いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。
そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? ヘラクレイトス編。■人間嫌いで尊大だったヘラクレイトス

 西洋の文明は「ロゴス」という概念を重視してきた。ギリシア語のロゴスは、日本語では「言葉」「論理」「理法」「理性」などと訳され、合理的な思考を構成するものを意味する。新約聖書『ヨハネによる福音書』の冒頭では「初めに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。」と記されており、哲学だけでなくキリスト教においても重要な原理となっている。
 いわば、世界の全てを構成する原理として、古代から現代に至るまで、西洋人の思考の中心にロゴスがあったのだが、このロゴスを世界の構成原理として最初に重要視したのが、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスである。

 ヘラクレイトスは、最古の哲学者タレスが亡くなった少し後の紀元前540年頃、アテネから見てエーゲ海対岸にあるイオニア地方の都市エフェソスで生まれた。タレスやピタゴラスが生まれたのも、このイオニア地方である。
 非常に気位が高く、尊大な性格で人間嫌いだった。彼の死はその象徴でもある。

糞にまみれた壮絶な死。体現した哲学者・ヘラクレイトスの考えの画像はこちら >>
 

 ヘラクレイトスには『自然について』と題された著書があったそうだが、現代ではほとんどが失われ、断片的にしか残されていない。その記述は極めて不明瞭かつ難解で、当時の名だたる賢者たちも読解にかなりの苦労をさせられた。

1世紀を経て生まれた天才・ソクラテスにも理解できなかった箇所が多かったようで、「この書物を読む時には(あまりの難解さのせいで溺れてしまわないように)デロス島の潜水夫を必要とする」という感想を残している。
 それほどまでにヘラクレイトスが難解な記述をしたのは、尊大な性格によるところが大きい。彼は人間嫌いな性格で大衆をバカにするようなところがあり、わざと難しい記述をして、分かる人にだけ分かるよう、著書を作ったのだ。

 

 ヘラクレイトスが人間嫌いになってしまったのは、出身地エフェソスの市民が、彼の親友を追放してしまったことも、大きな原因となっている。
 親友の追放を決めたエフェソスの人たちに向けて、ヘラクレイトスは「エフェソスの人間なんて、成年に達した者はすべて首をくくって死んでしまったほうがいい。そして国家は、未成年の者たちの手にゆだねるべきだ」と言い捨て、街から出ていってしまった。
 街での生活を捨てた彼は、外れの神殿近くに引きこもり、子供たちとサイコロ遊びに興じていた。ある時、そんな彼のもとエフェソスの人たちが街の政治に関わってもらおうと訪れた。賢人にして高貴な生まれ育ちのヘラクレイトスの力を必要としたのだろう。だが、ヘラクレイトスは訪れたエフェソスの人たちに対して「このろくでなし者めが! お前たちといっしょに政治に関わるよりは、ここでこうしているほうがよっぽどましではないかね」と一喝し、追い返してしまった。

■名声や富に興味を示さず……

 賢人としてのヘラクレイトスの名声はペルシアにも轟いていたようで、当時広大な帝国を築き権勢を誇ったダレイオス一世からも、講義を直接受けたいと要請する手紙が届けられた。
 ダレイオス王は手紙の中で「ギリシア人は賢者に敬意を払っていないが、ペルシアに来るならば貴殿にはあらゆる特権と栄誉を与えよう」と約束した。

だが、ヘラクレイトスは「名声や栄誉には興味がなく、僅かなものでも自らの意に沿うものであれば十分満足している」と返事を書き、あっさりと断ってしまう。

 

 人と関わる煩わしさから逃れるためか、その後、ヘラクレイトスはさらに人里から遠く離れ、山奥に篭り、そこら辺に生えている草や葉を食糧として生活するようになった。だが、そのせいで体調を崩したのだろう。晩年は水腫を患い、街へ降りてきて医者の診察を受けることになった。
 診察の際、彼は医者に「洪水を干ばつに変えることができるか」と問いかけた。体内の余分な水分を排出するにはどうすれば良いかという謎掛けだが、医者はその問いに答えられなかった。彼はその答えを実演するため、牛舎へ行き、あろうことか牛の糞の山に自分から身を埋めるという暴挙に出た。
 これは「万物の構成要素は火である」とする考えに基づく、論理的に一貫した哲学体系を構成していて、体内の水分も熱によって蒸発させられると考えていた。だから、熱を持つ牛の糞の山に身を埋めれば、体内の余分な水分がなくなり、水腫も治ると考えたのだろう。だが、残念ながら牛の糞は病を治すことなく、そのまま彼は牛の糞の山に埋もれて息を引き取った。
 病の身体を自ら牛の糞の山に埋めて死ぬ……一見すると不条理な最期だが、ヘラクレイトスにとっては自らの哲学体系に基づいた一貫した行動であり、ロゴスを貫いた極めて論理的な死に方だったのである。

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