「老後の不安」が蔓延する日本。そんななかで、今日のいわゆる「定年本」、「老後本」の内容に異を唱え、『60歳からの「しばられない」生き方』で全く新しい考え方を提案しているのが文筆家の勢古浩爾氏だ。
勢古氏自身が、34年間勤続した洋書輸入会社を2006年に退職。以後10年以上の定年後人生を歩んできた。勢古氏が提唱する定年後、老後における人生の嗜み方について訊いてみた。「豊かな老後」や「充実した生活」という言葉に惑わされない

 自分の言葉は自分をしばる。だからできるだけ、ウソはつかないほうがいいのである。適当なことはいわないほうがいいのである。

 しかしここでいいたいことは、そのことではない。人をたぶらかそうとする、もっともらしい公の言葉に、だまされないように(しばられないように)ということである。

 定年本や老後本を開けば、たいてい「豊かな生活」とか「充実した人生」とか「成長しつづける」などの、偽りの希望の言葉が書かれている。しかし、こういうもっともらしい言葉がじつはよくない。

「充実した人生は欲しくない」と思えるかの画像はこちら >>

 これらはだれもが望むような言葉である。そのための方法を求めて、本を読むのである。

だがそのなかに、なにが「豊か」でなにが「充実」なのかが書かれていることは少ない。希望を示すような言葉だけが、しばりとなってわたしたちに残るだけである(それはなにか、を自分で考える人はいるだろう)。映画「セックス・アンド・ザ・シティ2」で、ひとりの中年妻が夫にいう。「わたしたちはキラキラした人生を送るべきよ」。「キラキラ」の原語は「スパークリング」だったか。

 なかには、老後のいまが一番楽しい、なんていう人もいる。わたしはこんなに楽しい老後をおくっている、人生は充実している、あなたもわたしみたいにこうすればいいですよ、というのだろうか。そりゃよかったね、というほかはない。

 甘言をたらすインチキビジネスに騙されてはいけない

「いい人をやめれば人生はうまくいく」という人もいる。そんなばかな。人生がうまくいく方法などどこにもないし、それを知っている人など、この世にひとりもいるはずがないのである。

 人生に「こうすればこうなる」なんてことはない。

それはインチキビジネス書や成功本の幼稚な手口である。だから、こうすれば金儲けができる、成功する、雑談力があがる、老後は豊かになる、人生は充実する、輝く、なんてことはないのだ。

 まあ、毎日酒浸りの生活をつづければ、体を壊し、いずれ死ぬぞ、ということはあるだろうが。人生にあるのは「こうするつもり」とか「やってみせる」という意志だけである。

 すべての甘言は疑似餌である。食えたものじゃないのである。「輝く」なんてバカ言葉を使っている時点で、すでにアウトである。

 わたしはそんな子ども騙しのエサにだれが食いつくかね、と思うが、おいしそうなエサだと食いつく人がいないわけではない。ウソでもいいから、夢や希望を与えてくれ、と思っている人である。ウソでもいいから、はなかろう、と思うが、そんな人はいるのである。 安くない金を払って本を買ったのだから、せめて夢や希望を与えろよ、本には秘策が書いているものだろ、でなきゃただの買い損じゃないか、というのだろう。

「わたしは老後のいまが人生で一番楽しいよ」という人がいてもしかたがない。

本人がそういうのだから、止めようがない。

他人の豊かさを知っても何も変わらない

 毎日が楽しい、充実しているよ、という人もいるだろう。そういうことをいうのはその人の勝手だし、いったもん勝ちである。しかしそんなことなら、わたしだって、毎日充実してますよ、といえるわけである。

 これを読んでいるあなただって、まあおれも充実してるといえばそうかな、といっておかしくはないのである。ただし、そういったからといって、なにがどうなるわけでもない。それに、もしかれらがほんとうに楽しい生活を送っているにしても、かれらはあなたやわたしではない。なんの関係もないのである。

 著者が作家だ学者だコンサルタントだといって、人生の達人であるわけがない。あたりまえである。かれらも自分の人生を生きるのに精一杯なのだ。

 もし「豊かな生活」や「充実した人生」を送りたければ、自分でつくるしかない。

一人ひとり「豊かさ」や「充実」の中味がちがうからである。あなたの人生を知っているのは、あなた以外にいないのである。

 しかしほんとうに「豊かな生活」とか「充実した人生」って、なんですかね? 言葉の綾だというのはわかるが、中味のない、ただ聞こえのいいだけの空語ではないのか。そんなものはどうでもいい、と思ったほうが、いっそすっきりするのではないか。

〈『60歳からの「しばられない」生き方』より構成〉

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