るべきものが全くない。実は芸人のエッセイにはしばしば名著好著がある。古川緑波『非食記』(ちくま文庫)、春風亭柳昇『与太郎戦記』(ちくま文庫)、加藤大介『南の島に雪が降る』(ちくま文庫)などは、資料としての評価も高く、文章にも味わいがある。しかし、三遊亭円丈のこの本は単なる出まかせの放談集である。
ともあれ「合理的根拠をさがそうとするほうが、まちがっている」ような「浮薄な風聞」は、井上章一が聞いた以外にもあったのである。
しかし、井上章一の研究の過程で意外な事実も明らかになる。明治から昭和戦前期までは、全く逆に、名古屋は美人の産地としてよく知られていた、というのである。その頃の雑誌などにも「美人の産地として有名な名古屋」「昔から名古屋は美人が多い」と頻繁に書かれていた。井上章一は言う。「名古屋と聞けば、美人の産地と反射的に応答する。それが、名古屋観の紋切型になっていた」。
これまた、私にはにわかには信じられない。名古屋にそんなに美人が多いということがである。
名古屋には美人が少ないと言いたいのではない。
しかし、名古屋美人産出説が広く流れていたことは文献上確認されている。この説があったこと自体は、根拠のない風聞ではない。
私も『朝日新聞の記事にみる―東京百歳』(朝日文庫、1998)に、次のような記事を見つけた。
「美人の本場は名古屋でも、肌の滑かなは京の女、鴨川の水で磨いたのを優なるものとして、東は盛岡西は大阪の輸入もある」(明治42年9月1日)
美人の本場は名古屋であるのだが、京女も鴨川の水で肌を磨いているので美しいし、盛岡からも大阪からも美人が東京に来る、というのだ。これによれば、美人の産地は、名古屋、京都、盛岡(岩手県)、大阪、ということになる。
これには時代背景が影響していると、井上章一は言う。明治になり、首都東京には維新の元勲や出世街道を歩む官員様が増え、芸者など花柳界の女の需要が高まっていた。そこへ鉄道が開通し、名古屋から美人たちが流れ込んだ。これが目につき、名古屋には美人が多いということになったらしい。
世評は意外なことで形成され、また時代によって上下が容易にひっくり返る。そんなことが分かる研究である。
(『真実の名古屋論~トンデモ名古屋論を撃つ』より構成)