皇位継承の証として歴代天皇が受け継いできた宝物「三種の神器」。その神宝をめぐって、平安末期と鎌倉末期に繰り広げられた2大紛争の実態に迫る。
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八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の宝物を「三種の神器」という。三種の神器はそれぞれどのような伝承に由来するのか

 三種の神器とは、歴代の天皇が皇位継承の証として受け継いだ宝物であり、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つのことをいう。養老4年(720)に成立した正史『日本書紀』には、「三種の宝物」と記されている。

 八咫鏡(以下「鏡」と略)は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩窟に入ったとき、八百万の神々が天香久山の鉄を取って作ったといわれている。その後、鏡は崇神天皇(第10代天皇)の代に笠縫邑に分詞され、垂仁天皇(第11代天皇)の代のとき、伊勢神宮に安置されたと言われている。天照大神が伊勢神宮(内宮)の祭神とされ、その神体が八咫烏であるのは、そのような伝承に基づいている。

 草薙剣(以下「剣」と略)は、出雲国で素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治した伝承がベースとなっている。素戔嗚尊がこれを退治したところ、その尾から剣があらわれた。この剣を天照大神に奉献し、後に三種の神器の一つになったという。八尺瓊勾玉(以下「玉」と略)は、鏡と同じく天照大神が天石窟に入ったとき、八百万の神々が玉祖命に命じて作らせたといわれている。

 三種の神器を用いた即位は持統天皇の代に始まった

 天照大神は天孫降臨により、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を高天原から葦原中国へ天下らせるとき、以上の三種の神器を授けた。そして、三種の神器は、初代神武天皇の即位後、宮中に安置されたのである。


 その後の三種の神器の扱いは、どのようになったのだろうか。奈良時代になると、三種の神器は后妃の住まいである皇宮の蔵司が保管したといわれている。そして、平安時代に至ると、玉と剣は櫃に入れて天皇の身辺に置き、鏡は賢所に安置された。賢所は内侍所ともいわれ、鏡を祀っているところを示す。

 では、天皇が即位するときに、三種の神器は具体的にどのような根拠に基づいて、実際どのように使用されていたのであろうか。天皇即位と三種の神器に関わる根拠法令は、『養老令』の「神祇令」によると、天皇が即位するときは、忌部氏が鏡と剣を奉るようにと記されている。
 この規定に基づき、初めて即位をしたのが第41代持統天皇である。『日本書紀』持統天皇4年(690)正月の条には、忌部氏が鏡と剣を奉り、持統天皇が即位した記事が見られる。

 現在、三種の神器は、鏡が伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に、剣が熱田神宮の神体として、それぞれ奉斎されている。唯一、玉のみが、皇居の御所に安置されているのである。代わりに形代というレプリカ(複製品)があり、鏡が宮中三殿の賢所に、剣が御所にそれぞれ安置されている。三種の神器は、現在も皇位継承において大きな価値を持っているのだ。

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