図1は、兄と称する男(右下)が、女(うつむいて座っている)を妓楼に連れてきて、売ろうとしているところである。
当時の身売りでは、父や兄、おじ、夫など、女の保護者(または父兄)の立場であれば、女を妓楼に売る権限があった。そのため、男は女の兄と称しているわけである。
こうしたことが、人身売買が横行する背景にあった。
左の、煙管を持った男が楼主である。金額を提示した楼主に対し、男はこう言う――
「もちっと買ってもよさそうなものだが、いい、しょうことがねえ、それで証文を決めてくんなせえ」
もっと出してほしいところだが、その金額で手を打つので、証文を作成して、取り交わしましょう、と。
楼主の右の、手に紙を持っている男は女衒(ぜげん)である。
連載の第2回「吉原繁栄の裏で「身売り」された貧困家庭の娘たち」でも述べたが、身売りは表向きは年季と給金を取り決めた奉公なので、必ず証文を取り交わす。証文の作成には女衒の専門知識が必要だった。そのため、女衒は妓楼に呼ばれてきたのである。
楼主に女の鑑定を求められ、女衒はこう述べる――
「この女中かえ。珍しい、いい玉だ。
女中は奉公人の意味と、女性一般を意味する場合があった。ここは、後者である。女衒の評価は現代人には分かりにくいが、要するに、
持病がある様子はなく、健康
陰部は、しまりのよい名器
ということ。つまり、上物と見立てていることになろう。
こういう形で女を評価することを、現代のヒューマニズムや人権意識で非難するのは当たらない。
売春が合法的なビジネスだった時代である。ビジネスの観点からすれば、妓楼にとって遊女は商品である。商品の仕入れにあたって、品質をきびしく吟味するのは当然であろう。
ともあれ、女衒には独特な女の鑑定法、つまりは品質の見極め法があったことは、次の例でもわかる。
戯作『契情買虎之巻』(田にし金魚著、安永7年)に、親が病気のためと称して、兄が妹を吉原の妓楼に売りに来る場面がある。
楼主は女を見て気に入り、すぐに奉公人に命じて女衒の権二を呼びにやる。
「この女中でござりますか。珍しい生まれつきだ。まず、なたまめ、からたちの気遣いもなしと。そして小前で、足の大指も反るし、言い分なしの玉だ」
と、高く評価する。
楼主がわざわざ女衒の権二を呼んで立ち合わせたのは、女の鑑定はもとより、証文を作成してもらうためだった。
女衒は人買い稼業と同時に、一種の専門職だったのがわかる。読み書きができるのはもちろんのこと、証文を作成できるほどの文書作成能力があった。こと文章能力に関するかぎり、当時の名主階級に匹敵するほどだった。