明治維新の英雄、坂本龍馬の家紋といえば桔梗紋。この桔梗紋は、明智光秀の家紋としても知られている。
「明智光秀といえば本能寺を囲んだ桔梗の紋が有名である。明智氏は清和源氏頼光流土岐氏の一族と言われているだけに、桔梗紋を用いていた。
そして「組合角に桔梗」の紋を用いて幕末を駆け抜けた坂本龍馬は、その使用紋と、名字が光秀の居城地坂本と同じことから、光秀の娘婿左馬助光俊(明智秀満)の子孫であるという説がある。
この説は明治16年(1883)に坂崎鳴々道人《さかざきううどうじん》が土陽新聞に連載した龍馬の伝記小説『汗血千里駒』で採り上げた。
『坂本龍馬其人の来歴を尋るに其祖先は明智左馬之助光俊が一類にして江州坂本落城の砌り遁れて姓を坂本と改め一旦美濃国関ヶ原の辺にありしが其後故ありて土佐国に下り遂に移住て郷士となり今も家の紋処は桔梗を用ゆる…』
と、ある。しかし本当のところはどうなのだろうか。京都霊山護国神社にある坂本龍馬の墓石には「坂本龍馬紀|直柔《なおなり》」と彫られていて、龍馬自身は紀貫之の子孫と称していたようである。

また高知県にある坂本家の墓所を見ると安永8年に死去した坂本直益以前は、家紋がまだ「丸に田の字(丸に角轡《かくくつわ》)」であったことが確認できる。
ロマンのある話であるが…。