自分の言葉は自分をしばる。だからできるだけ、ウソはつかないほうがいいのである。適当なことはいわないほうがいいのである。
しかしここでいいたいことは、そのことではない。人をたぶらかそうとする、もっともらしい公の言葉に、だまされないように(しばられないように)ということである。
定年本や老後本を開けば、たいてい「豊かな生活」とか「充実した人生」とか「成長しつづける」などの、偽りの希望の言葉が書かれている。しかし、こういうもっともらしい言葉がじつはよくない。
これらはだれもが望むような言葉である。そのための方法を求めて、本を読むのである。
なかには、老後のいまが一番楽しい、なんていう人もいる。わたしはこんなに楽しい老後をおくっている、人生は充実している、あなたもわたしみたいにこうすればいいですよ、というのだろうか。そりゃよかったね、というほかはない。
甘言をたらすインチキビジネスに騙されてはいけない「いい人をやめれば人生はうまくいく」という人もいる。そんなばかな。人生がうまくいく方法などどこにもないし、それを知っている人など、この世にひとりもいるはずがないのである。
人生に「こうすればこうなる」なんてことはない。
まあ、毎日酒浸りの生活をつづければ、体を壊し、いずれ死ぬぞ、ということはあるだろうが。人生にあるのは「こうするつもり」とか「やってみせる」という意志だけである。
すべての甘言は疑似餌である。食えたものじゃないのである。「輝く」なんてバカ言葉を使っている時点で、すでにアウトである。
わたしはそんな子ども騙しのエサにだれが食いつくかね、と思うが、おいしそうなエサだと食いつく人がいないわけではない。ウソでもいいから、夢や希望を与えてくれ、と思っている人である。ウソでもいいから、はなかろう、と思うが、そんな人はいるのである。 安くない金を払って本を買ったのだから、せめて夢や希望を与えろよ、本には秘策が書いているものだろ、でなきゃただの買い損じゃないか、というのだろう。
「わたしは老後のいまが人生で一番楽しいよ」という人がいてもしかたがない。
毎日が楽しい、充実しているよ、という人もいるだろう。そういうことをいうのはその人の勝手だし、いったもん勝ちである。しかしそんなことなら、わたしだって、毎日充実してますよ、といえるわけである。
これを読んでいるあなただって、まあおれも充実してるといえばそうかな、といっておかしくはないのである。ただし、そういったからといって、なにがどうなるわけでもない。それに、もしかれらがほんとうに楽しい生活を送っているにしても、かれらはあなたやわたしではない。なんの関係もないのである。
著者が作家だ学者だコンサルタントだといって、人生の達人であるわけがない。あたりまえである。かれらも自分の人生を生きるのに精一杯なのだ。
もし「豊かな生活」や「充実した人生」を送りたければ、自分でつくるしかない。
しかしほんとうに「豊かな生活」とか「充実した人生」って、なんですかね? 言葉の綾だというのはわかるが、中味のない、ただ聞こえのいいだけの空語ではないのか。そんなものはどうでもいい、と思ったほうが、いっそすっきりするのではないか。
〈『60歳からの「しばられない」生き方』より構成〉