名古屋の嫁入りは派手だと言われる。結婚式の演出が派手かどうかではなく、嫁入りという行事全体に多額のお金をかけるという意味である。誰が、いつ頃、どこと比較して、何を根拠に、そう言い出したのか、はっきりしないが、何となくそう言われている。現実にそうであろうとなかろうと、一度そうだとなると情報の自己増殖が起きる。これを助長しているのが、日本で唯一人の県民性評論家岩中祥史である。それを無定見のマスコミが取り上げ、そうだそうだということになり、ますますそれが広がる。こういった現象は、別に名古屋の嫁入りに限らず、あらゆることに観察できる「俗論形成」である。
実際、銀行や保険会社や情報誌などが行なう消費動向のアンケート調査を見ても、名古屋の嫁入りが特に派手だという結果は出ていない。
結婚情報誌『ゼクシィ』(リクルート)の2011年の調査は全国から11地域を選んで、結婚に関わる費用などの項目別アンケートを集計している。
これらの調査結果は、冷静に考えてみれば納得できるものである。
首都圏が上位に挙がるのは、意外なようで意外ではない。まず、東京の方が他の地域よりホテルや結婚式場などの費用が高い。また、大企業の経営者一族など富裕層の多くは首都圏に住んでいる。結婚式は豪華になり、必然的に上位に入ることになる。
北陸や九州は血縁・地縁社会が生きている。反対に、北海道は明治以後内地から移住した人が多く、血縁・地縁の結びつきが弱い。結婚は男女二人が結びつくことであるのだが、家族を形成して社会全体とつながることでもある。

それでも、結婚式に伴う行事が名古屋では他の地方では見られぬほど派手だと言う人がいる。
一つは、嫁入り道具の豪華さを近隣に「お披露目」して誇示する風習である。これについて、例によって岩中祥史はあちこちで蛮族の奇習ででもあるかのように、これでもかこれでもかと書いている。『名古屋学』からほんの一節だけ引用しておく。
名古屋では、娘を嫁に送り出すとき、嫁入り道具を一度〔家具屋やデパートなどから〕実家に全部運び込ませる。それだけではない。お披露目といって、運び込んだ嫁入り道具を、ご近所の皆様方に一点一点披露するならわしがあるのだ。
この嫁入り道具のお披露目は、最近では都市化が進みよほどの旧家でなければ見なくなったが、昭和30年代までは珍しくなかった。
岩波文庫に『日本民謡集』(町田嘉章・浅野建二編)という一冊がある。主編者の町田嘉章(筆名に「佳聲」を使うこともあった)は民謡研究の先達で、全国を巡って民謡を五線紙に採譜した。この本では民謡の成立背景も解説してある。ここに収録してある宮城県の民謡「長持唄」を解説とともに紹介しよう。
蝶よ花よと育てた娘 今日は他人の手に渡る
箪笥長持七棹八棹 あとのお荷物馬で来る
箪笥長持嫁もろともに 二度と返すな古里に
大切に育てた娘が今日の晴れの日に嫁ぎ先の家の人になる。嬉しいような寂しいような複雑な親の心境が歌われた婚礼歌である。この歌は「長持唄」という題からも分かるように、婚礼歌の中でも嫁入り道具を運び込む「婚礼道中唄」に分類される。解説にはこうある。
嫁の調度品を聟(むこ)の家に運び込む時に歌われる婚礼道中唄で、通常、ノド自慢の若者が〔嫁側・聟側〕双方から一人宛選ばれて歌うもの。歌詞は全国共通のものが多く、歌う文句と場所とが定まっていて応答挨拶代りに歌われる。
また、この一首ずつについて次のような注釈がある。
〔蝶よ花よの歌は〕婚家附近の歌
〔あとの二首は〕婚家に着いた時の歌
婚礼の歌にもいくつもの慣習上の決まりがあることが分かる。そして、嫁入り道具が「箪笥長持七棹八棹」にもおよび、それでも足りない分が「あとのお荷物馬で来る」ことも分かる。里方から嫁ぎ先まで道々歌を歌って嫁入り道具を「お披露目」しながら練り歩くのだ。この歌は宮城県の「長持唄」ではあるが、「歌詞は全国共通のものが多い」。日本全国で同じような婚礼道中が行なわれたのである。
「名古屋の嫁入り」なるものは、別に名古屋特有の珍しい嫁入り習俗ではない。昭和30年代までは全国で見られた。東京などでは住環境や交通事情が激変し、婚礼道中唄を歌いながら里方から嫁ぎ先まで練り歩くことが早くから廃れた。しかし、名古屋は一戸建ての住まいも多く、こうした嫁入り風習が比較的最近まで残ったのである。
(『真実の名古屋論~トンデモ名古屋論を撃つ』より構成)